ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

(一部の)くだらない学習塾の世界を、ぶっ壊す

何か最近、学習塾界隈の中にいて「この世界は間違っている」という思いが沸々と湧いてきている。生産性を上げるとか、世の中の変化に適応するというのなら、まずこの業界から変わらないといかんやろ、と思っている。

 

いや、僕の見ている世界なんてごく限られた狭い範囲だし、学校にはまた違った問題があるだろうし、それでなくても幼児教育、右脳開発、ハイレベルな塾、経済的な問題などを抱えている子供向けの無料塾、大学受験の予備校とか、あるいは大学においてなど、それぞれの世界で存在価値と問題があるのだとは思いますが。


やっぱりペーパーテストで人を試験するというのは本質的には間違っていると思う。それが有効な場面はあるとは思うが、学校に通う全ての子供にテストを課すというのがどうしても無理がある。そこに簡単に適応できる子供は、まあ困ることはないだろう。全然苦手だとしても、そこでふさぎ込んでしまうのではなくて、自分なりの長所を別のところで見出していけるのならいい。

 

問題は、中途半端な適応力しかないのに(あるいはほとんど適応してないのに)、落ちこぼれたらまずいと焦って、家の近くにある適当な学習塾にぶち込まれて何の役にも立たない勉強(らしきもの)をやらされることだ。これこそが究極のお金と時間と精神の無駄遣い。まあ子供に時間の大切さなんて分からない。お金は親が勝手に払っているだけだ。それだとしても精神を削られているのを見るのは忍びない。全然楽しくない、意味も分からない苦行を、延々とやらされるのだ。徐々に目は死んでいき、自分は何がやりたいのかも忘れ、勉強の成果も上がらない。そもそも向いていないフィールドで闘わされているのだから。

 

自由に遊んで家族旅行に行き、家で本を読んでいる(ニュース番組を見ている)、文化資本の備わっている家庭の、特に塾にも行っていない(家庭での勉強時間も少ない)子供に、テストでボロ負けするのだ。受験は平等(あるいは当日次第)だという甘い夢を見て、中学受験とやらに突っ走ってしまったら最悪。万が一にも結果(勝敗)が覆るわけがない。当然のごとく敗北を喫することになる。

 

こんな残酷でみじめな話は当然回避するべきなのだと思うけど、これが人間社会というもので、避けられないものなのかもしれませんね。敗者がいるから勝者がいるわけで。みんなが同じことやってたら「(相対的に)うまくやる」ということもないわけで。良いよ別に。クソほどくだらない個別授業を準備して(学生を手配して)お金を取る人がいて、全く無意味にお金と時間を捨てる人がいて、世の中が回っているのだから。勝手にやっていてくれ。


最近、特に小学生なのだけど、無理な戦いを強いられていて、それは親のエゴでしかなくて、本人は疲弊して精神が死にかけている様子を見ることが多くて、いたたまれない。こんな状況が放置されている現状が許せない。それなのに、何か僕自身が厄介者であるかのような扱いを軽く受けていて、その点に関しては今本気でキレています。どうやら「本当のこと」を言うのは止めてほしいらしい。お金の生まれる場所というのは、欺瞞で塗り固められている。

 

少し具体的に書くと、僕が「これは本人のためになっていない。ぬるい。大いに問題あり」と判断した児童に対して、ゴリゴリに詰めていたら「怖い先生だ」という判断をされ、会社の人間から「もっと優しい対応をしてくれませんか」と言われた。それに対して「子供の言い分など気にしない。そっちの采配で勝手にやってくれ」と突き返したら授業を担当しなくなった。だから今は地獄を傍観しているところ。

だけどこれは僕の精神衛生的にも良くて、世の中うまくできているなーと思わなくもない。精神的に未熟な子供が当たらなくなった。まあ眺めているだけでもそれはそれでストレスたまるんだけど。あのさあ、子供の言い分になんで忖度してんの?心が弱くて、自分の都合のいいように言うのが子供だってことを知らないのかね。だから付けあがるんだよ。お友達気分で楽しくおしゃべりできる、優しい先生が良いのらしい。

 

それに積極的に応えてしまう塾ってどうなんですか。お金さえ払ってもらえれば大切なお客様ですか。共依存。共犯関係。当然テストの点数なんか上がらなければ、非認知能力の向上も見込めませんね。通り一遍のドリルをゆっくーり進めているだけなんですから。


そもそも僕としては、例えば小学校卒業段階で、小学生が習う漢字を(ほぼ)完璧に覚えていない人間は、まあその先の学びに進む必要がないんじゃないかと思うわけです。だって言葉を知らない可能性が高いですから。

 

中学3年間を使って、漢字(熟語)を徹底的に覚えるというのが有効だと思う。もう他の余計なこと(英語とか)はやらなくていい。中学3年間の範囲まで広げると、これは大変なことだよ。言葉自体も、漢字も、かなり難しい。ハッキリ言って中学までに習う漢字を完璧に書ける大人って1%くらいだと思う。読める(意味を知っている)というレベルでは20%くらいじゃないかな。それくらい難しい。だけどこれを知っていないと、契約書の類とか社会保険・税金周りのこととかが理解できなくて詰む気がする。出来ればちょっとした歴史と地理と、現代社会について教えるのが理想だ。

 

常識レベルの熟語も知らない、漢字を書けない以前に言葉を知らないのだからお話にならないというレベルもあれば、中学受験マシーンみたいにやらされて、親(というか大半の大人)も知らないような難しい四字熟語を覚えよう、みたいなのをやらされているのもどうかと思う。どっちも問題。

 

だいたい親自身が教えられないのかよ。だからダメなんですよ?

その難解な慣用句とか四字熟語とか、親であるお前(誰?)は覚えているんだろうな?つまりはそういうことなんです。親が勉強していないくせに、子供にだけ塾に行かせて勉強を叩き込むとか傲慢すぎる。本を読むのは絶対的に必要なことだけど、親が読んでいないんじゃ説得力ゼロ。家に本がないんじゃお話にならない。大人の意識を高めていかなければ、再生産されるだけだ。



今すぐにはできないけど、いつかこのくだらない世界をぶっ壊したい。