ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

【仮題】本質研究所へようこそ

■あらすじ


ここは東京都豊島区。雑司ヶ谷にあるのどかな住宅街を、中学生のチロウが歩いていると、「本質研究所」という看板を掲げた一風変わった一軒家を見つけます。そこには「所長」を名乗る一人の先生が住んでいて、付近の子供が通っていました。小学生のマオ、中学生のサラ、高校生のユキです。ここに通う生徒は「所員」と呼ばれます。それにチロウを含めた4人が、この物語の主要な生徒です。一見すると学習塾のように思われたその「本質研究所」は、現代に寺子屋が蘇ったかのような、あるいは大学のゼミのような、全く画期的な学習空間でした。

 

この場所は、月額料金を支払うと、24時間365日、いつでも利用することができます。そこでは一般的な塾のように、時間を区切って各教科の授業をしているわけではありません。もちろん学校の授業の中で苦手な単元があったり、テスト前に対策がしたいというのであれば、いつでも所長に質問して指導を受けることができます(なんでも、所長は小学校・中学校の教員免許も持っているようです)。何しろ24時間、常に所長はそこにいるのですから(たまにいないときもあります)。しかしあくまでも、学校の成績については点数を把握・管理しているだけです(もちろんそのことには大いに意味があります)。

 

■教育現場として必要な3か条
1、ちょっとした強制力
2、進捗管理とフィードバック
3、大人の視線

 

ここには図書館並みの蔵書、あるいは映画、ドキュメンタリなどの各種DVD、最新の情報に触れるための新聞、雑誌なども置いてあります。なお、所員はここに来るたびに、小学生はその日の「新聞の社説」を読み合わせ、中学生は『声に出して読みたい日本語』、高校生は『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』を一項目読むことが推奨されています。


またYouTubeを使った学習をしたり、様々なネット授業がいつでも受けられるようにWi-Fi完備、豊富なデバイスが貸し出し自由となっています。遊戯室にはあらゆる種類のテレビゲーム、カードゲーム、ボードゲーム類、卓球台、麻雀卓などがあります。

 

この本質研究所には大きな活動方針があります。

■本質研究所の3か条
1.本を読む
2.体験する
3.本質を知る

 

この研究所ではまず、読書を推奨しています。そして1冊読むごとに200円の報酬がもらえるというのが面白いところです。このことによってまず、より多くの本を読もうというインセンティブが働きます。ただし、対象は本棚に並んでいるものに限られ、さらに要約を話すか感想文の提出が求められます。これによって読書の質が大きく向上します。流し読みでは要約を話すことができないからです。アウトプットを前提にインプットをする、という姿勢を身につけることができます。これが「1.本を読む」です。

 

さらにこの研究所では、所長の急な発案によって、さまざまな活動に駆り出されていきます。「花見をする」「山登りに行く」「テレビを見る」「映画を観る」「Youtubeを見る」「パズルやゲームをして遊ぶ」「博物館・資料館に行く」「アイドルライブを見に行く」「お笑いライブを見に行く」「テスト形式の勉強をする」「学校教育について考える」などです。これが「2.体験する」です。

 

また、この場所にはいろんな大人がやってきます。いろんな分野の専門家や学者、スポーツ選手、作家、ブロガー、Youtuber、などが講演をしに来たり(研究所員は参加無料)、単純に遊びに来たりしました。あるときには、所長のほかに見知らぬ人がいて麻雀を打っていることもあります。チロウは麻雀に駆り出され、一緒に卓を囲んでいる中で、その大人たちから社会の様々な話を聞くことになります。

 

大人向けの勉強会が開かれることもありました。しかもそれは中学レベルや高校レベルの内容だったり、入試問題に挑戦という企画、早押しクイズの大会の時もあります。大人になっても学び直しをする人がいるのは新鮮な驚きでした。つまり学習というのは、高校や大学を卒業したら終わりというものではなかったのです。またそういう時は生徒たちも参加し、ときには解説する役割を与えられることもありました。

 

これらの活動を通して様々な大人と交流することによって、チロウたちは世の中がどういう仕組みになっているかを学び、世界とどう向き合っていくか、自分は何に惹かれ何がやりたいかということを考えさせられます。そして所長と行動を共にすることによって、これまでに自分の中になかった、物事の感じ方も獲得していくことになります。これが「3.本質を学ぶ」です。

 

学校教育についても考えました。小学校、中学校、高校、そして大学での学びの質の違い、求められる深度について、俯瞰します。手段と目的を切り分ける、他人事ではなくて自分事として考える。学問は学校で初めて学ぶものではなく、補助的なものであり、高等教育に近づくほど自分が勉強することを能動的に決めていかなければなりません。受験勉強のための勉強は、本質的なものではなかったのです。「学歴」についてはその世間的な評判、自尊心への影響も踏まえて、やはり取得するかどうかは自分の判断で決めればいいのです。

 

学校はあくまでも行っても行かなくてもいいものだと捉え、時間的にも精神的にも学校に振り分けるリソースを少なくするというのが結論でした。ポイントは「小さな政府」という発想、つまり学校への期待を少なくすることです。

 

どんなことにも「まずはやってみる」「全力で向き合う」「集中する」という姿勢も求められました。そして自分に向いている分野は何かを見極める。やりたくないことはやりたくないと表明する自身を持つ。そんなふうにして、テストの点数を上げるための勉強だけではなく、物事の新たな捉え方や楽しみ方を獲得していく4人。受動的にではなく、能動的に生きるということを学んでいきます。学習は生涯続いていくものなんだということも学びました。

 

そして改めて、自分が何に興味があるのかを「偏愛マップ」(by斉藤孝)を作ることによって見つめていきます。これまでこの研究所でやってきたことは、自分の中にある世界を広げることだったのです。おぼろげながら、将来何をやっていきたいか、どんな人生を歩んでいきたいかということも見えてきました。自分の好きなことを突き詰めるための方法についても考えました。

 

そしていよいよ進路について考え始めます。今の社会はどのように変化していて、どんな選択がありうるのか。大学に行くのか、行かないのか。大学に行くとしたなら、そこでやることは何か。その先にはどんな社会が待っているのか。人生とどのように向き合っていくべきなのか。

 

4人の生徒は、それぞれどんな目標を見つけ、どんな道に進んでいくのでしょうか。

 

〈類似図書〉
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「ビリギャル」
「下克上受験」
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