ちろうのレイブル日記

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新井紀子「AIvs教科書が読めない子どもたち」読了

新井紀子著「AIvs教科書が読めない子どもたち」を読みました。TED動画や、講演を2回聴きに行ったこともあって、頭に入って来やすかった(聞き慣れていた)。今このタイミングで、このような問題提起をする本が世に出るのはとても意義深いことだと思った。

この本に通底するメッセージは「AIはあるフレーム内であれば人間が及ばないような力を既に持っている。しかし論理的思考や、文章を読むということに関してはこれまでもこれからも苦手である。AIによって多くの仕事が代替される未来において、AIに不向きな文章読解(人間が勝てる分野)さえまともにできない中高生が増えている」ということだ。

今の中高生の文章の読めなさ加減と言ったら本当にどうしようもない。これ本当にどうしたらいいか分からない。書いてあることを読み取れていないんだもの。日本語ですらそんな状況なのに、さらには(受験科目として)英文を読まなきゃいけないわけで。大学で研究するってなれば、英語の論文を読むのは必須だろうし。

こんな状態で、小学生の段階で英会話通わせたり、正式に小学校の学習指導要領にも英語が組み込まれるらしく。バカなの?って言いたい。



しかし最近特に思うのだが、論理展開を正しくさせるとか、数学であればある事象を一般化して証明していくとか、理科や社会なんかでも「〜〜だから〜〜である」という記述をさせる問題があるけれども、こういうものを効率的にできるようにさせる方法ってのが分からない。その場その場で解答を示すことはできるけど、できない奴はいつまでたってもできないわけで。

論理的な説明を受けて理解するにしても、その前提となる知識とか、言葉とか、概念とかを知っていないと理解できないわけで、その前提がある上で推論とか予測とかして、なるほど〜って腑に落ちる瞬間があると思う。だからやっぱり語彙を増やすのが先決だよなあと思ったり。そもそも文章に知らない言葉があると脳内で削除して読み進めたりするしね。そうすると正しい文章読解なんか夢のまた夢。



ところで本書の中で、リーディングスキルテストの結果からわかったこととして、面白いことが紹介されていました。

・中学校を卒業する段階で、約3割が表層的な読解もできない
・学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない
まあこれはそうだろうなあという印象。

・読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
これはもう全くその通りだと思う。ある意味で残酷な結果が出ているというわけで。学力偏差値=文章読解力と断言してもよいレベル。これは肝に銘じておきたい。

・読書の好き嫌い、科目の得意不得意、一日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない。ここでは学習習慣についても調べられていて、一日何時間家庭で勉強しているか。塾には行っているか、家庭教師はつけているか。習い事はしているか、それはスポーツ系か音楽系かなども尋ねていて、何の相関も発見されなかったそうです。


これは結構クリティカルな部分だし、僕もそんな気がしていたのです。特に強調したいのが、家で何時間勉強しているとか、塾に行っているかどうか。結論から言うと、家での勉強時間の多寡、塾に行っているかどうかは、読解力の有無に何の関係もないってことです。


これっておかしいじゃないですか。塾って勉強ができるようになるために行くところじゃないの?でもこれが現実だと思います。塾に行くことに意味はない。


僕は個別指導塾っていう形態のところで働いているんだけれども、どれだけ懇切丁寧に説明しても効果ナシっていう場面を何回も経験してきた。詳細は省きますけれども、現状が打破できない。


やはり抜本的に何かを変えないといけない。その何となくの案はあるんですけれども。それを今、頭の中でぐるぐる考えて形にしたいと思っているところです。