キッカケは山に関するネット記事で「ご当地アルプス」という言葉を知ったことだった。全国各地、ご当地の名前を冠したアルプス(要するにハイキングコース)があるのだという。岐阜の各務原アルプス、兵庫の須磨アルプス、三浦半島の三浦アルプス、etc。どれもそそるものばかり。ええやんええやん、と興奮していると、そんな中に見つけたのが鎌倉アルプスだった。→たとえばこうゆう記事。
鎌倉周辺のハイキングコースは無数にあるのだが、中でも定番と言えるのが鎌倉最高峰(大平山159m)を経由する「天園ハイキングコース」のことを、通称で「鎌倉アルプス」というらしいのだ。となればこれがマストであるだろう。
北鎌倉駅をSTART地点とし、建長寺→半蔵坊→十王岩→鷲峯山→大平山→天園ハイキングコース入口→瑞泉寺→鎌倉宮まで。
ここから鶴岡八幡宮にすぐだし、鎌倉駅をGOALとすることも出来そうだ。そういえば鎌倉の大仏って見たことなかったかも。
今回の年末の上京に合わせていくとなると、12月30日に行くのがいいかなア。
などという話をJさんとしていたら、「元旦に行って初詣にすればよくねえ?」と言われる。
それだ!
と、いうわけで一緒に行くことに。
正直に言うと、これまで鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)というものの存在を知らなかった。鎌倉を代表する神社なんやね。
関東に馴染みのない人間は、こんなもんです。
2024年1月1日
10:30
前日が4:30就寝だから出遅れた。しかし無問題。ゆっくり行けばいい。
すぐに準備して鎌倉に向かいながらJさんに連絡をとる。
「鎌倉向かっているよ」
「これから風呂入って準備するから先行ってて~」
ふむ。これがJさんスタイル。Theクオリティ。
11:30
鎌倉着。1時間弱で着いてしまうというのが、さすが同じ神奈川県こと横浜である。
と、いうわけで北鎌倉駅で下車し、すぐさま着ていたコートをリュックにしまい、上着を腰に巻いて、Tシャツ一枚スタイル。とてもいい天気。これ本当に元旦なん?
(高山だったら考えられない格好・・)
駅を出るとまず、線路に沿って南下、建長寺を目指す(けんちん汁の名前の由来になった場所、とのこと)。ここが入り口になっており、寺の中の山を登って半蔵坊。
とその前に、階段を上った先にあった正統院(しょうとういん)というところに入っていこうとしたら、本当はお墓がある人しか入れないけど、元旦だから特別に良いということで、入らせてもらう。
建物の中に開山佛国国師像(国重要文化財)と文殊菩薩がいた。
「文殊の知恵」の語源になった人。ありがてえ。。
半蔵坊はだいぶ階段や山を登った先。
富士見台があって、見事に富士の山が見れた!
いよいよここから山の中!
建長寺の境内やからそもそも入山料がかかるらしいが、これも元旦特典で無銭。なんとありがたい。
勝上献展望台では相模湾、南が海で三方が山に囲まれている鎌倉の街が見渡せる。
(写真)
なぞの石像とか、なぞのオブジェとか。十王岩。百八やぐら。
大平山は鎌倉最高峰で標高159m!
んですぐ隣にゴルフ場。やや興ざめだが、広大な駐車場に大量の車が。
元旦からどんだけゴルフしているんだよ!
その先にちょっとした広場があって、ここが天園。看板を見たら横浜市最高地点の文字が。
つまり横浜と鎌倉の境目のこの辺りが最高地点なんですね。
いかに平野で構成されているかということが分かる。関東平野おそるべし。(高山市の標高は580mなんやで)
(今他の人のブログ見たら天園休憩所(かまくら茶屋)というところがあるらしいのだけど、まったく気づかなかった。分岐だったか! くそう)
次は天台山を超えて瑞泉寺を目指します。
山を下りて舗装路へ。ハイキングコースの瑞泉寺口から70m。
13:00
瑞泉寺
瑞泉寺は鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺(ぼだいじ)として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(かんとうじゅっさつ)に列せられた格式のある寺院です。山号の錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦(にしき)の屏風のように美しいことから名付けられました。また境内は、四季を通して様々な花を楽しむことが出来ます。
境内の奥の方に、岩と池で作った名勝瑞泉寺庭園が。
ふむ。なかなかのもの。
Jさんから連絡。
「そろそろ準備が終わったから、鎌倉につくのが14時過ぎになりそう」
「ふむ。鎌倉ハイキングが終わらねえ」
そうこうしているうちに、松陰吉田先生留跡碑というものを見かける。
松陰せんせえええええええ!!!
明治維新の指導者の一人吉田松陰は、1854年(安政元年)、下田で密航を企てる直前に、瑞泉寺の住職であった伯父の竹院和尚に会いにきたといわれる。
企ては失敗。松蔭は獄中で瑞泉寺を訪れた詩を詠じたいう。
「山の青々とした竹の光が窓から射し込んでくる。方丈は奥深く、錦屏山の懐に抱かれて物静かである。いま私は囚われの身となって獄中にあり、むなしく苦しみを味わっている。ある夜夢に瑞泉寺を訪ねた」
瑞泉寺山門の前の石碑は、1929年(昭和4年)に建立されたもので、徳富蘇峰の筆によるもの。
吉田松蔭の魂がこの寺に留まっているのだということのようです。
これも何かの縁だから、その魂、僕が引き継ぎます。
(なお、2024年中に山口県は萩に訪れたいという計画を立てています)
さて、あとは舗装路をてくてくと歩く。途中の公園で永福寺跡というものを見る。
鎌倉宮へ! ここが天園ハイキングコースのGOALとなる。
いや、僕は鶴岡八幡宮も知らんかったくらいだから、鎌倉宮も知らんわけだが。
1869(明治2)年、明治天皇の勅命によって創建された神社で御祭神である大塔宮・護良親王御最期を迎えられた鎌倉二階堂の地に建てられました、とのこと。日本遺産004
んで初詣がてら覗いていくべ~と思ったら、わりと小さい神社なので参拝するのに行列!
やってられねえと思って遠くから眺めて参拝を済ます。あまりゆっくり見ることも出来ずにその場を後にする。
次は鶴岡八幡宮へ向かう。と、そのまえに、鎌倉幕府と言えばの源頼朝さんのお墓があるということで参拝。
北条義時さんの墓も一緒にあった!
14:30
鶴岡八幡宮へ!
念願の!と思ったら、さすがに鎌倉を代表する神社なだけあってとんでもない人出。
鳥居を超えて、両サイドに源平池。
(頼朝公が大庭景義と僧侶の良暹(りょうせん)らに命じて造らせたもの。
“産”(繁栄)の願いを込めた三つの島が浮かぶ源氏池と、“死”(衰退)を象徴する四つの島の平家池は、源平時代を彷彿させる)
その先に舞殿。さらに階段を上って本宮(上宮)というメインとなる本殿だが、舞殿にすらたどり着けない。
そこら辺の誘導係に聞き耳を立てていると「ここから90分待ちですかねえ」と。
アホかと。バカかと。
軽く池を散策。というか屋台が所狭しと並んでいてそれどころじゃない。もはやお祭り。
鳥かわ焼という、脂の塊みたいなものをキャベツに乗せて売っている食べ物(600円)とかを「食いてえなア」とか思いながら眺め、そういえば朝からなにも食っていないことを思い出し、家から持ってきた賞味期限の切れた菓子パンをパクつく。
さすがの僕も参拝に90分並ぶほどのお人好しじゃない。
そうこうしているうちにJさんから連絡。
「15:20に鎌倉駅に着予定」
「では鎌倉駅に向かうは」
ということで、僕は鶴岡八幡宮を後にする。長い参道を通って鎌倉駅へ。
駅の目の前の大きな通りが歩行者天国になっていて、そのまま若宮大路という大きな参道に繋がる。
やっぱ都会はとんでもねえや、とか思う。
15:30
鎌倉駅前でJさんと合流し、駅前でミャンマーの人たちが立っている。クーデター政変で苦しんでいる難民の歩道とトンネルをいくつか超えて人たちのために募金。
鶴岡八幡宮を満喫したので、駅の逆側に行って鎌倉の大仏に向かう。徒歩で行くと30分くらいかかる距離があった。
でけえ。何故か記憶の片隅で一回見に来たことがあったと思っていたんだけど、やっぱり初見だった。
ここもやはり外国人が多い! 仏教だからタイとかミャンマーの人に人気なのかな。
大仏の中まで入れる。50円なり。
17:00
今度は戻る道中で少し北上し、銭洗弁財天へ。
銭洗弁財天宇賀福神社
第5代執権北条時頼「銭をこの水で洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」と、自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、人々もそれにならって銭を洗い清めるようになりました。
いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。
(銭洗水は鎌倉五名水の一つです)
18:00
Jさんが「鶴岡八幡宮に行きたい」と言い出す。しょうがないから夜の鶴岡八幡宮も参拝してみることにする。
んでさっきの本通りの参道とは違う、お店が並ぶ通りに行ってみたら、、、
どんだけ人がいるんだよ、と。。。オマエラ元旦から鎌倉に来てんじゃねえよ、と。
んでいざ鶴岡八幡宮に行ってみたら、またもや階段上の本宮に上がるのに行列が発生している!
ということで階段の下から気持ちだけのお参り。
19:30
横浜関内辺りに帰還。
良い感じの大衆居酒屋で新年会。カンパーイ!
22:00
某所に潜伏。
そんなこんなで2024年、元日から大充実の鎌倉アルプス&初詣でした。
こりゃあ幸先のいいスタートが切れましたわ。