ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

ちろう、動きます Vol.1~東京を離れて岐阜の高山に帰ってきてからのあれこれ~

ちろう、動きます。思えばこれまでの人生、さんざん回り道をしてまいりました。夢を追って東京に出ていったこととか、アイドルオタク・メイド喫茶オタクを謳歌したりとかもそうですが、ある時期から学童保育の仕事を始めてみたり、個別指導塾の仕事を始めたりしました。そこで感じた憤りを同人誌『本当によい教育を実現するための覚書』に書き散らしたりしました。同人誌だけでなく、日々のブログに愚痴を書き散らしてみたり、教育関連の本を手当たり次第読んだり、セミナーやシンポジウムに出かけて行ってはレポートを書いてみたり、Twitterに意識高く、かつ斜に構えた、冷笑的な、イタイ発言とリツイートを世界に発信したりしてしまいました。荒れていたと言っても過言ではないかと思います。


去年こと2020年が大きなターニングポイントでした。生活環境を変えたのです。通っていた某最強の地下アイドル現場から、推しメンの卒業などの事情も受けて少しずつフェードアウトしていて、以前ほど東京(秋葉原)にこだわることもないのかもと考えていました。そんなタイミングでのコロナ禍です。東京でのエンタメ現場は少なくなりました。これは神の啓示なのだと考えました。もう十分に東京を満喫しただろう、と。年を経るごとに環境が悪くなっていった職場ともオサラバしたかったのだろう、と。だったら動くのはいつなのか、今でしょ!


そんなわけで、2020年5月に地元高山にUターンしてまいりました。一応空気を読んで、第一次コロナ禍緊急事態宣言が明けるのを待って(GW明け)移動したんですよ。わたくしちろう、高校卒業をしてから18年後に、恥ずかしながら高山の実家に帰ってまいりました。そこからの展開が順風だったわけではありません。生活自体に不都合や不自由があったわけではありません。そこは親とか周りの環境に感謝です。とはいえ、なかなかことがうまく運ばず、焦った時期もありました。その中で大きなもので言うと、やはり仕事が見つからなかったことですね。ここでいう「見つからなかった」というのは、選んでいたということですよ、念のため。んで母親が見つけてきた(泣)、某●山市役所職員の中途採用に、たまたま年齢制限が間に合うものがあって、ふらっと申込書を送り付けてみました。そうしたら第一次試験としてペーパーテストがあるわけです。それが7月でした。

 

受けた実感で言うと、5年の個別指導塾講師時代の蓄積と10年以上の意識高い読書や社会への関心が功を奏したのでしょうか、すっごい書けちゃったんですよね。満点とは言いませんが、すっごい解けちゃった感覚(そりゃ問題難度でいったらセンター試験よりも数段下ですから。クイズみたいなもん)。さすがに小論文という名の作文は苦しかったですが。ただ字数を埋めるだけの作文は辛い。まあそれはさておき。

 

エラそうなことを書いてしまいましたが、要するに一次試験を受かっちゃったわけです。正直言って、履歴書の時点(年齢とか職歴とか)で落とされると思っていました。いゃ逆に落とさなきゃダメだろ、こんなヤツ。んで8月に二次試験として面接を受けることになった。別に試験を受けること自体は良いんです。申し込んだのが5月で、一次試験が7月で、二次試験が8月で、といった風に時間を浪費している感がありました。その間を無職でやり過ごしているわけですから。あるいは同時並行で職探しをするか、すぐにバイトでも始めるべきかという葛藤。ハローワークを覗いたりもしました。どっちにしろ俗世から身を隠しているんで良いんですけど。

 

んで結論から申し上げますと、はい、落ちているわけです。後で問い合わせたら採用枠1名に対して、「2人中2位」でした(あくまでも二次試験のこと)。それなーって思いましたよ。まさかこのタイミングで僕が公務員になっちゃったらどうしよう?なんて妄想してましたけど。なんだか短い夢だけ見させられましたわ。だから言ったんだよ、一次試験の段階で落としておけと。まあこんなこと一度や二度じゃないので良いんですけど。

 

そこからはさすがの僕も気分的に落ち込みました。親にもいろいろ言われるしね。家を離れて、ここではないどこかのプロジェクトにジョインさせてもらえないか(抽象的ですね)とかも考えました。今は根無し草なのだから、どこに行っても良いのだ。そんな中で、10月に東京に行く機会がありました。そこでいろんな人に会いました。これが今思えば次の展開に移るきっかけだったのかもしれません。

 

 

一つには長年の友人のユウタさん。彼のことを簡単に説明しますと、初めは僕の同人誌とかヲタ活とかのことを面白がってくれている人だと思ったのに、話をすればするほどとんでもない多趣味の人で、その一つ一つがどれも深く熱心で、僕なんかが霞んで見えるような人だった。特に印象に残っているのが、僕がかつて某お笑いのコメディスクールに通っていた関係もあってわりとお笑い芸人のこととか詳しくて、一般人相手にお笑い談義を繰り出してきたのですが、そのノリで話したらその10倍くらいの熱量で返されて度肝を抜かれたという事件があります。僕こそが一般ピープルだったのだと今は自覚しています。んでお笑いを見るだけじゃ飽き足らず、自分でも舞台に立つようになってしまいました。多分もう僕のお笑い芸人歴を超えちゃっているんじゃないかな。

 

そんなユウタさんとは、いろいろな人生の話とか仕事の話とかお笑いの話とかアイドルの話とか、(恥ずかしいですが)恋愛の話とかをいろいろ包み隠さず話してきたのですが、今回も地元の生活のこととか、市役所の試験のこととか、次なる仕事がどうしようか見えないとか、そんな話をしている中で「今はチロウさんの中でコレだっていうものが見つかるまで待つ時期なんじゃないですか」と言ってくれたんですね。これが実に響いたんです。ビビっときました。そういえばそれが僕のスタンスだったじゃないかと自信を持たせてくれました。

 

 

そして二つ目に、東京北区で滝野川高等学院」というフリースクール・サポート校を運営されている豊田さんにお会いしました。これはもう突撃ですよね。TwitterでDMを送り付けて。正直コロナ禍の中で、たいへんご迷惑なことだったと思います。豊田さんは高校教諭としてさまざまな生徒と関わる中で、不登校やそのほか困難を抱えている生徒に対して、既存の学校では卒業後までケアが行き届いていないことに疑問を感じたそうです。それで2019年にクラファンで資金調達をしながら、自らサポート校を立ち上げたという実践の人です。この一連の動きをネットで知り、是非自分の目で見てみたいと思いました。

 

北区のサポート校・フリースクールは滝野川高等学院

 

1時間ほどお話を聞かせていただいて、本当に手前味噌で恐縮なのですが「コレやん。これ完全に理想のヤツやん」って思いました。学年による括りは無く、登校したら自由に何でもできる雰囲気があり、勉強がしたければサポートしてくれる大人がいる、という空間。もちろん高校なり大学なりの受験がしたければ、ペーパー試験対策から面接から小論文まで、経験豊富な講師陣がサポートしてくれ、実際に着実に結果を出しつつあるようです。

 

たまたま直前に本を読んでいた
黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」

坂本良江「世界でいちばん自由な学校:サマーヒル・スクールとの6年間」

 を彷彿させました。

窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)
 

 

 

ご興味あればぜひ上記2冊を読んでほしいのですが、ここで取り上げられているような自由な学校、昔からあるっちゃあるんですよね。だけど決してメインストリームにはならない。よほど管理が難しいのか、公教育に対する常識(固定観念)が強固だからか。それともこれから大きく変わるんでしょうか。

 

既存の学校のように、とにかくスケジュールでがんじがらめするのでもなく、かといってよくあるフリースクールのようにただ時間を過ごすだけの場所というわけでもない。適度に自由で意識が高い空間。それを広大な敷地でもなく、それこそビルの一室で実践されていることに感銘を受けました。また、豊田さん自身が野球の現役プレーヤーで、指導もできるというのも強みだと感じました。

 

恥ずかしながら弊同人誌『本当によい教育を実現するための覚書』を押し付けて、あまつさえ丁寧な感想までいただき、本当に感謝しています。


 

そんなわけで、この時の東京遠征はとてもよい刺激を受けたわけです。そしてぐるぐると頭が回りました。


ちょっと分量が多すぎてしまったので、2回に分けて投稿することにします。
焦らしてちゃってスミマセン
次回のタイトルは、いよいよ本題に入ります。