ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

「指原莉乃2.0」まえがき公開

次のコミケに何か発表しようかな〜と思って適当に書いた文章がちょっとずつ仕上がってきた。今はまだ文章を書いている段階で、これから編集作業が待っているわけでかなり憂鬱なわけですが。。。

タイトルはその名も「指原莉乃2.0」です。これはもう我ながらヤバすぎだと思いました。しかし同時に、指原莉乃は次の段階に行くということを端的に表す言葉はこれしかないんじゃないかなあと思いました。AKB48からHKT48への電撃移籍。この歴史的な出来事をファンでもアンチでもない、何か客観的な立場から考えてみたい。その「まえがき」をここに発表します。

いろいろと反省することもあります。ぼくは指原さんのただのファンの一人であるだけなのに(元々はファンですらなかったはずだった)、何か分かったようなことを書きすぎた。おかしなことを語りすぎた。これでは本人にもキモチワルがられるだろうと思った。それはそれでぼくの求めることではない。だから今回の作品を、指原さんについて書く最後の同人誌にしようと思った。指原莉乃さん、ファンの皆さん、本当にごめんなさい。

しかしこれだけはわかって欲しい。指原さんのHKT移籍を受けて、少なくない批判を耳にする。「HKTに来て欲しくなかった」「HKTが汚される」「HKTが荒らされる」アンチと言われる人がそういうきっかけで生まれることも分かっている。そういう人たちもまた、それが指原さん本人のせいではないことを分かっているはずだ。それで彼女を批判するのは短絡的すぎるのではないか。それよりもぼくたちは彼女のクレバーさにもっと注目するべきではないか。そんなことを主張していけたらいいと思っている。

●まえがき

AKB48とは指原莉乃のことである」それは2011年末に筆者が発表した同人誌のタイトルであり、また2012年6月のAKBを取り巻く環境を表す言葉そのものだ。指原莉乃AKB48に加入した2008年からその物語は始まっていたのだが、2012年6月、ついにある到達点にまで達し(まさに6月6日に行われた第4回選抜総選挙である)、それが日本国民全員が認知するところまできた。そしてこれを執筆している2012年7月現在、この言葉は正確さを欠いた。今一度、正確に表現するならば「AKB48とは指原莉乃のことであった」あたりであろうか。指原莉乃は(日本にある)AKBグループの中でも最後発のチーム、HKT48に移籍した。

ここ1年の指原莉乃の躍動は凄まじいものがあった。「さしこのくせに」の放送開始。「笑っていいとも!」レギュラーに抜擢。1stフォトブック「さしこ」を発表。サマンサタバサのモデルに抜擢。「ミューズの鏡」でテレビドラマ初主演。シングル「それでも好きだよ」でAKB史上5人目のソロデビュー。大分市観光大使に任命。ゆび祭りの開催決定。第4回選抜総選挙で4位に躍進。フジテレビでの中継では地元大分での特設会場からも頻繁に中継が入った。その直後に週刊文春での元カレ暴露を機にオールナイトニッポンで涙の謝罪。HKT48への電撃移籍。

特にHKT48への移籍が発表されてから、テレビ・雑誌等のあらゆるメディアやネットニュース、ネット掲示板の話題に至るまで、指原莉乃を取り上げない瞬間はなかった。Twitter上ではこのような文句が踊る。「指原の話題ばっかだけど、AKBって指原のことなの?」ああそうか、ようやくぼくが主張してきたことが周知され、と同時にその事態は臨界点を迎え、またバブルは弾け、世界が動き始めていくのだ。そう感じたのである。

今、指原莉乃推しとして思うことは、こうなることは決まっていたのであり、また善いことなのではないだろうか、ということだ。特にここ数日の動きを見ていても、いいともレギュラー出演に、ゆび祭りに、各種メディア出演。AKB48劇場での公演にも満足に出られない現状で、AKB48である必然性がないのだ。もしかしてもう随分前から、指原莉乃AKB48ではなかったのではないだろうか、とすら思えてくる。つまり今回の騒動は次のステップに進むための通過儀礼、(痛みを伴う)イニシエーションであったのではないか。そんな気がしてならない。

これからは「AKB48指原莉乃」語りも「指原莉乃のいるAKB48」語りも不必要なものとなるだろう(もちろん歴史という意味での価値はあるが)。これまでAKB48というフレームを準備しなければ語れなかった指原莉乃は、全く新しい、そして誰も踏み入れていない未開のフィールドに飛び出す。誰もが予想しなかった、新しい時代へ。ある者は悲しみ、ある者は怒り、ある者は嘲笑し、またある者は変わらず声援を送る。そんな周りの反応をものともせず、指原莉乃は次のステージに進む。

筆者はこれを「指原莉乃2.0」と名付けたいと思う。

オールナイトニッポンでの涙の謝罪の後に、指原は「即解雇でも仕方ないと思っていた」という言葉を残した。彼女の覚悟が感じられる言葉だ。しかし秋元康氏が出した指令は、HKT48への移籍であった。指原はそれを遂行する。「恋愛禁止のルールを破ったのに裁定が甘すぎるのではないか?」という批判や、「責任を取って自ら辞めるべきだった」という見方もあるだろう。しかしそれは違う。あるいは「多くのファンを裏切ってしまったけど、それでも少なからずいる応援してくれているファンのために活動を続けるのだ」という綺麗事を言うつもりもない。指原莉乃はとことんまであるルールに則っているだけだ。それは総合プロデューサーである秋元康氏、あるいは大人たちの指示に全て従うということ。これは自分の意思で何も決められないということでは断じてない。AKB48というゲームに参加している以上、秋元康氏の裁定を全て受け入れるという固い意志の表れなのだ。

本書の後半では、約半年前に執筆した「AKB48とは指原莉乃のことである」を再録する。若干の修正は加えるが、主張を大きく変えることはない。その内容はまさに指原莉乃AKB48の中でこれからどんどん大きな存在になっていくだろうということだった。それは選抜総選挙で9位から4位という結果によって示された。しかし、その直後に「週刊誌に元カレを暴露」され、「HKT48へ移籍」することなど露ほども予想していなかった。そして筆者自身、大きく動揺させられ、悩み、考えた。そしてある結論のようなものを得た。指原莉乃はこれまでなかったような大きな転換点を迎えている。ついにAKB48という枠すら飛び越えようとしているのだ。ならばぼくたちも変わろうではないか。前著の内容はそのような意味で、古くなっているのかもしれない(むろんそれは状況説明の話においてであり、主たるメッセージは指原莉乃を見習うべき、というものなので古くなりようがない)。しかしそれは、まったく価値を失ってしまったということを意味しない。むしろこの2011年冬〜2012年夏への激動の半年を、ここに克明に記録するという意味で大いに価値を帯び始める。そして指原莉乃のこれまでを、そしてこれからを考えることによって、指原莉乃的なものゆくえについて考察していきたいと思う。


指原莉乃2.0の世界へ、ようこそ。


ええ、いろいろとやばい箇所があることは分かっています。場合によっては修正もするんでご安心ください。

こちらの作品は夏のコミケ3日目(8月12日)に頒布開始したいと思うので、興味がある方は是非声掛けをよろしくお願いします。もちろんコミケに来られない方にも対応しますので。ちなみにコミケでの頒布価格は500円、それ以外は1000円を想定しています。若干高いと感じるかもしれませんが、製作コストとか生活費(笑)とかもろもろのことでご勘弁を願いたいと思います。

このblogでも報告済みの大分芸短大での授業レポートや、大分聖地巡礼レポートもバージョンアップして収録する予定ですので、ご期待下さい。