ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

これまでの10年間を振り返ってみた(ヲタ活編)

皆さん、明けましておめでとうございます。ちろうです。ハックルさんのブロマガを読んでいたら、「これまでの10年を振り返ってみた」という記事があったので、それに倣って僕もやってみようと思う。タイトルに(ヲタ活編)というものを入れたが、このあと(私生活編)などというエントリが続くわけではない。僕にとっては人生そのものがヲタ活であるのと、生活面に関してはあまりにも酷くてさらけ出せない事情などもあり、こうせざるを得なかったというのが正直なところだ。本来であれば2016年の目標などを書かなければならないところだが、それは改めて。

2006年というとちょうど僕が大学を卒業して東京に出てきて、またAKB48と出会った年でもあるので、とても区切りが良い。そんなところにも運命を感じる。そういえば先日AKBも10周年を迎えていた。いつも忘れてしまうのだが、僕の東京での歴史はAKBと共にあったのだと言うことを思い出した。あまり人に褒められたものではないけど、僕の人生は10年前から始まったと言えるような気がする。そしてそれは出会いの歴史でもあると言えると思う。地元にいたら得ることができなかった、素晴らしい出会いがいくつもあった。


[2006年]
3月に地元の大学を卒業し、4月、東京に進出。その理由は「お笑い芸人になるため」というものだった。今考えればその真剣みの無さに赤面するしかないが、それも人生の大きな転機となった出来事であるのに変わりはないので、そんな過去も愛さずにはいられない。10月、ワタナベエンタテインメントが手掛けるコメディスクール(歴史は3年目くらい。まだ売れていないハライチ、イモトアヤコ、バービーなどが卒業)に入学。1年通う。
それに並行して4月、AKB48に出会う。本格的にハマったのは7月。週4〜5くらいのペースで通うようになる。AKBさえあれば他になんも要らねえと言う感じ。仕事は手ごろなところで深夜のコンビニでバイトを始める。これがまあ平日昼間にヲタ活をやるのに相性が良かったとは言える。家で延々PS2の「少年ヤンガスの大冒険」をやっていた時期もある。

[2007年]
AKBヲタ歴2年目。100MVPを達成し、5月に当時チームKの小○香○ちゃんの生誕で行使。AKBヲタとしてもっとも充実していた時代。9月にコメディスクール卒業。事務所所属はできず、所属見習いのインディーズ地下芸人ワナビーとして細々と活動する。メイド喫茶とかに通い始める。10月末に、劇場で謎の美少女Aと遭遇。(←運命の出会い1)

[2008年]
ガチャ全盛期。5月「ちろうの変」勃発。アイドルと信頼関係について、考え始める。そんな状態で○林○菜ちゃんの生誕実行委員長を務めるなど。もうこれでアイドルヲタとしてやるべきことは一通りやった的な謎の満足感を得る。
5月に初めての研究生公演。7月、謎の美少女Aと運命の再会。8月に200MVP行使。メイド喫茶通い全盛。カフェドール東京に入り浸る。お笑いって何?といいつつ、コメディスクール同期の女の子と伝説の男女コンビ「ダイナマイト○○○○」を結成。(←運命の出会い2)ほどなくして解散。

[2009年]
ニート時代。AKBが十分に公演に入れなくなって地下アイドルを物色。ももクロなどをちょこちょこ。女ヲタヲタ活動が本格化。またメイド喫茶ヲタとして大阪に遠征するなど。

[2010年]
アイドル戦国時代の幕開け(ももクロ東京女子流スパガぱすぽ☆デビュー)。個人的には引退。
海外旅行に目覚める。1月にタイ。3月に台湾。10月に香港・マカオに旅行。(台湾・香港のメイド喫茶にも訪れる)(香港のAKBショップ開店を記念した握手会に参加するというヲタ活)
指原莉乃さんの活躍がめざましくなる。

[2011年]
3ヶ月だけ出版社でアルバイト。3月に東日本大震災。夏にとある知り合いの手伝いでコミケに売り子として参加。創作意欲がふつふつと沸いてきて、俺がやるしかねえと決意する。12月、冬のコミケに向けて初めての同人誌「AKB48とは指原莉乃のことである」を作る。150部くらいを手作りしたが、ペラ紙に両面印刷して、製本加工してもらったらとんでもない手間がかかった上にコストも高くついた。恥ずかしいくらいのクオリティだが、良い勉強になった。

[2012年]
1月の新宿福家書店の指原さんの「さしこ」発売記念イベントのプレゼントBOXに上記の同人誌を入れる。数日後の握手会で「見たよ!本格的だった」と言われて、僕のやり方は間違っていなかったんだと確信を得る。
2月に沖縄、久米島へ。ギークハウス沖縄にお世話になる。久米島の居酒屋でバイトしようとして3日で逃げ出す。沖縄では中日ドラゴンズのキャンプで山本昌さんにサインをもらうなどする。
5月に大分へ聖地巡礼。大分芸短大で「指原莉乃論」という謎の講義を聴講。
宇野常寛さん、濱野智史さんが主宰する「AKB研究会」の門を叩く(←運命の出会い3)。6月にAKB総選挙、指原さんのHKT移籍、ゆび祭り。8月のコミケでは「指原莉乃2.0」を作成し、印刷会社でつくる本の美しさに驚愕する。
宇野さんに「ちろうのAKB体験記」を連載することを勧められ、濱野さんとは共に地下アイドル現場に入り浸る。怪傑!トロピカル丸百川晴香ちゃんのえくぼの落とし穴にハマる。

[2013年]
4月に福岡へ。HKTの握手会とNMBのコンサートを回す。
アイドルカレッジにハマって「ちろう3.0」の始動をお知らせする。
6月に大分聖地巡礼
8月に同人誌「指原莉乃に会いに行く」を作成。
9月にアイドルカレッジ名古屋・大阪遠征。

[2014年]
1月、アイドルカレッジから床爪さくらちゃんが脱退し、魂が行き場を失う。(後の12月、ユイガドクソンとしてデビュー)。
6月、PIPお披露目。
8月「アイドル<ヲタ>になる方法」「ちろうのAKB体験記」を作成。縁があって田中秀臣さんに寄稿、岩崎夏海さん(ハックルさん)にインタビューをお願いする。
魂が開放を求める中、池袋西口公園に吸い込まれていく。そこに待っていたのは「肉汁祭り」を盛り上げるアイドルユニット「肉汁ガールズ」だった・・その後、月野もあちゃん、黒瀬サラちゃんに辿り着くのにそう時間はかからなかった。

[2015年]
個別指導塾の講師の仕事を始める。
アリス・イン・アンダーグラウンドの世界に迷い込み、8月に「仮面女子の研究☆」を作成。
8月に徳井兄妹のトークイベント、10月に田中秀臣先生のトークイベントに呼んでいただき、そこでは中森明夫さんや姫乃たまさんなどとお知り合いになることができた。11月さいたまスーパーアリーナ公演。



こんな感じ。途中から何書いているのか分からなくなってきた。書き忘れたこともあると思うけど。ここ4年ほど、毎年1回のペースで同人誌をつくっているのが驚き。それだけ伝えたいことがあったということだからありがたいことだ。2016年も趣味に仕事に(特に仕事、泣)、精一杯がんばっていきたい。