ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

指原莉乃の勢いが止まらない

もう本当に止まらないのである。ご存じのとおり、6月6日に行われた第4回AKB48選抜総選挙にて4位に選ばれた。ぼくは「AKB48とは指原莉乃のことである」のなかでこのように記述した。

来年以降も総選挙があるとすれば、指原莉乃は間違いなく順位を上げていくだろう。それはいわゆる神セブンだとか、選抜常連と言われているメンバーをも追い抜くことになる。

これを書いたのが半年前の2011年末。これは現実のものとなった。去年の9位から4位への躍進。フジテレビの特集では大分の特設ステージからの集計が頻繁に入り、スピーチでは瞬間最高視聴率を記録。総選挙の第1回から順位をつけ、3回連続で順位を上げたのはついに指原莉乃ただ1人となった(梅田彩佳は初年度が圏外)。まさに今回の総選挙における台風の目であり、この総選挙が、また今年1年のAKB48の活動が指原莉乃を中心として回っていたと言っても過言ではない。

ぼくは指原莉乃のファンなので彼女のこのような活躍は素晴らしいと思うし、またこうなることを予想もしたが、しかし望んでいるかと言うと微妙なところだ。まさにファンのジレンマと言うところだろうか。
それは今まで身近だった対象が遠くに行ってしまうとか、新しいファンがたくさん増えて嫉妬をするとか、またより多くのファンや事務所の意向に迎合することでキャラが変わっていくのが見ていられないとか、そういう類のものではない。それはAKB48の未来への不安だ。

ぼくはAKB48とは指原莉乃のことである」の中で、「AKB48指原莉乃とともに紡ぎあげられる成長物語なのだ」と書いた。AKB48指原莉乃は共に大きくなっていった。だからこそ大人たちは指原の活躍を後押しする。ではそれはどこまで大きくなるのか。その成長は無限に続くのか。答えは否であろう。今回の(特にフジテレビでの扱いを含めて)指原莉乃の消費のされ方はあまりにも大きなものだった。むろんそれは大人たちの事情が大きく絡んでのことであって、指原本人がどうにかできるレベルではなく、むしろその環境の中で彼女は常に全力投球をしている(それを世間に知らしめたくてこんなブログをコツコツと書いているようなものだ)。昨今のいいともレギュラーやミューズの鏡主演や「それでも好きだよ」のリリースも過剰な指原プッシュの一環だから良くないのかと言えばそんなことはなく、やはり素晴らしいことである。これがジレンマの正体だろうか。

だからこそ、AKB48が今後もより大きくなる(ここまで来ると「大きくなる」というより、「定着する」と言った方が良いのかもしれない)ためには、第二の、第三の指原莉乃が台頭してこなければならない。同じキャラクターという意味ではない。好きなものを好きだと貫き、自分には何ができるかを見極め、アイドル(人気商売)であるという自覚を強く持ち、真摯に努力ができるようなメンバーだ。そのような意味で、ぼくは指原莉乃を見習わなければならないのだと主張していた。



しかしアイドルとは本当に悩ましい存在だなあと思う。頑張って活躍してほしいし、活躍して人気が出たら出たでもうちょっと落ち着いて欲しいと思う。またいつまでもアイドルでいてほしいのか引退してほしいのか。年齢との兼ね合いもあるでしょう。前田敦子のように引くことが良いのか、篠田麻里子のように上から鼓舞することが良いのか。どちらが正解と言うのはないでしょうね(それぞれに立場があるだけで)。どちらが推せるかは人それぞれ。最近思うのは、推すという行為はこちら(ファン)にも「好きなものを好きと貫き通す」固い意志を試されているよなあということだ。無償の愛。推したいから推すんだという確固たる決意。

ファンの中ではしばしば古参だとか新参だとか、どれだけ握手会に回ったかとかいうことで自慢をしたり比べあったりすることがある。でもぼくはそういうのはくだらないと思う。それよりもどれだけ推せるか、いつまで推せるか、ということを考えたい。それはつまり、今の輝きが失われたとき、人気がなくなったとき、引退したとき、世間に忘れられたときに、推せるのか!?と自分自身に問いかけることだ。最初のファンかどうかではなく、最後のファンになれるかどうか。こういう視点で考えた時に、「それでも推す、推さずにはいられない!」と言えるのが本当に好きだということのような気がする。



池袋でやっていた「アシカとさしこの歌謡トークショー」を干してバスで14時間かけて博多に向かっているとき、何かそんなことを考えてました。。。