「恵那山、登りてえ」
そんな一言から、今回のプロジェクトは始まりました。
とはいえ恵那は少し遠くて怖気づいていたら、
サトシが「前日に高山入りするから、朝4時にピックアップでどうだろう」
と提案してくれて、一も二もなく、四の五の言わずに、恵那入りが決定しました。
というのも、以前に中山道を歩いたときに、サトシが「あれが恵那山」とか「岐阜の東濃ではシンボルのような山」とか何回も言うから、登りたくなった。中央アルプス(木曽山脈)の最南端に位置する。「古事記」にも登場する歴史ある山、とのこと。なお、深田久弥が選定する日本百名山にも数えられている。
今年の9月3日(日)、馬籠峠から恵那山を眺めたのが懐かしい。
11月5日(日)
4:00
高山の自宅から。サトシの車でGo!!
41号を南下、中津川から高速に乗り、中央道「園原」ICで降りる。
6:30
広河原登山口の駐車場に到着。紅葉も良い感じ~
駐車場から舗装路を30分弱ほど歩くと、登山口に入れる。
しかしここでとんでもないワナが待ち構えているとは、知る由もなかった。
30分歩いても舗装路が終わらない。むしろジグザグ道で峠を登り始めている。
さすがにこれ登山道じゃなくねえ? となる。
結論から言うと、「恵那山」の小さい看板があり、そこから川に降りて、鉄の細長通路を渡って山に分け入っていくのが正解だった!
15分×2(往復30分)のロス。まあ、いいさ。
登山口の入り口。道をまっすぐ行ったらワナが待っているので、注意。
7:30
そんなわけで、本当の登山道にin。
※増水時にはわたれないこともある、とのこと。
藪の尾根を分け入っていく。10個の標識があり、今何合目まで進んでいるのか分かりやすくしてある。
9:30
登山道入り口から2時間で到着!三角点を確認。
ちなみにこの山頂、展望がほぼないと言って良い。
安っぽい脚立みたいな金属で出来た、謎の展望台に立っても、ダメ。恵那山山頂からの眺望は、諦めてください。
本の地図によると避難小屋やトイレがあるらしいのだが、それがどこにあるか分からない。
結論から言うと、山頂からさらに10分くらい進んだところに恵那山頂避難小屋(標高2171m)とトイレがあった!
(グーグルマップ優秀)
こんなデカい岩がある。この上に立って、ようやっと眺望があるという感じ。それが恵那山というヤツ。
雲がかかっていないと、この場所から富士の山まで見通せる。
いちおうこの中に、ひっそりと富士がいます。
10:00
今日のメシ!
例によってサトシかコンロでお湯を沸かしてくれるので、ラーメンとおにぎり。
あと「味噌玉」といって味噌と具を固めたものをくれて、これをコップの中に入れてお湯で溶かすと、あら不思議、温かいみそ汁になるというものをくれる。ありがてえ。
僕は親が作ったゆで卵を提供。ついでに大福。う~む、食い過ぎた。
避難小屋を物色。
10:50
山頂の空気と景色を堪能したので、下山開始。
12:40
1時間50分で下山!お疲れさまでした~。
13:20
メシを食おうかという時に、登山口近くの阿智村で釣り堀と川魚を食わせるお店が一体化した「青木屋」というお店を見つけてin。
各テーブルに魚焼き機が置いてあって、イワナ、アマゴ、五平餅などを自分で焼くスタイル。
僕はイワナと五平餅をチョイス。サトシはイワナとアマゴとご飯とみそ汁を食っていた。
そうしたらイワナ2匹、アマゴ2匹がやって来る。
「合わせて3匹のはずですけど・・」
「アマゴのサイズが小さいので2匹で1匹分です」
何や知らん、サービスしてくれたのか、空気読んでくれたのか。2人で3匹じゃバランス悪いと思われたんかな。
2人で1匹ずつ食うことにする。ありがとう。
プラスでアマゴの唐揚げをシェア。これも美味かった。
食い終わった2匹の、骨をさらに焼く。カリッカリのサックサクの骨せんべいになる。頭まで食えた。やはり川魚は良いなア。
14:30
満足して岐路につく。
さて、帰りは高山線でアクセスの良い美濃太田駅まで車で送ってくれるという。ありがてえ。
グーグルマップのナビの到着時間、JRの時刻表をにらめっこする。
15:38発という普通列車に乗れるかどうか。微妙なライン。とりあえず高速道路に乗って向かうべ~。
最初、到着時刻から5分間に合わない感じ。これを逃すと次が1時間20分後。とはいえサトシが高速をぶっ飛ばすから巻いて間に合っちゃうかな~などと思う。
しかしこれが思ったほど巻かない。到着時刻が変わらない。可児御岳ICで降りて、21号線を走って、美濃太田駅が目前になっても巻かない。いや、5分巻く。これは無理かも~、ワン間に合うかも~を繰り返す。どうする!? どうなる??
驚くなかれ。
高山行き普通列車、15:38発。
美濃太田駅到着、15:38。
こ、これは!? こんなことって、あります?
サトシくんとまた会うことを約束し、とりあえず駅に向かって走る。プラットフォームに高山線がスタンバイしているのが見える!
高山行きの切符はぎりぎり券売機で買えない(近距離ではない)。みどりの窓口もない、有人窓口は埋まってる。高山駅にはIC改札がないからSuicaもダメ。
とはいえ改札に入るだけ入っちゃえば清算はどうとでもなるんじゃねえの?と思ってSuicaをサクッとかざして改札の中へ!
ホームに至る下りの階段に一歩踏み入れた刹那、発車。万事休す。そこには絶望だけが取り残されていた。
間違えて改札に入った旨を伝えてSuicaを取り消してもらう。
さてと。美濃太田駅で1時間20分・・・ということで~
太田宿さんぽ発動!!!!!!
15:40
そう、美濃太田も太田宿という中山道の宿場町なのだ。美濃の国にあり、五十一番目の宿場町。
駅から800mほど南に歩くと木曽川が流れており、これに沿って元宿場町の史跡が保存されている。
と、その前に、スーパーを見つけたので物色。地域のスーパーを見ると、安いパンとか総菜とかをチェックしたくなる。アイスを買い食い。
宿場町には本陣と脇本陣がある(妻籠~馬籠を歩いたときに勉強した)。
太田宿では脇本陣の建物(林家住宅)が重要文化財として保存されていて、本陣は門だけが残されていた。その裏はただの広場というか駐車場になっていて、なんか門だけが柵で囲われていて何か悲しかった・・
太田宿中山道会館という所が、しっかりした展示室(歴史史料館・無銭)を備えていて、良い感じ。
木曽川を越える中山道三大難所の一つである「太田の渡し」のこととかを、お勉強。
皇女和宮(こうじょかずのみや)は6歳の時、11歳年上の有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)と婚約したが、15歳の時、幕府から朝廷に対して「十四代将軍徳川家茂へ降嫁を請う」(公武合体)と執拗な申し出があり、婚約を解消し承諾するに至った。和宮16歳の時、文久元年(1861年)10月20日に中山道を江戸に下ったそうです。
降嫁(こうか)とは、皇女や王女が皇族・王族以外の男性に嫁ぐことだそうですが、その相手が徳川将軍ってのもすごいね。
あと、伊能忠敬が太田宿も測量しましたって書いてあったけど、そりゃ日本全国したんだから太田もしているやろ、と思った。
そんなわけで期せずして、美濃太田さんぽが充実。
人間万事塞翁が馬とはこのことを言うんですね。恵那山登山からの太田宿さんぽ。さすがに歩きすぎて疲れた。
17:02
高山本線、普通・猪谷行きが発車。
ただ、17:02発なのに出発が2分遅れてた。15:38のはオンタイムやったやん・・・と思ったけどね。
19:00
高山駅着。
お疲れさまでした~