ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

仮面女子:スチームガールズの黒瀬サラちゃんに関する雑感と仮面女子のこれから

2019年8月31日、仮面女子:スチームガールズの黒瀬サラちゃんがアイドルを卒業し、また所属事務所であるアリスプロジェクトも退所した。


2014年の10月頃だったと思うが、それは運命的な出会いだった。

サラちゃんとの出会いからさらに1か月ほどさかのぼって2014年8月。池袋西口公園で連日開催されていた肉汁祭りというイベントで、「肉汁ガールズ」というグループのライブを見た。それをきっかけにアリスプロジェクトの何人かのメンバーが入り口となり、仮面女子の常設劇場「PARMS」に通うようになった(無銭の部から)。きっかけとなった坂本舞菜ちゃんを筆頭に、小島夕佳ちゃん、月野もあちゃん、窪田美沙ちゃんなど、魅力的なメンバーがたくさんいることを知った。そして初めてスチームガールズを見たときにその瞬間は訪れた。「キミに決めた!」と思った。ついに出会ってしまった。ずっと欠落していたパズルのピースがかちっとハマった感じ。すべてはここに至るまでの道筋だったのだと思った。それがスチームガールズのセンター、黒瀬サラちゃんだった。

 

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ヲタクテンパりすぎてインカメラになっててクソワロタ

そこから4年半以上、僕の中で確固たる一推しメンバーの位置を占めていた(本当は一瞬だけ、もしかしてこっちかも?みたいな葛藤があったような気がするが、忘れたことにする)。その評価は決して一様だったわけではない。好きになったり飽きたり、ということではなく、時間を積み重ねるほどに―――あるいはメンバーの入れ替わりがある中で―――サラちゃん自身が一人の人間として成熟し、どんどん魅力的になっていった。まさに成長という変化を楽しませてくれた。この感慨は(一見するとありがちな感想かも知れないけど)、そもそも推しメンが長く活動を続けてくれることと、さらにそれをある程度の期間見続けたファンだけの特権だ。

 

アイドル:黒瀬サラちゃんを見ていると、これこそが理想のアイドルの在り方だという発見・確認・深まりの連続だった。あるいはそれは僕自身の価値観が形成されていった過程なのかもしれない。ブログや普段のライブ、MC、他のメンバーとの人間関係を見ている中で、人間性を垣間見ることもできたし、変化を強いられる局面に立たされては、その都度いい方向に成長していく様子をずーっと見ることができた。もともと持っていた容姿や人間性が魅力的で、体力や精神面でも申し分なく、また人間的魅力が成熟し続けるというのは、なかなか稀有な存在だと思う。そんなアイドルはそうそういない。


 

そもそも地下アイドル全盛の昨今に、一人のアイドルを5年ちかくも推すということはなかなかできない。なにしろ有象無象の地下アイドルが跋扈し、いつのまにか消えていくような業界だ。それはアリスプロジェクトという事務所が展開する仮面女子とその候補生というユニット群のクオリティがあったからこそ推し始めることになったし、またここまで長く推し続けることもできた。サラちゃんを取り巻く環状の変化と、それに伴う本人の成長による影響に加えて、黒瀬サラちゃん以外にも魅力的なメンバーがたくさんいたことも欠かせない要素だ。PARMS(パセラ)、無銭の部、楽曲、組閣、運営スタッフ、各種イベント、全てのことに感謝。

 

4年10か月というのは一つのことを続ける期間としては結構長いと思う。四年制大学すら入って卒業してしまう。とはいえ僕のヲタ活スタイルは「薄く長く」がモットーなので、期間が長いだけで費やした時間やお金は大したものではない。これはつまり、日々のライブはもちろん、撮影会、握手やチェキ、遠征、等々にほとんど行っていないということを意味しており(反省)、トータルでコミュニケーションを取った総量でいえばめちゃめちゃ少ないのだと思う。それは直接目の前にすると緊張してあんまりうまく喋れないから、あえてそうしてきたっていう面もあるのだけど。

「握手とか撮影会とか接触にはあまり来ないけど、無銭の部(とたまに平日の一部と生誕祭)ではぬる~っといつも同じ場所にいる人だなあ(水色振ってる)」という認識をしてくれていればそれで良いなあと思いながら見ていた。

 


黒瀬サラちゃんは2012年に事務所入り、2019年8月31日まで7年半(?)活動したことになる。これも大変なことだ。これまでの人生の3分の1ということになりますか。まあ僕も東京に出てきてからの期間が人生の3分の1みたいなところがあり、人生ってそういうものかもしれない(普通に生きているだけの僕と一緒にすんなという話ですが)。

終わりはさみしいけど、全てが意味があったというか、運命づけられていたんじゃないかとか考えたくなってしまう。世代交代も起こらなければならない。今や最古参メンバーと言ってよいサラちゃんが、ともにアリスプロジェクト黎明期を支えてきたメンバーなんてほとんどいなくなってしまったわけで(残りはなあさんくらい)、サラちゃんだけがいつまでも現役で活動し続けるというのもなんかヘンな感じだ。だからこのタイミングは来るべくしてきたのかなという気もする。その都度、スチームガールズは良いメンバーに恵まれた。

 

黒瀬サラちゃんは最後の最後までサラちゃんらしく振舞ってくれた。サラちゃんらしくってなんやねんという話なんですが、これは彼女自身が最後のあいさつで「アイドルをやっている中で最初はどうしても自信が持てなかったけど、自分らしくいても良いんだと思えるようになってから気が楽になった」と言っていて、ファンの視点から見ても、ある時期からサラちゃんはいい意味で力が抜けていて、いつでも堂々として、好きなものは好き、興味ないものは興味ない、という姿勢を顕著に出すようになった気がする。

 

それは「無理をしない」「気持ちにウソをつかない」ということなんだと思う。余計なことを足すことも引くこともしない。これは普遍的かつ決定的に大事なことで、小中学生だろうが、大学生だろうが、社会人だろうが、あるいは芸能人とか有名人とか何とかかんとか、とにかくすべての人の人生全般に言えることだと思う。僕がこれだけ長く推し続けて来られた理由そのものであり、これがまた説明が難しく、長くなってしまうのですが、つらつらと書いてみたいと思う。

 

■黒瀬サラちゃんの魅力とは何だったのか


人気を獲得するためには「圧倒的に可愛い」とか「スタイルが良い」とかがあった方が良いのは当たり前で、それは主観的なものだったり後天的な努力で何とかなるところもあるので、ここでは言うまでもないことということで除外します。あるいは彼女の場合「歌声がステキ」というのも欠かせない魅力ですが、僕にとっては副産物的なものでした。「好きになった人の声まで愛しく聞こえる」ってわりと当たり前の話ですよね??よほどハスキーボイスとかでもない限り(それも魅力になりうる)。


まずもってアイドル(特に昨今のライブアイドル)をやるためには「強いメンタル」と「強いフィジカル」を持っていることが望ましい。実はもうこの時点でバカ高いハードルなんですね。これは両輪です。どちらかが崩れてもこれは継続するのが難しくなる。もともと病気を抱えているとか、体調を崩しやすいという人もいるでしょう。そういう人は、日々のライブが主戦場になる地下アイドル活動は難しいと思う。それで言えば、立花あんなちゃんと並んで「鉄人」と言われたサラちゃんのメンタル&フィジカルは称賛に値する。なにしろ「公演を休む理由がない」のだ。凡百のアイドルはまずこのことを胸に刻んで欲しい。(改めて補足ですが、これはあくまでもライブ活動の話。むろん仮面女子ヲタとしては猪狩ともかちゃんのことが頭をよぎるわけですが、彼女ほどのバイタリティのあるアイドルもまた珍しい。今後大きな存在になる可能性をビシビシと感じます。そのサポート体制も十分。それがアリスプロジェクトという事務所に対する信頼です)


立ち位置はどうか。スチームガールズのセンターだったということではなくて、グループ内の役割的な立ち位置ですね。基本的には無口で控えめ。自分からは発信しない。一番に手を上げるタイプではない。だけど何かを問われて、反応すると皆に(とくに先輩メンバーに)「かわいい~」と言われるタイプ。まずはこれ。初期に年少メンバーだったことも大きい。おそらくサラちゃんの可愛がられる性質はここで培われたのではないかと思われる(これが後輩が増えるにつれて、徐々に憧れられる立ち位置に変わっていく)。モノ言わぬ可愛い年少者というのは得てしてそういうものだ。年上の先輩は可愛がってくれる。経験を積む中で、年下(もしくはタメ)の後輩は可愛がれるようになる。ただし、年上の後輩はちょっと苦手。接し方が分からない。サラちゃん、それで良いんだよ!!

 

役職で言えばバキバキダンス番長ではない。ラップも担当しない。抜群のスタイル(高身長&長い手足)はエレガントで、否応なく目立つ。まとめ役のリーダーではない。内に闘志を秘めた、静かなるセンター(エース)という感じ。基本的には落ち着いていて、余計なことを言わない。愚痴をこぼさないし、文句を言わない、能天気なおバカも晒さない。口数は少ないが、譲れない評価軸を持っていて、ここぞという時はハッキリと意思を表明する。

 

それは例えばブログの文面などに表れる。環境に感謝するとか、日々のライブを大切にとか、口で言うのは簡単である。だけど実践を伴っていて、メンバーとの関係性も見て(ときにはスタッフから漏れ出てくる評価までも加味すれば)、ひとつひとつの言葉が信憑性を帯びているのが分かる。だからこそ、事務所の方針と衝突して不満をもらすメンバーや、自己管理の甘さからファンへの責任も果たさないでフェードアウトしていくメンバーに対しては苦々しく思っている。だってそうでしょう。アイドルはグループを運営し、環境を用意してくれている事務所と、日々経済的・精神的に応援しているファンがいて成り立っているものだから。そこの筋を通さなければ、成功など望むべくもない。ファンに愛されるはずもない(一部の自称パンクなファンに推されるだけだ)。

 

この静かな信念こそが至高なのである。こういう振舞いが僕にとっての大好物なんです。たまたま僕の好みにジャストフィットした存在がサラちゃんだったのか、それともサラちゃんの性質に僕の好みが引っ張られたのか?普通に考えたらヲタクの好みなんか推しメンに引っ張られているだけだろと思うところですが、僕はかなり自分の好みを冷静に見ている自負があるので、半々ということで。こんな最高なアイドルはそうそういない。

 

もちろんグループではガンガンとMCを引っ張っていく役割やいじられ役も絶対に必要ですので、そこはできる人に担ってもらいたい。そうでないとグループが成立しない。要はチームプレイですね。ちなみにサラちゃんが最も輝くのは、ある程度の人数の多様な性質を持ったメンバーの中にいるときだと思います。グループアイドルで輝く存在というのも、今の時代を象徴していますね。グループのメンバーがいるからこそ、彼女は輝ける。ファンは推せる喜びがある(複数のメンバーがいる中で一人を推すって、本当に画期的なことなんです。えこひいき万歳)。


人間関係の構築の仕方が実に良いんですよね。自分と相性が馴染むのかどうか、ほとんど直感的に判断している。それを時間をかけて、確かめながら構築していく。初めから一気に距離を詰めたりしない。僕が思うに、コミュニケーションや人間関係づくりが(一見して)積極的ではないという一方で、相性の良さを慎重に見極めて、深く信頼関係を築けるすべに長けているんだと思います。広く浅くではなく、狭く深く。


個人的にめちゃめちゃ重要な話を一つ。僕が元々好ましいと思っていた、一推しではない(原理的にあり得ない)けどかなりの水準でお気に入りなメンバーと、ことごとくサラちゃんが距離を詰めていったところです。具体的に言えば坂本舞菜ちゃんと森下舞桜ちゃんですね。



坂本舞菜ちゃんは「僕のアリスプロジェクトの入り口」というべき最重要人物であるわけですが、ごく初期にはOZの坂ちゃん、ぱー研の夕佳、アマガのもあ、スチガのサラ、という推しシフトを敷いていました。その中でもOZの坂ちゃん、スチガのサラちゃんという2人のお気に入り度は頭一つ抜きんでていました。そんな中、坂本舞菜ちゃんのスチガ昇格が決まります。僕にとってますますスチガの価値が高まります。推しメン2人が同じユニットでどんな化学変化が起こるのだろう。これは僕にとって結構重要なポイントでした(さらに言うとのちに小島夕佳ちゃんが異例のぱー研→OZ移籍→スチガ昇格があり僕の歓喜は絶頂を迎える)。

 

当然僕としては、2人がいい感じの関係性になればいいな~と思った。いや、むしろお互いを補い合った良い感じの関係になれるのではないかという予感があった。坂ちゃんって本当にサービス精神が旺盛な人で、ヘンなボケを言ったりいじられたりもするのですが(これは宿命みたいなもの)、実は気の弱いところもあり、こだわりが強くて頑固であり、他人に感情移入しすぎてすぐに泣いてしまうような優しさをもっている、要するにピュアな人なんです。

 

2015年10月に行われた、当時OZだった坂本舞菜ちゃんの生誕祭で、メンバー全員が坂ちゃんの印象をしゃべっていったのですが、皆が「努力家だ」とか「面白い」とか評していく中、サラちゃんが「ほとんど話したことないから印象がない」と言っていました。当然ここで「え~っ(汗)」という笑いが起きるわけですが、これを聞いて僕はシビれました。サラちゃんってウソをつかない人なんだ。空気を読んで無難なことを言ったりしない。本音を言える強さがある人なんだって。そしてその数か月後に昇格発表があり、スチガとしてステージを踏んだのは2015年4月のニコニコ超会議だったと思います。

 

その前後に僕はお互いのメンバーに手紙を書きました。お互いに「サラちゃんと坂ちゃんが絡んだら絶対に面白い化学反応が起こるから期待しています」みたいなことを書いたと思う。余計なお世話だし、知ったこっちゃないですよね。だけど、坂ちゃんが先輩ばかりのチームに入って緊張して良さが減ってしまうことはないかとか、サラちゃんがまた新たに人間関係を構築していけるのかとか、僕なりに心配していたんです。後から振り返ればそんなものは全くの杞憂だったわけですが(夕佳とまいぷぅの存在も大きかった)。それどころか、その後は皆さんもご存じの通り、2人はとてもよい関係(ネコみたいな扱い)になっていきました。

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黒瀬サラちゃんと坂本舞菜ちゃん


森下舞桜ちゃんはOZだった時から、いや、スライムガールズとして登場した時から僕は注目していました(ええスミマセン、言いたいだけです)。抜群のスタイル、全身からにじみ出た落ち着いたメンタル、丸い顔。これはタダものではないと目をつけていました。OZのメンバーとなったときにはすでに青サイリウム(当時のカラー)をフリフリしていたので、わりと早い段階で「なんか推してる人」という認識をされたという自負はあります(認知が速い!)。何度目かの組閣を経て彼女はOZのセンター(グリンダ)に立つことになりました。この瞬間に、森下舞桜ちゃんのその後のフィーバーはやはり運命づけられていたように思います。

 

それからは早かった。いずれ確約された未来ではありましたが、森下舞桜ちゃんはスチガに昇格になった。サラちゃんはとどまった。しかし、スチガで良い関係を築いてきていた多くのメンバー(舞菜、夕佳、まいぷぅ、えりな)がアリス十番に昇格することになった。とにかく激動の組閣だった。この時は人間関係を心配するとかしているモードでもなく、とにかく見守るだけだったように思う。(後で分かったが、サラちゃんもどこかでアリス十番に昇格する打診はあったらしい。しかし最後までスチガに留まるという決断をした。それは完結がそう遠くない未来だと本人の中にも予感があったのかもしれない。そしてその決断は正しかったと思う)。

 

その後、サラちゃんと森下舞桜ちゃんは1年くらい同じスチームガールズのメンバーとして活動し、これまた皆さんご存じの通り、2人ははとても良い関係になりました。そしてまた、森下舞桜ちゃん、木下有里ちゃん、涼邑芹ちゃんの3人がアリス十番に昇格するかたちで、次の局面に入っていった。2018年末の大組閣。森下舞桜ちゃんを取り巻く環境(事務所)は、彼女にアリス十番昇格&赤仮面就任という大役を任さずにはいられなかった。

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黒瀬サラちゃんと森下舞桜ちゃん

 

ブログ記事「森下舞桜ちゃんの16歳の生誕公演に行ってきました


 

一体何の話かと思われるだろう。これ「僕の好きなメンバー同士がイチャイチャしてる(歓喜)」という、在宅ヲタにありがちな百合消費ではないんです。僕にとってのアイドルヲタ活、仮面女子ヲタとしての全てであり、決定的に重要なポイントなんです。それはどういうことか。つまり「評価しているものが全く同じだ」と思ったのです。これが嬉しかったんですね。

 

アイドルには様々な魅力があると思うのですが、僕が好きな要素をあえて列挙してみると「愛される力」とか「主役になれる存在感」とか「強い心身」とか「余計なことを言わない、文句を言わない成熟した精神性」とか「役割を引き受ける余裕」とかですよね。ええ、もうハッキリ言っちゃいます。僕はアイドルとして「仕事ができる」子が好きだし、「アイドル力が高い」子が好きだし、AKB以降の表現ですけどいわゆる「推されメン」が好きです。そうするとだいたいグループのセンターですわ。つまりはそういうことです。

 

そのうえで、「好きなものが一緒だ~」というヲタク特有の勘違いかも知れないけど合一が感じられて、安心して推せる存在、それが黒瀬サラちゃんだったわけです。


とまあいろいろとまとまらない駄文を書き散らかしてしまいました。約5年間、本当にいいものを見せてもらいました。黒瀬サラちゃんはアイドルを卒業してしまいましたが、仮面女子の歴史はまだまだ続いていきますし、特に赤仮面でグループを牽引する森下舞桜ちゃんには本当に希望しか感じません。どうしてこんな逸材が入ってきてくれたのだろうと驚くばかりです。だからこれからも(少し遠くから)、仮面女子を応援していきたいと思います。これからの仮面女子のメンバー、候補生、アリスプロジェクト、社長、永田さん、麗華さん、他スタッフの皆様に、エールを送ります。

 

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サイン入りTシャツありがとう

 

2019年8月24日の黒瀬サラちゃん生誕祭と、8月31日の卒業公演

2019年8月24日黒瀬サラちゃん生誕祭、8月31日に卒業公演が仮面女子カフェPARMSにて行われた。


後から振り返ってみると、この2週続きの生誕祭と卒業式で完結するセットリストだったのかもしれないという気がしないでもない。24日の生誕祭は、僕にとって2015年から参加して通算5回目となるイベント。とはいえ過去の開催と事情は違って、生誕祭はこれが最後となるのが確定しており、また翌週には卒業式を控えているという状況。なんか終始ふわふわした中での参加だった。とにかく最後だからしっかり目に焼き付けておかなければという気持ちが強かった。

 

■8月24日(土)23歳の生誕公演

 

アリス十番アイドル妖怪カワユシと無限女子
「最強☆サマー」と「マイ☆メン」をアリス十番に交じって、センターで披露。違和感なく馴染んでいて、こんなアリス十番もあったかもしれないなあと思った。何よりサラちゃんが楽しそうだった。「マイ☆メン」の2番歌い出しのソロ(坂ちゃんが歌ってたやつ)、落ちサビは、これは永久保存版です。またDVDで見返したいと思います。

 

アリス十番とのMCでは、かなり本質的な内容が語られていた。
アリス十番のライブは楽しい、マイ☆メンが好き」
「公演を休む理由がない、休みたくても休めない」
「気づいたらメンバーにめっちゃくっついている→だけどそれは特定のメンバー」

 

■トッピングガールズ
やはりサラちゃんにとってトッピングガールズは思い出深いユニットなのですかね(サラちゃんはGT)
トッピングガールズFTTBメンバーと4曲を披露。ボリュームとしては結構大きい。

 

■スチームガール
「優しい風」「星たちよ☆」、そして仮面女子で「Wohhhh!!!!☆」

 

2019年8月24日(土)生誕祭セットリスト

 

アリス十番
01 最強☆サマー
02 マイ☆メン

〈黒瀬サラ生誕祭〉
01 カワユシ♥️アラワル(サラ、虹花、舞桜、まゆ、夕佳)
02 Shining Road(サラ、美沙、舞桜、夕佳)
-MC-
03 つけMEN☆極MEN
04 ツケメンに恋してる
05 つけ麺OMD
06 TSUKEMEN☆LOVE
-MC-
07 優しい風
08 星たちよ☆
09 Wohhhh!!!!☆

 

■8月31日(土)卒業公演

 

入場の時、待機列がパセラを飛び出してパセラ前の歩道→ちょっと離れた駐車場の前まで伸びていた。僕自身ここまでの並びは見たことない!今では現場に来なくなってしまった人も、アリスプロジェクトに長く貢献したメンバーの卒業を見届けようとして、たくさん来ていたんだろうなあということが想像された。


オープニングからスチームガールズの超ロングステージ。最初のブロックは猪狩さんも参戦。4曲ずつやってMCを挟んでという構成だったが、これがスチームガールズの歴史の中で披露して行った順だったのですね。よくよく振り返ってみれば古い曲から並んでいる。いや~、気づかなかった。締めの曲としての定番の「destiny」から始まるというのが変わった趣向だなあと思ったのですが、そういうことだったのですね。

 

全ての楽曲が、サラちゃんがセンターを務める最後の披露になるということで、噛みしめるように見た。「雷・アドベンチャー」で、歴代の卒業していったメンバーのハッピを着ていたような連中がいっぱい入ってきて盛り上がって、「この人たちは相変わらずだなあ」と思いながらも、個人的にはすごく良いなと思った。何より、彼らが荒らした後に空間が空くから前の方にすっぽり移動することができる。後半は割と前の方で堪能することができた。ありがとう。むしろ最初に遠慮して後ろの方に陣取ってしまっていたので。(ジャンプ禁止なのにジャンプしてサラちゃんに怒られたの吹いたw)

 

MCで「次のブロックはどんな曲ですか?」とサラちゃんに印象を聞いて、「自分が一番気持ちを込めた曲」とか「最近無銭の部でやらなくなった曲」とか言っててなんとなく予想がついて面白いんだけど、雪乃しほりさんが「次の曲たちは~」とか言って吹いたww引っ張られてますやん。

 

んで「星たちよ☆」「伏線回収トポロジー」「sexy☆rabbit」。最高の楽曲群。思い返せば、僕が仮面女子にどっぷりハマって同人誌「仮面女子の研究☆」(2015年6~8月)を作っていた時に「星たちよ☆」の披露があったのを覚えている。あるいはその少し前に、目の手術から復帰した神谷えりなちゃんのモチーフ曲「OPEN MY EYES」の初披露も見ていたかもしれないなあといううっすらとした記憶がある。何が言いたいかというと、楽曲披露の歴史でいうと僕は半分も見れていないなあということ。


あ、最近印象的だった話を一つ。
今月の5日にトッピングガールズGT(2012年)の衣装で一日限りの復活ライブ(withFTTB)があった時に、チェキを撮って「GTのライブ見たの初めてだよ」と言ったら「そうだよね」と言われる。「僕がGT見たことないってよく知ってるね」と言ったら「わかるよ~」って。一点の曇りもなかった。

 

「この人いつから現場に来ている人だっけ?」という記憶が曖昧なんじゃないかというこちらの期待を見事に裏切られたといいますか、むしろ「2012年のGTを見に来てた人ではない」というある意味で逆の確固たる認知をされていた(泣)。恐るべし・・むしろ僕の方が記憶が崩壊してて「もしかしたら1回くらい現場で見ていたんじゃないか」という限りなく薄い妄想を完全に打ち砕かれた。まあそれはいい。

 

そして最終ブロック。猪狩さんも合流して最初で最後の10人フルメンバーでの「水色のパノラマ」。2日前の初披露も運よく見ることができて、たったサラちゃんとしてはたった2回の披露になるけれど、聞けば聞くほど本当に美しい楽曲。また歌詞がよい。

「自分はいつも誰かの背中を追いかけてきた。それがいつしか自分が前の方を走っていることに気付く。これまで何人もの卒業を見送ってきた。それは自分に立ち止まる勇気がなかっただけなんじゃないかと思う時もある。だけどやっぱり、続けた者が勝ちなんだって信じたくなる」

つまりは自分を肯定する歌詞なんですね。いかにもサラちゃんらしい。本当に素晴らしい楽曲を作ってもらいましたね。

そしてこの曲はむしろ、これからサラちゃんがいなくなるスチームガールズで長く歌い継がれていかなければならない曲です。

 

最後は仮面女子「大冒険☆」「夏だね☆」でフィナーレ。

そしてサラちゃんの象徴的な楽曲である「優しい風」をソロで披露。つい先日の遠征では「星たちよ☆」のソロがあったそうですが(これは見れなかった泣)、「優しい風」の披露は初。もうなんていうかサラちゃんの歌声を存分に堪能できるというその圧倒的な事実だけで、あらゆる評価を超越していた。強いて言うなら「至高」あるいは「excellent」という言葉以外が出てこない。本当にありがとう。

 

 

こうして黒瀬サラちゃんのアイドル活動の全てが幕を閉じた。アリスプロジェクトに所属したときに15歳だった少女は、23歳になっていた。まさに青春を駆け抜けた。
サラちゃんのあいさつについては各種メディアを参照してください。

 

全員の締めのあいさつがあり、最後にピンスポットの当たった黒瀬サラちゃんが武器と仮面をステージにおいて去っていった。これで終わりなのだ。そして僕も心の仮面を外した(特に意味はないです)。

 

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■ 


黒瀬サラちゃんを推し始めてたぶん4年と10か月ほどになる。あまりにも大きな存在だった。まだ僕の中で整理をするのに少し時間がかかりそうです。今改めて思うのは、アイドル:黒瀬サラちゃんを見ていると、これこそが理想のアイドルの在り方だなあという発見の連続でした(あるいはそれは僕自身の価値観が形成されていった過程なのかもしれません)。それを改めて文章にしたいという気持ちがある。もし何か文章を書けることがあれば、またブログなどにアップしたいと思います。

 

「スチームガールズ」というユニットは黒瀬サラちゃんと共にあった(最初期のセンターではなかったにせよ)と言っても過言ではないのであり、多くのメンバーやヲタたちが「サラちゃんがいないスチガは考えられない」という旨の発言をしているわけですが、だからこそ僕はこれからのスチームガールズのメンバーにエールを送りたいと思います。まだまだスチガは終わりません。終わりにしてはいけません。もちろん仮面女子というグループも。これからも立派に引き継いでいってください。

 

 

2019年8月31日(土) 黒瀬サラ卒業公演セットリスト


01 destiny
02 未来ノヒカリ
03 SAILING DAY -フナデ-
04 Fate
-MC-
05 青春宝石
06 Days
07 ラジオ会館のうた
08 どんくさい?don't cry!
-MC-
09 HIGH and LOW
10 優しい風
11 NAGA-NAGA-NAGANO
12 アリスの檻
-MC-
13 COSMIC LOVE
14 シャイニーラブ
15 OPEN MY EYES
16 雷・アドベンチャー
-MC-
17 星たちよ☆
18 伏線回収トポロジー
19 sexy☆rabbit
-MC-
20 水色のパノラマ
21 大冒険☆
22 夏だね☆
23 優しい風(ソロ)

 

(一部の)くだらない学習塾の世界を、ぶっ壊す

何か最近、学習塾界隈の中にいて「この世界は間違っている」という思いが沸々と湧いてきている。生産性を上げるとか、世の中の変化に適応するというのなら、まずこの業界から変わらないといかんやろ、と思っている。

 

いや、僕の見ている世界なんてごく限られた狭い範囲だし、学校にはまた違った問題があるだろうし、それでなくても幼児教育、右脳開発、ハイレベルな塾、経済的な問題などを抱えている子供向けの無料塾、大学受験の予備校とか、あるいは大学においてなど、それぞれの世界で存在価値と問題があるのだとは思いますが。


やっぱりペーパーテストで人を試験するというのは本質的には間違っていると思う。それが有効な場面はあるとは思うが、学校に通う全ての子供にテストを課すというのがどうしても無理がある。そこに簡単に適応できる子供は、まあ困ることはないだろう。全然苦手だとしても、そこでふさぎ込んでしまうのではなくて、自分なりの長所を別のところで見出していけるのならいい。

 

問題は、中途半端な適応力しかないのに(あるいはほとんど適応してないのに)、落ちこぼれたらまずいと焦って、家の近くにある適当な学習塾にぶち込まれて何の役にも立たない勉強(らしきもの)をやらされることだ。これこそが究極のお金と時間と精神の無駄遣い。まあ子供に時間の大切さなんて分からない。お金は親が勝手に払っているだけだ。それだとしても精神を削られているのを見るのは忍びない。全然楽しくない、意味も分からない苦行を、延々とやらされるのだ。徐々に目は死んでいき、自分は何がやりたいのかも忘れ、勉強の成果も上がらない。そもそも向いていないフィールドで闘わされているのだから。

 

自由に遊んで家族旅行に行き、家で本を読んでいる(ニュース番組を見ている)、文化資本の備わっている家庭の、特に塾にも行っていない(家庭での勉強時間も少ない)子供に、テストでボロ負けするのだ。受験は平等(あるいは当日次第)だという甘い夢を見て、中学受験とやらに突っ走ってしまったら最悪。万が一にも結果(勝敗)が覆るわけがない。当然のごとく敗北を喫することになる。

 

こんな残酷でみじめな話は当然回避するべきなのだと思うけど、これが人間社会というもので、避けられないものなのかもしれませんね。敗者がいるから勝者がいるわけで。みんなが同じことやってたら「(相対的に)うまくやる」ということもないわけで。良いよ別に。クソほどくだらない個別授業を準備して(学生を手配して)お金を取る人がいて、全く無意味にお金と時間を捨てる人がいて、世の中が回っているのだから。勝手にやっていてくれ。


最近、特に小学生なのだけど、無理な戦いを強いられていて、それは親のエゴでしかなくて、本人は疲弊して精神が死にかけている様子を見ることが多くて、いたたまれない。こんな状況が放置されている現状が許せない。それなのに、何か僕自身が厄介者であるかのような扱いを軽く受けていて、その点に関しては今本気でキレています。どうやら「本当のこと」を言うのは止めてほしいらしい。お金の生まれる場所というのは、欺瞞で塗り固められている。

 

少し具体的に書くと、僕が「これは本人のためになっていない。ぬるい。大いに問題あり」と判断した児童に対して、ゴリゴリに詰めていたら「怖い先生だ」という判断をされ、会社の人間から「もっと優しい対応をしてくれませんか」と言われた。それに対して「子供の言い分など気にしない。そっちの采配で勝手にやってくれ」と突き返したら授業を担当しなくなった。だから今は地獄を傍観しているところ。

だけどこれは僕の精神衛生的にも良くて、世の中うまくできているなーと思わなくもない。精神的に未熟な子供が当たらなくなった。まあ眺めているだけでもそれはそれでストレスたまるんだけど。あのさあ、子供の言い分になんで忖度してんの?心が弱くて、自分の都合のいいように言うのが子供だってことを知らないのかね。だから付けあがるんだよ。お友達気分で楽しくおしゃべりできる、優しい先生が良いのらしい。

 

それに積極的に応えてしまう塾ってどうなんですか。お金さえ払ってもらえれば大切なお客様ですか。共依存。共犯関係。当然テストの点数なんか上がらなければ、非認知能力の向上も見込めませんね。通り一遍のドリルをゆっくーり進めているだけなんですから。


そもそも僕としては、例えば小学校卒業段階で、小学生が習う漢字を(ほぼ)完璧に覚えていない人間は、まあその先の学びに進む必要がないんじゃないかと思うわけです。だって言葉を知らない可能性が高いですから。

 

中学3年間を使って、漢字(熟語)を徹底的に覚えるというのが有効だと思う。もう他の余計なこと(英語とか)はやらなくていい。中学3年間の範囲まで広げると、これは大変なことだよ。言葉自体も、漢字も、かなり難しい。ハッキリ言って中学までに習う漢字を完璧に書ける大人って1%くらいだと思う。読める(意味を知っている)というレベルでは20%くらいじゃないかな。それくらい難しい。だけどこれを知っていないと、契約書の類とか社会保険・税金周りのこととかが理解できなくて詰む気がする。出来ればちょっとした歴史と地理と、現代社会について教えるのが理想だ。

 

常識レベルの熟語も知らない、漢字を書けない以前に言葉を知らないのだからお話にならないというレベルもあれば、中学受験マシーンみたいにやらされて、親(というか大半の大人)も知らないような難しい四字熟語を覚えよう、みたいなのをやらされているのもどうかと思う。どっちも問題。

 

だいたい親自身が教えられないのかよ。だからダメなんですよ?

その難解な慣用句とか四字熟語とか、親であるお前(誰?)は覚えているんだろうな?つまりはそういうことなんです。親が勉強していないくせに、子供にだけ塾に行かせて勉強を叩き込むとか傲慢すぎる。本を読むのは絶対的に必要なことだけど、親が読んでいないんじゃ説得力ゼロ。家に本がないんじゃお話にならない。大人の意識を高めていかなければ、再生産されるだけだ。



今すぐにはできないけど、いつかこのくだらない世界をぶっ壊したい。

 

健康に生きたければ高タンパク・低糖質食・鉄分補給が大事

『うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった』(藤川徳美)という本が素晴らしすぎた。 メンタルヘルスについて、かなり有効だと思われる知見が書いてあったので、共有するためにもブログを書く。

 

うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった (光文社新書)

うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった (光文社新書)

 


一言でいうと、うつやパニック障害について、食事療法(具体的には糖質制限+高タンパク質食+鉄剤投与)がかなり有効だというお話。

 

鉄分が足りているかという指標となるのがフェリチン値。これは鉄を貯蔵しているタンパク質。血液中の鉄分がなくなったときに、フェチリンに蓄えていた鉄分が放出される。鉄の貯金額みたいなもの。この値の正常値が日本では低く設定されている。男性は21~282、女性は5~157が正常とされているが、欧米では100以下は鉄不足だとされる。

 

うつやパニック障害で著者の精神科にかかる患者の数値を調べると5以下が多いとのこと。これは危機的に低い値。女性は特に月経、妊娠出産で大きくフェリチン値を減らす。欧米では100以上が正常とされていて、40以下は妊娠を控えるように言われる。妊娠すると胎児にフェチリン値で50に相当する鉄を持っていかれるそうだ。それなのに3とか4とかってヤバすぎでしょ。

これが5でも正常値の範囲とされる日本は異常である。


タイトルとしての引きは強いが、むしろ医学会が抱える問題の告発という部分がむしろ重要であると思った。医学教育では、栄養学や食事指導について教えないので、医師がこの質的な栄養失調について知らないというのです。いかにも時代遅れ、古い業界ではありがちなことです。

 

たとえばこんな症例を紹介している。

30代後半の女性、もともと肉が苦手で、米ばかり食べていた。パニック障害。それで当時通院していたメンタルクリニックでフェリチンを測定したところ5という低い値。それで主治医に鉄剤を処方してもらうように頼んだところ、「エビデンスがない」とういう理由で処方してもらえなかった。

 

それで筆者のクリニックで受診。高タンパク・低糖質食の指導と鉄剤の処方。1ヵ月ほどでかなり元気になり食欲が回復。1年で完治したそうです。

 

欧米の基準で低すぎるとされているフェリチン値5で、鉄剤を投与しないとか、その医師は鉄不足を解消しようという気がないというしかない。これはひどい話です。

 

筆者はもう医学論文には新しい知見は少なくて、一般書の方がよほど有益な情報が多いと言います。もちろん一般書には怪しい民間療法、明らかに危険思想なものも散見されます。だけど事実として新しい療法(抜本的な栄養療法)があり結果も出ているにもかかわらず、医学会で認められるには30年はかかるだろうと言います。どんな業界でもパラダイムシフトが定着するには時間がかかります。そんな時間を待っている暇はありません。

 

医師は医学部で「栄養学」をほとんど習わない。栄養学を知らないのに「減塩指導」や「カロリー制限」をしている。
一方、管理栄養士は「古典栄養学」を学んでいる。理論には基づかないカロリーベースで栄養指導をしている。

 

これから先の、新しい医療には「分子栄養学」が必要だと言います。身体と栄養素との関係を、生理学的、分子生物学的に研究するもので、栄養素の不足が身体の不調を引き起こすと考える。

 

鉄不足を放置していながら、延々と向精神薬を処方するとか、搾取としか言いようがありません。
医療界と製薬会社との関わりも相当闇を抱えていますからね・・それをクリーンに変えていこうとやっている暇はない。まず自分自身、目の前の人を救わないとどうしようもないでしょう。


統合失調症は「鉄・タンパク不足+糖質過多」が原因である可能性が非常に高い。気になる方は、コメやパンを食う量を減らして、肉や魚や卵を食い、鉄、ミネラル、ビタミンなどのサプリを摂ってみましょう。劇的に良くなる可能性があります。
MSC食(ミート、エッグ、チーズの頭文字)という名称があるそうです。


僕はADHDとか自閉とかアスペルガーとか統合失調とか何とかかんとか、増えてきているらしい(アレルギーも?)が、栄養状態(食事マネジメント)に原因があるんじゃないかと思っています。ファストフードが蔓延しすぎた。本書でも、母親が第三子を産むときにパニック障害を発症し、フェリチン値は4以下。第三子も言葉の発達が遅れ、自閉症+多動と診断されたという症例を紹介しています。そしてこれも鉄剤投与+タンパク質を摂るようにして改善。

 

過食症(肥満)の原因も鉄不足だと言います。

 


イクラスな人ほど、オシャレでお高く止まった野菜食っている。ステーキをライスなしで食っている。それで良いのだ。結局、経済的に余裕のある人しか健康的に過ごせないという、あまりにも残酷な現実がそこにはあるのかも知れませんね。


あと脂質も大事。「脂=太る」「脂=健康に悪い」みたいに考えている人が多いような気がする。何でそうなるのかが理解に苦しむ。太る原因はいつだって糖質(炭水化物)だ。脂は必要以上に吸収されないで排出されるし、3大栄養素の中でも2トップに入る重要な栄養素だ。僕はラーメン屋で可能なら必ず「油多め」「背油追加」をするし、この前「いきなりステーキ」で「脂身多め」とオーダーしたら本当に脂身が多くてさすがに気持ち悪くなった。泣
とはいえドヤ顔で「脂身抜きで」とかいう人を見ると、痛々しさしか覚えない。

筆者によると、バターを一日平均40~50g摂取したら、日中まったく空腹にならなかったとのことだ。糖質がなくとも脂がどんどん燃えるんだと思う。糖質を取らなくて済む。こりゃあ痩せますね。僕自身はいま、別段痩せたいという状況じゃないので良いんですが、もし太ってきたら積極的にバターを取ってみたいと思います。

 

皆さんも参考にしてみてください。

 

●まとめ

・欧米を中心とした他国では、鉄分補給対策がある。(小麦に鉄を混ぜたりしている)
・日本人女性の99%は鉄不足である
・日本人は全員、タンパク不足である。(欧米人は日本人の3倍肉を食っている)
・日本人は全員、ビタミンB1不足
。日本人は魚を良く食うので、オメガ3系の油は取れている(欧米人は不足しがち)

 

五月祭教育フォーラム2019“教育改革”のその先へ~新時代に求められる人物像とは~のレポ

今年も五月祭の季節がやってきた。


■昨日18日(土)10:30~
「時間がつくる建築の魅力:西洋の建築再利用の歴史」(加藤耕一先生)という公開講座を見ていた。

古代ローマ時代から中世を経てルネサンス、そして現代へ。長い歴史のある「再利用的建築観」に対して、近世に入ると「再開発的建築観」が始まり、近代以降は「文化財的建築観」が勢いを増してきた。特に最近の日本ではそうだ。

古い価値ある建物を守るのは(修復・保存の)「文化財」か、(破壊・新築する)「再開発」という方法だけなのか。今こそ既存建物を改変しながら「再利用」していくという方法を見直すべきではないかという提言だった。過去の事例紹介や、現在でもロンドンでサッカーチームのホームグラウンドをマンションに改築したという事例があるそうですね。これは面白かった。

 

■12:00~ZOCのステージ
安田講堂前でZOCのステージ。話題のグループなんでものすごい人だった。約40分、パワフルなステージを堪能できた。あんなに強烈なキャラをそろえているとは驚きだった。「family name」を初めて生で見ることができた。西井万理那ちゃんが可愛かった。


そういえば4年前(だよね?)仮面女子のライブを見に来たのが今となっては懐かしい。

 

■19日(日)10:00~
法学部1号館で瀧本ゼミの学生の政策提案発表会。なんか去年も見に来た気がする。一つは去年と同じテーマだった。今年は文京区の区長が招かれていた。学校の始業を遅らせると中高生のパフォーマンスがてきめんに向上するという話が面白かった。睡眠不足解消、学力向上、病欠が減少、etc。不登校にも効果があると思われる。
これはかなりの程度、真実だと思うので、是非ともうまく運用していただきたい。
思春期は生理的に最も夜型化し、その後、朝型に戻っていくという。
中高生の6:00起床は、中高年の3:30起床に相当するらしい。これは可哀想すぎるでしょwwww

 

■13:00
Y-20サミットというよく分からないトークセッションがあって、ファシリテーター有働由美子アナだったから1時間くらい覗きに行った。学生団体が6つくらい、自分たちの活動報告をしていてすごいと思った。ユニセフで20年働いている人も来ていた。

 

とまあ長々と今年の五月祭のイベントの参加レポを書いてしまったが、どんだけコミットしているんだよという気もするが、これらは主題ではない。


■2019年5月19日(日)、ROJE五月祭教育フォーラム2019“教育改革”のその先へ~新時代に求められる人物像とは~
今回のメインイベントは「教育フォーラム2019」である。

過去に何回も(去年は確実に)参加しているような気がするが、ろくにレポを書いていないので分からない。3回目か4回目だとは思う。んで毎年のことながら蔭山英男先生も目当てではあったが、今年は特に麹町中学校の校長として有名な工藤勇一先生が登壇するということで、楽しみにして1か月くらい前から予約していた。

結論から言いますと、大変刺激的でした。


まず中村伊知哉先生のお話。そういやこの前ヨシモトの社長×坪田先生の講演の時にもいたなあと思い出したのですが、よく存じ上げませんでした。だけどすごいプロジェクトを動かしている人だった。
3つのことを2020年に大きく動かすという。それが「超人スポーツ」「街づくり」「学校を作る」

 

特に後半二つがすごかった
街は竹芝に40階くらいの巨大なビルを作っていて、あらゆる文化と行政と産業と、まあとにかくそこで全てが完結するような街を作るんだって。そしてあらゆる意味で特区にして何でもチャレンジできる世界。中国の経済特区みたいに、日本に新たに全く新しい、チャレンジングな場所ができるかもしれません。

 

そして関連して「i専門職大学」というものも2020年に立ち上げるとのこと。先日吉本がNTTと組んで100億円出資してもらったというヤツとも絡んでいるんですね。


メモ:
客員教授100人」(←これはもう超えてて200人になるかも)
「全員入社」(全員が就職できる関連企業を新たに作る、既存の企業への就職率は0%を目指す)
「全員起業」大学在学中に必ず全員が起業するという経験をする
「教員特区」
「パスポート」
東京は世界的に見てもクリエイティブな街だから、羽田の玄関口×成田の玄関口(墨田×竹芝)にぶち上げる。


ここ3年くらいで、明らかに教育にまつわる動きが大きく変わっているように思います。それが学校を作るという流れです。N高校は動き始めて4年目ですし、苫野一徳先生も作るし、ホリエモンも作っているし、そして「i専門職大学」なんてのがもう2020年に動き始めるんですね。詳細はこれから分かっていくと思うのですが、楽しみにウォッチしていきたいと思います。

 

そして工藤勇一先生のお話。著書も読んでいて具体的な教育改革はなんとなく知っていましたが、生で話を聞くとやはり違いますね。本質を徹底的に追及している。勉強時間が増えることは良いことか。宿題は必要か。服装指導は必要か。体育祭をはじめ、あらゆる学校行事の一番の目的は何か。詳しくはこれを読んでください。→

 

 

重要なキーワードは「当事者意識」、「絶対に人のせいにしない」、子供に「世の中はまんざらでもない」と思わせること、と言ったところでしょうか。

定期テストを廃止したのは有名ですが、代わりに単元テスト(受け直し可能)を実施している。
非認知能力の価値がよく言われているが(AO入試など)、結局はペーパーテストで受験を戦わなければならない。これがなくなれば単元テストも辞めたい、とのこと。まだまだ実現したいけどできない理想はあるのだなと思った。


■蔭山英男先生とバッチバチ
「漢字を何回も書かせられても意味ない。昆虫図鑑で漢字は覚えられる」みたいなワードが出ると蔭山先生の顔がちらつくwww
確かに前提がどのようなレベルを想定しているかという話はありますね。
大体、麹町中学というのが都心の超ど真ん中、日本の中枢に位置しているというのがまあ極端ではある(校舎の6階に温水プールがあるとかね)。教員のレベルも注目度も高いでしょう。
全く教育が機能していない、授業が成立しない、生活保護が当たり前、生活保護を獲得するための逆教育を施す、みたいな世界もあるわけです。こちらはまた別の対応が必要ですよね。

まあ見ている所はおんなじなんだと思いますよ。当事者意識をもって、生きる力を身につけさせることだ。

 

子供はその環境での教育に晒されるしかない。であるならば、もうあとは教員の質を上げることと親(大人)を教育するしかないと思いますよ。スズカンさんの言葉の中で「子供を持つ家庭は23%しかいない、つまり77%は教育にお金を使わないでほしいと思っている」という煽りがありましたけど、本当にそうでしょうか。少子化なのはその通りですが、自分が子育てをしているかどうかって関係ないと思うのですが。教育は近い未来の国造りそのものなんですから。まさにそのところに当事者意識のない大人があまりにも多いっていうことでしょう。
ただし教育費の無償化は相当上手くやらないと良い結果にならないと思いますけど。


工藤校長は当たり障りのない、ふわっとした、感情に訴えるような(心を一つにとか、がんばるとか、みんな仲良くとか)、そういう言葉が大嫌いだということを繰り返し述べていて面白かった。まったくもって、これまでの教育現場でさんざん使われて、使われ過ぎて伝統化した、諸悪の根源ですわ。要するに思考停止しましたという証です。しかし大学の教育学部ってそういう言葉で濁していかないと通過できない場所なんですよ。教育実習も。これは本当に大きな問題だと思いますね。

 

教育畑のど真ん中にいる人が、これだけズバズバ本質を突いて、実践しているのってかなりレアなケースなんじゃないでしょうか。なんか最近、現役の教師が効率化とか生産性を上げるみたいな方向性が(主にTwitterとかで)盛り上がっていて、まあそれも一つは良いんですけど、社会全体の意識改革みたいなところにアプローチしていきたいですよね。丸付けのテクニックとかじゃなくてね。麹町中の改革のように公教育のど真ん中からと、既存の学校ではない全く新しい学校を作るという方向からも動きがあって、本当に良い動きが実現し始めているんではないかという予感がします。


そういうわけで、今回の教育フォーラムは過去最高に満足度が高かった。ありがとうございます。

スチームガールズの黒瀬サラちゃんがアリスプロジェクト卒業を発表した

2日前に、「聞いてほしいことがあるので公演に来てほしい」というツイートがあった。なんか唐突だったし、50%くらいの確率でそうなんだろうなと思っていた。だからこの2日間は気持ちが落ち着かなかった。そしてどんな発表にせよ、その瞬間を見届けたいと思ってめったに行かない日曜の夜公演に入った(恥ずかしながら、推しの生誕とよほどの記念日にしか行かないので)。

 

スチガはトリで、各ユニットが45分もあるロングステージだからそれなりに楽しんでしまった。わりと空いていて快適だったし。アマガで紫をふりふり。十番で赤をふりふり。楽しかった。でも十番の終盤になるとそわんわんしてきた。

スチガのステージではもっとそわんわんしてきた。一応振りコピして楽しむのと、立ち尽くすのと、交互にやってきて、何とも言えない気持ちに支配されてた。MCも頭に入ってこないし。夏はどうしたいとかどこに行きたいとかいう話をしていたけど、そこにサラちゃんはいるんだろうかとか考えた。ラストの「destiny」ではしほりさん泣いてたし・・ラスト前には「星たちよ☆」。もうそういうことですやん。それしかないですやん・・・

 


そしてライブが終わって最後の挨拶で、しんと静まり返った。今年の8月31日で仮面女子、スチームガールズを卒業、アリスプロジェクトを対処することが告げられた。いよいよなんだなって思った。受け入れるしかなかった。前に進むしかなかった。辛かったけどとにかく握手に行った。今日の発表を肯定する言葉だけは伝えたかったから。

サラちゃん以外のメンバーが泣いていた。僕もかける言葉が良く分からなくて変な感じになってしまった。きっと気を使ってくれているんだと思った。

 

サラちゃんは笑っていた。「よく決断したね。よく発表したね」と言ったら「すごく緊張した」と言っていた。
「僕は泣いたよ」と言ったら「泣いたの?ぜんぜん目乾いてるよ」と言われてしまった。サラちゃん!僕も大人だからさ。「泣いた」っていうのは比喩的な意味で、「心の中で泣いた」ということだよ。そんな返しもさすがサラちゃんだな~って思った。

 

 

この日の夜はセンチメンタルなモードになってしまった。回顧厨にならざるを得なかった。

仮面女子とかスチガとかを推し始めたことを初めて書いたブログとか

 

こんな記事も書いたなあ。

スチームガールズの黒瀬サラちゃんに関する文章(ピックアップメンバー) - ちろうのレイブル日記

 

そして一日あけて今、Twitterに駄文を書き散らしている。今この気持ちを備忘録的に書いておきたかったからブログを書いた。
とにかく、今年の8月31日まで楽しむしかない。たぶん8月中に生誕祭があって、31日に卒業公演があるのかな。これまた生誕実行委員とか大変だと思うけど(泣)。僕もできる限りは協力したい。

 


仲の良いメンバーがたくさんブログを書いてくれた。本当に素晴らしい。泣いた。ありがとう。

サラ卒業発表。 | 川村虹花オフィシャルブログ「なあちゃんにっき♪」Powered by Ameba

サラちゃん | 森下舞桜オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

 

 

 

これもサラちゃんらしさが存分に出た、素晴らしいレポート。

www.tokyo-sports.co.jp

ぼくの平成史を振り返る

平成という時代を通過したので、僕の平成史を振り返ってみたい。

 


■平成元年(1989年)5歳
総和保育園。記憶なし。

 

■平成2年(1990年)6歳
高山市立北小学校入学。

 

■平成3年(1991年)7歳
■平成4年(1992年)8歳
■平成5年(1993年)9歳
Jリーグ開幕。
サッカー少年団に入らされて、トラウマになる。この件に関しては、母親を生涯絶対に許さない。明確な子育て失敗だと思っている(ついでに言うと低学年時にボーイスカウトに入れられたことも)。

 

■平成6年(1994年)10歳
サッカーを辞めて、スイミングスクールに通う(初めての自分の意思での習い事)。これは皆勤賞を取るなど、自分に合っていたようだ。

 

■平成7年(1995年)11歳
阪神淡路大震災。よく実感していなかった。
修学旅行で京都・奈良。
なぜかシャ乱Qにめちゃめちゃハマった。たぶん「シングルベッド」「ズルい女」「空を見なよ」が良曲過ぎたため。「THE夜もヒッパレ」をよく見ていたから。

 

■平成8年(1996年)12歳
高山市立中山中学校入学。陸上部に入る。
(ちなみに2学年上の兄が、この年にサッカー部ながら陸上競技の県大会の1500mで優勝したり、駅伝の県大会で区間賞、優勝→全国大会出場などして、その背中を見る。とりあえずすごかった。あと生徒会長もやっていた)
SPEEDがデビュー。島袋寛子がとにかく好きだった。


■平成9年(1997年)13歳
ASAYANでオーディション企画が始動。当然の如くモーニング娘。を好きになるが、きっかけはシャ乱Qつんく)が好きだったことによるもの。モーニング娘。デビュー。
いつから始めたか忘れたが、市民時報という地域新聞を配るバイトをして、月12000円ほど稼いでいた。ごくたまに親に手伝ってもらったが、それが一般的なお小遣いの代わりということで。それで欲しいと思うものは基本的に我慢せずに何でも買えた。
それでSPEEDのCD、モーニング娘。のCDなどはほぼ全て発売と同時に買っていた。

 

■平成10年(1998年)14歳
生徒会長を務める。なんにもしなかった。
秋の駅伝の県大会で3位入賞。僕は区間2位だった。その時の区間賞だったのが一学年下の別の中学の奴で、のちに高校の陸上部で後輩になった。
ナゴヤドームにSPEEDのコンサートを見に行った。遠すぎて良く分からなかった。

 

■平成11年(1999年)15歳
高校入学。陸上部に入る。

 

■平成12年(2000年)16歳
陸上の新人戦という県大会で3000m障害で2位になる(ちなみに2年前に兄が優勝している)。
このあたりで初めてケータイ電話を買ってもらった気がする(今は亡きJ-phone)。

 

■平成13年(2001年)17歳
9.11同時多発テロ
部活では良いとこなし。受験はぼちぼち。ろくに頑張らずに行けるところで、って感じ。
受験勉強がイヤだったので引退後にも部活に行き、11月に行われる校内マラソン大会(14キロ)に照準を定めてこっそり練習を積む(現役の陸上部は駅伝大会があるため毎年不参加、僕自身この年が初参加だった)。
それで2位に4分の大差をつけて圧倒的な優勝を飾る(2年前に兄が優勝している)。
クラスの平均順位でランキングを付けていて、このときクラスが全校で一位、前年も僕が不参加だったにもかかわらずクラスが全校優勝しており、不思議と皆長距離がつよいクラスだった。やはりサッカー部、バスケ部、野球部などは安定して強い。

 

■平成14年(2002年)18歳
岐阜大学教育学部に入学。陸上部に入る。部活しかやっていない日々。酒好きの先輩と仲良くなってよく飲んでいた気がする。先輩にはずいぶん可愛がってもらった。
家庭教師のトライの内部のバイトを2か月やっていた。マジでトラウマだった。二度とこんな思いはしたくないと思った。
そのバイト代を使ってヤフオクで車を買った(ミニクーパー)。

 

■平成15年(2003年)19歳
大学2年。春の新入生歓迎花見で、ウイスキーを一気飲みして意識を失ったりしていた。
先輩の影響でGLAYが好きになった。今さら感はあったが、いい思い出。

 

■平成16年(2004年)20歳
大学3年。
7月にGLAY EXPOを見にUSJへ。前日にUSJを遊び倒したのと夜に前夜祭ライブが生で見れて、一緒に行った子がバイトがあったため結局ライブ本番が見れずに一緒に帰ったが、ほろ苦くもめっちゃ楽しくていい思い出。
秋には教育実習などに行っていた(9月に中学校、11月に小学校)。楽しくなかった。

 

■平成17年(2005年)21歳
大学4年。4月の東海インカレ(東海地区の大学生の大会)で最後の華々しい大活躍をする。1500m、3000m障害、5000mの3種目全てにおいて自己ベスト更新、入賞(6位、7位、8位)という偉業を達成。燃え尽きる。
岐阜県選手権という県大会で3000m障害で2位入賞(1位が名古屋大学の兄に惜敗、飛騨の稲垣兄弟の名を轟かせる)
その勢いで人生で最初で最後のフルマラソンを走る(非公式、3時間17分)。
無理がたたったのか夏ごろには足(腸脛靭帯)が痛くなって、事実上の引退(そこから今に至るまで、長い距離が走れない。登山なども厳しい)。
愛知万博長久手)を見に行った。たしか会期の後半ギリギリだった記憶がある。行って良かった。
夏に教員採用試験を受けるも一次試験で不合格に。岐阜県教育委員会を許さない、二度と教員採用試験など受けるか、と決意する。そして上京してお笑い芸人を目指すという進路がいよいよ現実味を増す。
合宿と銘打った、ただの泊りの旅行を色々企画し、仲の良い先輩と後輩で和歌山(温泉&BBQ食べ放題)行ったりお互いの地元(高山とか愛知県の端っこ)行ったりしてて、これが大学生活で一番楽しかった。
卒論が本当に嫌すぎてトラウマになり、今でもたまに「大学卒業が迫っているのに卒論を書いていない」という夢を見る(大学に入り直して同じ結末を迎えるという夢)。大学卒業が迫り、採用試験は落ち、就職も決めていないという状況で部活に行き、同期や後輩たちに変な気を使わせていたのだろうなと今になって思う。
大学を通して華やかな青春はなかった。

 

■平成18年(2006年)22歳
大学の卒業旅行は韓国と九州一周。
大学卒業後、東京へ進出。高円寺のボロアパート和室六畳一間、風呂なし家賃37000円に住む。お笑い芸人になるとかいう寝言を抜かしてワタナベのコメディスクールへ(10月入学)。ここに通いながらコンビニ(スリーエフ)でバイトを始める。これで東京のリアルというものに少しは触れたのかもしれない。ここのオーナーがパワハラ体育会系お祭り系ロークラス低学歴(アンチ高学歴)マイルドヤンキーだった(右腕がガングロギャル)。4年くらいバイトしてたけどずっと嫌われてて、最後の日も一切の挨拶もなかったしこちらからもしなかった。挨拶なしってすごいよね。これはキヨキヨしかった。

ヲタ活的にはAKB48にハマった。

 

■平成19年(2007年)23歳
1月2日から大学の先輩、後輩らと沖縄2泊旅行。こんな時期に旅行したのは人生初。
9月にコメディスクールを卒業した。何者にもなれなかった。惰性でインディーズお笑いライブにも出たような気がする。記憶が崩壊してる。
AKBヲタ活が全盛で、100MVPを行使したり、生誕委員で充実したり、ヲタ仲間と朝までファミレスで過ごしたりするのが楽しかった。転売にも手を出し始める。

 

■平成20年(2008年)24歳
AKB劇場に徐々に入れなくなるのに伴って、悪いヲタクになる。ガチャをたくさん買ったり、チケットをたくさん買ったり、写真をたくさん買ったりする。小林〇〇ちゃんの生誕実行委員長を機に燃え尽きる。指原莉乃ちゃんと出会う。地下アイドル(ももクロなど)が熱くなってくる。メイド喫茶に目覚めて通いまくる。

メディスクール時代の同期のよいこさんと伝説のエンタテインメントユニット「ダイナマイトキャッツ」を結成。何回か事務所所属オーディションライブに出る。これも多分5,6か月くらいで解散を迎える。だけどその後いろいろな縁があり、関係は今でも続いている(のちによいこはYoutuberに→

よいこチャンネル - YouTube

)。

 

■平成21年(2009年)25歳
コンビニバイトを辞めて本格的にニートになる。とにかくヤフオクをがんばる。地下アイドルをちょこちょこ開拓し始める、メイド喫茶遠征期。毎日遊んでた。

 

■平成22年(2010年)26歳
高円寺のボロアパートを引き払って、元々姉が住んでいた目白のマンションに引っ越す。クラスアップ(親に感謝)。
アイドル戦国時代の幕開け(ももクロ東京女子流スパガぱすぽ☆デビュー)。個人的には引退。
海外旅行に目覚める。1月にタイ。3月に台湾。10月に香港・マカオに旅行。(台湾・香港のメイド喫茶にも訪れる)(香港のAKBショップ開店を記念した握手会に参加するというヲタ活)

 

平成23年(2011年)27歳
ハローワークで職探しの日々。3ヶ月だけ出版社でアルバイト。ちょっとFXにも手を出す。

3月に東日本大震災。ちょうどバイトで、編集部員を装って慣れないスーツ着て某大企業の応接室に乗り込んでいるときだった。すぐに帰社して、帰れない社員がいたこともあり、社長の鶴の一声でなぜか池袋で終電近くまで飲んだ。僕は徒歩で帰宅。
(このバイトは何回も正社員になることを勧められ、何回も断った。その話を母親にしたので、未だにあの時の社長に頭を下げて雇ってもらえんか?と言ってくる。正社員信仰なので)

夏に某たかめがの手伝いでコミケに売り子として参加。創作意欲がふつふつと沸いてきて、俺がやるしかねえと決意する。

12月、冬のコミケに向けて初めての同人誌「AKB48とは指原莉乃のことである」を作る。150部くらいを手作りしたが、ペラ紙に両面印刷して、製本加工してもらったらとんでもない手間がかかった上にコストも高くついた。恥ずかしいくらいのクオリティだが、良い勉強になった。指原さん本人にも渡した。

 

平成24年(2012年)28歳
2月に一人で沖縄、久米島へ。ギークハウス沖縄にお世話になる。久米島の居酒屋でバイトしようとして3日で逃げ出す。沖縄では北谷の中日ドラゴンズのキャンプで山本昌さんにサインをもらうなどする。
5月に大分へ聖地巡礼。大分芸短大で「指原莉乃論」という謎の講義を聴講。
宇野常寛さん、濱野智史さんが主宰するPLANETS「AKB研究会」の門を叩く。6月にAKB総選挙、指原さんのHKT移籍、ゆび祭り。8月のコミケでは「指原莉乃2.0」を作成し、印刷会社でつくる本の美しさに驚愕する。
宇野さんに「ちろうのAKB体験記」を連載することを勧められ、濱野さんとは共に地下アイドル現場に入り浸る。アイドルカレッジにハマる。
この年くらいで、AKBグループの通常版CDを大量購入するという消費行動を辞める。

 

■平成25年(2013年)29歳
4月に福岡へ。HKTの握手会とNMBのコンサートを回す。
6月に大分聖地巡礼指原莉乃さん初めての総選挙1位獲得を、地元大分の人たちと一緒に盛り上がる。
8月に同人誌「指原莉乃に会いに行く」を作成。
9月にアイドルカレッジ名古屋・大阪遠征。


平成26年(2014年)30歳
8月「アイドル<ヲタ>になる方法」「ちろうのAKB体験記」を作成。縁があって田中秀臣さんに寄稿、岩崎夏海さん(ハックルさん)にインタビューをお願いする。
池袋西口公園で「肉汁祭り」を盛り上げるアイドルユニット「肉汁ガールズ」に出会う・・その後、月野もあちゃん、黒瀬サラちゃんに辿り着くのに時間はかからなかった。仮面女子にハマる。

年末に某所で学童保育の仕事を始める。

 

平成27年(2015年)31歳
年をまたいですぐに学童保育の現場が大いに問題を抱えていると思って辞める。すぐに個別指導塾での仕事を始める。これは今でも続いている。それに伴って、自分も勉強にハマる。
アリス・イン・アンダーグラウンドの世界に迷い込み、同人誌「仮面女子の研究☆」を書く。

 

平成28年(2016年)32歳
同人誌「アイドルと文学 vol.1」(偶像少女文学会)に超絶アイドル論考「あなたは仮面女子を推してもいい」を書く。
年末に同人誌「本当によい教育を実現するための覚書」を書く。

 

■平成29年(2017年)33歳
自分の勉強を継続しつつ、講演に行ったり本を読んだりざっくりと教育について考えていた一年。インプットの一年。

 

■平成30年(2018年)34歳
小説を書き始める。アウトプットに転じる。

 

平成31年(2019年)35歳
元号が平成から令和に変わる。

 


コメント:
2016年の初めにこんなエントリを書いています。

これまでの10年間を振り返ってみた(ヲタ活編) - ちろうのレイブル日記

これはハックルさんのブロマガに倣ったもので、今回もまたそうです。


ハッキリ言って平成初期の記憶はないです。小学校低学年とかですから。基本的に部活がらみと、好きな歌手やアーティストの遍歴が記憶にかかわってきますね。わりと恥ずかしい記憶もありますが、いろいろさらけ出してしまいました。部活のこととか書きすぎ。兄が登場しすぎ。トラウマ抱えすぎ。だけど正の方向にしろ負の方向にしろ、記憶に根強く残っているものが、その人の価値観を形作ったりしていますよね。つまりは本質なんです。だから僕はトラウマと向き合いたい。

 

東京来てからはヲタ活と同人誌活動ばっかりですね。


皆さんも振り返ってみてください。何卒よろしくお願いします。