ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

指原莉乃2.0が紹介されてる!

エキレビさんと言うニュースサイトで先日の文学フリマレポートをしていて、何故かぼくの「指原莉乃2.0」がおススメの同人誌として紹介されている!!!

http://www.excite.co.jp/News/reviewmusic/20121126/E1353854232556.html


■『指原莉乃2.0―大分、HKT48、そして日本へ―』(ちろう商事) 推薦者:近藤正高

文学フリマには第1回からほぼ欠かさず出店しているのだが、今回はなぜか、妙にアイドルがらみの本が目立つなーと感じた回だった。それは、今回ぼくのサークルの隣りの4ブースぐらいがアイドル評論のサークルだったのでよけいにそう思ったのかもしれない(なお、こういう配置になったのも文学フリマ事務局の何かの思し召しと勝手に受け取ったぼくは、急遽、自分がいままでエキレビ!などに発表してきたAKB48関連の記事をまとめてコピー誌を発売したのでした)。とはいえ、全然アイドルと関係のない本のなかでも、コラムなどでAKBへの言及をちらほら見かけたのも事実。

<中略>

そんなあまたの本のうちぼくがとくにお薦めしたいのはこれ。熱烈な指原莉乃(現HKT48)推しによる『指原莉乃2.0』だ。秋葉原AKB48劇場での公演をすでに400回程度観覧している(!)という著者のちろうさんは、指原の地元・大分の短大で「指原莉乃論」なる講座が開かれると聞き、大分へ飛ぶ。この本では、その講座のレポートのほか、大分における指原ゆかりの地をまわる「聖地巡礼」の章も設けられている。好きなアイドルの地元を訪ねるのは、アイドルヲタならだれもが通る道だよね!(といいつつ、ぼくはまだやったことがありませんが……)と共感するとともに、まとめでは著者自身の地元(岐阜)と大分を比較したり、地方格差の問題などにも言及されていて興味深く読んだ。

いや、まさかこんな形で取り上げられるとは思っていなくて、うれしい!ぶっちゃけ先日の文学フリマでは10冊程度しか売れていなくて、出展した意味!?とか思っていたのですが、これなら出展した甲斐があったというものです。売れなかったのはきっと、当日AKB関係のイベント(握手会など)がそこらじゅうで行われていたためにAKBヲタが会場に来なかったことが原因ですね・・・言いたいだけです。

んでこの紹介記事を見て急いで自分の本を改めて見返したのですが、聖地巡礼レポートのまとめでなかなかアツイことを書いている!大分芸短大での指原莉乃論授業のレポート記事は、ほぼこのブログで読めると思うのですが、聖地巡礼のまとめはまだ未公開なので、せっかくなのでここに貼り付けますね^^



聖地巡礼を終えて

 今回大分を訪れてみて思ったことは、その街や人々が醸し出す雰囲気が、穏やかで控えめで、心優しいということだった。そしてそれがいかにも指原莉乃的で、彼女のルーツがここなのだということを改めて納得させられた。今回「指原莉乃論」の授業を企画した大分芸短大の下川正晴教授は言う。「うちの大学に集まってくる学生は、何か特筆するものを持っていない普通の子たちばかり。幼いころから勉強でトップを取ったわけでもビリを取ったわけでもなく、あるいはヤンキーになったこともなければ学級委員長になるタイプでもない。指原莉乃とてAKB48に入っていなければ、うちの大学に入ってきていたか、あるいは地元でフリーターをやっていたかもしれない」と。
何も持っていないからダメだという話ではない。むしろそういう人間が大半になっているのが現代であろう。すると若い人は自信を持ちにくい。自信を持てなくたっていい。自信がなくたって一歩を踏み出すことができる。ちょうど指原莉乃AKB48のオーディションに書類を送ったように。たった一つのアクションが未来を大きく変えることができるということだ。自信がないところで、それでも最初の一歩を踏み出すことこそが、秋元康氏の言う「さしこ力」ではなかったか。「期待させないところから、意外と良いんじゃない?と思わせる魅力」。そういう魅力を大分県は、そして指原莉乃は持っている。

 ぼくは大分県を、ぼくの出身である岐阜県とも重ね合わせてみた。岐阜県大分県では共通するところがいくつかある。まず豊かな自然がたくさんあるということ。大分と違い岐阜には海はないが、かわりに自然豊かな川がたくさん流れている。そして何といっても共通するのは、隣に大きな地方都市を擁する県があり、それをそっと支えているという点だ。

 大分県の隣には福岡県(博多)があり、岐阜県の隣には愛知県(名古屋)がある。その大きな都市に対して敵対するでもなく、卑屈になるでもなく、適度に信仰し、迎合し、誇りに思っている。そういう優しさをもっているのだ。しかし自身は、全国的に発信できるような何かを持ち合わせていない。そしてややマイナーな県であることを自覚している。それが自信のなさにもつながる。温泉地であるということも共通しているであろう。大分といえば大分市ではなく、別府温泉や地獄めぐりに代表される別府市がはじめに出てきてしまうほどだ。岐阜県はやはり下呂温泉が有名である。


 しかし現実は厳しい。今どき温泉地といっても流行らないのであろう。今回、別府駅前や商店街を歩いてみたが、人通りは少なく、大分市の商店街よりもさらにシャッターが目立つ。むろんシーズンの問題もあるのだろうが。地方格差や都心集中がよく叫ばれるが、こういう場所を訪れるとそれを如実に実感する。自分がこの場所に住む子どもだったら、何を感じ、何を求めるだろうか。あるいは都会に出ていきたいと願う子を、人の多い都会で勉強をさせたいと願う親たちを止めることができるだろうか。それを止める権利は誰にもない。そこにいる人間が年寄りばかりになってしまうのは必然なのかもしれない。

 それでもぼくは自分の故郷を守りたいと思う。名を挙げたいと思う。それはその場所に誇りがあるからだ。だからぼくは岐阜県で生まれ、岐阜県に育ち、しかもうっかりしたことに岐阜大学をも卒業してしまったことを誇り、主張していきたいと思っている。おそらく出身地は違えど、このように考えている人は多いのではないだろうか(むろん故郷に何の思い入れもないという人がたくさんいることもぼくは知っている)。そしてそれをさらに高い次元で実行しているのが指原莉乃なのだ。そんな彼女に親近感を感じずにはいられない。

 あの全国で生中継されていた第4回選抜総選挙のスピーチで、指原莉乃が何度「大分」という単語を発したか知れない(四度)。しかし彼女は大分市観光大使だから、意図してこのような発言をしているというわけではないのだ。何しろ大分県大分市の区別すら付いているのか怪しいのである。それは純粋に、地元を愛し、誇りを持っているからに他ならない。大分県というある種マイナーな土地に生まれ、そしてその土地を愛する優しい心を持ち合わせている人間ならではのことではないだろうか。このような姿勢をぼくたちは忘れてはならない。

 ぼくにとって今回の大分における聖地巡礼は、ただ単にミュージックビデオのロケ地を巡って高まるというだけではなく、たくさんの気づきを与えてくれた。豊かな自然に触れること、地方を盛り上げることの大切さ、優しい心。大分県という場所は今、指原莉乃によって新たな魅力を発信し始めている。

 そしてまた、聖地巡礼という行為それ自体に可能性を感じることができた。これまで何のゆかりもなかった土地、前回訪れた時にはほとんど何も記憶に残らなかった土地に対して、これほどまでに愛着を持てるようになるとは自分でも驚いた。ぼくは今回の旅を通して、大分という場所が好きになった。それはつまり、聖地巡礼という方法論によって全国どの地域でも、人を魅了する何かを発信する可能性を秘めているということだ。実際にその場所に訪れなくても、少なくとも意識させることができる。これだけ価値観の多様化している世の中で、それは小さな力かもしれないが、大事な一歩になりうると思う。


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