ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

同人誌新刊「本当によい教育を実現するための覚書」について&まえがき公開

皆さんこんにちは、チロウショウジです。2016年12月29日(木)、冬のコミケにて同人誌新刊『本当によい教育を実現するための覚書』を発表いたします。今回はそのまえがき(「はじめに」)を公開します。

前回『仮面女子の研究☆』から約1年半の沈黙を経て、これまでの自分の好きなアイドルについて語るものから一転、まさかの教育論をブチ上げることになりました。このような展開に皆さんは驚かれるでしょうか?しかし僕はここ数年、この日本の教育についてずっと考えてきた人間であり、また個別指導塾という場所で約2年間働く中で、いよいよどげんかせんといかん(by東国原氏)という思いが強くなってきました。そして、今なら書けるというタイミングを迎えたような気がしたのです。ですので自分的には「ついにこの時がきたか」というような心境です。

今回は全て一人で書きました(いろいろ引用はありますが)。しかしその思想は、両手では数え切れないくらいのメンターの著書、発言から影響を受けて形成されています。その結果、約9万字、全120ページという量になってしまいました。自分でも「何をやっているのだろう?」と思わないではありません。しかし自分で読み返してみると、今考えていることは一通り書けたのではないかなという自負があります。本書では、学童保育の問題点、個別指導塾の問題点、予備校の問題点、現行の公教育の問題点を順番に挙げていき、では本当によい教育を実現するための「場所」とはどのようなものかについて考えています。

その際に、特に僕が実際に働いた「学童保育」「個別指導塾」については、本当に目も当てられないような勢いでボロクソにこき下ろしています。これは万が一ですが、かつての職場の人間に見られたら本当にマズイものです。ですので、心当たりのある人はくれぐれも見ないようにしてください。お願いします。

さて、こちらは2016年12月29日(木)のコミケ1日目にお披露目、またコミケ3日目にもどこかの委託で頒布し、同時にこれまでと同様、申し込みフォームから取り寄せできるようにします。また改めてお知らせします。


それではまえがきを是非読んでみてください。

■はじめに

皆さんはじめまして、ちろうです。僕は今、教育についていろいろ考えています。そしてまた教育は、常に社会問題の重要なトピックでもあります。2020年には大きな教育改革が行われようとしており、例えば2019年度を最後にセンター試験が廃止され、高校内容の知識の定着を図るための「高等学校基礎学力テスト」と、大学入学希望者を対象に行われる「大学入学希望者学力評価テスト」という2つのテストに切り替えることが検討されています。これまでの正解を見つけるための「詰め込み教育ドリル」から、正解のない問いを探求する「アクティブラーニング」へと転換すべく、準備が着々と進められていると言われています。少子高齢化グローバル化が進む世の中にあって、教育はますます社会の関心の中心となっていくでしょう。

本書では、自分なりに教育というものについて考えたことを書いていきます。僕は大学を卒業して上京、約8年間社会勉強と称してふらふらし、学童保育の仕事を経て、現在はとある個別指導塾で働いています。その中で、これまで本で読んだり、社会の問題として見聞きしていたことが、教育の現場にも間違いなくあるということを実感するようになりました。そしてこれは教育に限らないのですが、時代を経るごとに社会全体が息苦しくなっています。この状況にうまく適応するべく、今できることは何なのか。そこでまずは、自分自身のこれまでのことを少しお話しようと思います。

僕は岐阜県にある岐阜大学というところの教育学部を卒業しました。今から約10年前のことです。大学4年時に中学校の教員採用試験を受け、不合格に。このときに僕は人生の選択を迫られることになります。教員の道を目指すのか、全く別の道に進むのか。もし教員というものが将来の明確な目標であるならば、ここでやることは一つです。自分の住んでいる都道府県の教育委員会に講師登録をし、常勤ないしは非常勤の講師となること。そして学校の先生として働きながら次の年の教員採用試験を受ける、ということをするだけです。よほど人格的に問題がなければ、教師としての人生を始めることができます。
しかし僕はそれをしなかった。それはつまり、少なくともその時点では学校の先生になりたくなかったということを意味しています。今考えれば、僕は教員採用試験に「受かったらどうしよう」「くれぐれも受かってくれるなよ」という気持ちで臨んでいたように思います。そんな甘い考えの人間が、教員採用試験に受かるはずがありません。まかり間違って合格などしようものなら、1年と持たずに逃げ出すに決まっています。その甘さを見抜いた岐阜県教育委員会は大したものだと言わざるを得ません。

■ダメ人間への道まっしぐら

さて、全く別の道を進むことを決意したわけですが、その別の道とは「お笑い芸人になる」と宣言して就職もせずに上京するというものでした。イヤな予感しかしません。ダメ人間への道まっしぐらです。これも今考えれば分かるのですが、モラトリアムを延長したかっただけです。お笑い芸人への道は2年ほどで挫折しました(うち1年は養成所)。しかしここで学びがなかったわけではありません。そこで強烈に学んだことは、芸能界というものは「強い意志(=努力)」と「才能」が必要な世界であるということ。何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、これは僕の中に体験を伴った大きな思想形成につながっていきます。そしてまた、自分がかつてお笑い芸人に憧れを抱いていたという気持ちはほろ苦くも大切な思い出であり、今でもお笑いが好きで、挫折した経験があるからこそ現役のお笑い芸人に対するリスペクトは人一倍持っているつもりです。これについてはまた別の機会に詳しく書くことにしましょう。

その後、アルバイトをしながらアイドルヲタクになったり、転売で生計を立てたり、ニートを満喫したり、コミケに出すための同人誌を作ったりと、やりたいことを赴くままにやってきました。気づけば上京して10年が経ちました。貯金はゼロです。これまでに親にかけた経済的な負担、精神的な苦労は、とても計上できないものになっています。でも安心してください、生きています。犯罪も犯していないし、精神も病んでいないし、盆と正月には実家に帰り、親に顔を見せる程度には良好な関係を築いています。

■教育への回帰

この10年は放蕩の日々ではありましたが、それは同時に勉強の日々でもありました。そして30歳の大台に手が届き始めたときに猛烈に焦りを感じ、本当にやりたいことはなんだろうと考え始めました。やりたいことというのは少しニュアンスが違うかもしれません。これこそが自分がやるべきことだと言えるようなものは何か。そのヒントは、好きなこと、得意なこと、他と比べて相対的に苦に感じないようなことの中にあります。そのように本に書いてありました。そして自分は文章を書くこともわりと好きで継続しているのですが、いろんな分野に限らず、自分が知っていることを初心者にあれこれ教えることがかなり好きなのだと思いました。それでおぼろげながらに見えてきたものが「教育」だったのです。それも公教育を変えるとか、世界の教育格差をなくすとか、正しい教科書を作るとか大層なものではなくて、対面の、フェイストゥフェイスの教育です。大学進学時に「他に適当な学部がないから」と消去法的に選んだ教育の分野でしたが、そこに回帰してきたのです。これには自分でも驚いたのと同時に、こうも思いました。「まあ分かっていたんだけどね」。ただそれを始める勇気がなかった。仕事としては全くの未経験。大学時代に教育実習と、少しの家庭教師をやったことがある程度です。

「教育」とはいっても、もう一度教員採用試験にチャレンジするということではありません。公教育は違うと思ったからです。昨今、学校教員の職場環境の悪さが叫ばれています。モンスターペアレントの問題、長時間労働、学級崩壊、いじめ問題、心を病んでうつになる、人手不足が常態化している、部活という名の休日出勤など、それはさながらブラック企業のように言われています。すでに覆われてしまったある種の空気に対して、まさにその空気の中に入って抗うことは相当に難しい。これは責任感とか根性とか、子供が好きという気持ちだけでどうにかなるレベルを超えています。現役の先生方には最大限の敬意を払いますが、僕にはできそうにありません。

そうなると次に思いつくのは学習塾です。学習塾にも東進衛星予備校に代表されるような難関大学合格を目指すための予備校、難関中学・高校の合格者数を競うSAPIX、鉄緑会などの進学塾、学校の授業についていくことをサポートするための個別指導塾など様々あります。自分は地方出身のため、残念ながら中学受験を経験していないし(中学校、ましてや小学校に受験がある世界を知らなかった)、難関大学を目指す生徒を指導するだけの学力もありません(学歴も自信もありません)。申し訳程度に、小学校・中学校教諭免許を持っているだけです。ここでもやはり消去法の結果、またそのハードルの低さから、チャレンジしたのがとある個別指導塾でした。これが30歳の時です。
これは学生がするアルバイトとしても定番であるくらいに手軽に始められ、時給も悪くないという、好条件が揃っている仕事でした。そこから2年が経過し、貴重な経験を積ませてもらっていると同時に、ある種の限界を感じています。青天の霹靂で時給が下がるという憂き目にも遭いました(詳細は省きますがM&A的な何かです)。しかし本質はそこではありません。一言で言うと、本当によい教育が行われていないと感じています。規模の大きな塾は大抵、全国展開をしています。そうなれば教室運営も指導方針も一括管理になり、きめ細やかな対応は難しくなります。ある時点でどうしても売上至上主義に舵を切らざるを得ず、マニュアルが優先されるようになります。これは構造的に避けられないのでしょう。そして中学校の目の前の定期テストで良い点数を取ること、具体的には教科書に沿った問題集をやらせているだけで手一杯になっています(しかも全く効果が上がっていないという大問題があります)。

ここに来て、手詰まりになってしまいました。本当によい教育はどこにあるのだろう。そんなことをずっと考えながら、この個別指導塾での2年間の経験(未だ継続中です)に加えて、教育に関する本を読み漁ったり、評論家・思想家の言葉に耳を傾けたり、意識の低い学習環境(職場)に嫌気がさして成績上位者(富裕層)向けの塾講師の求人に応募してあっさりと不採用になるなどの経験をする中で、ひとつの結論に達しました。それは、自分にとって完全に理想的な教育を実現するには、自分自身でそれを実現するための場所を作るしかないということです。
それは従来型の集団指導の塾や、個別指導塾ではありません。一言で言うとサロン的・コミュニティ的・寺子屋的なイメージでしょうか。それが具体的にどのようなものなのかということは、本書の中で説明していきたいと思います。本書は、僕が実際の経験の中で感じた現行の教育現場の問題点と、そう考えるに至った経緯、そして本当に良い教育が行われる場所とはどのようなものかという考えを形にしたものです。

ちろう


近日中に、目次などの詳細、頒布方法なども公開していく予定です。コミケに来られない方にも、通信頒布や秋葉原での直接手渡しをすることもできるので、ぜひよろしくお願いします。もしご興味がある方は、Twitter→@tirou_exのフォローをお願いします!!!