ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

【ちろう旅】五箇山、東尋坊、敦賀、彦根、関ヶ原を周遊する【後編】

10月1日(日)
7:30
起床。小雨。傘を持たない主義なので、車にも積んでない。どうしよう。
彦根城までが1キロほど。駐車場に無料で止めれていることを考えれば。小雨の降る中、徒歩、強行。徒(かち)。on foot。

 

堀をぐるっと回りながら中央部に近づく。城の天守に登るのに課金されるのかと思いきや、敷地に入る時点で関所(料金所)が。開場時間まで20分ほどある。手前に設置してあった仮設トイレで用を足しながら時間つぶし。


8:30
開場と同時に突撃。大人800円。階段を上る。天守
ふむ。現存する12天守のひとつ。なかなかのもの。

玄宮園という庭園をぶらり。池。

ひこにゃんと共にパチリ


彦根城博物館井伊直弼のお勉強をしている間に、天気が回復していて助かった。

井伊直弼と言えば江戸の大老として、勝手に日米修好通商条約不平等条約)に調印して、安政の大獄吉田松陰とかを処刑して、桜田門外の変で暗殺された人っていう認識だったけど、そもそも地元が彦根で、不遇の時代があったんやなアとか、思いを馳せる。
自分みたいなもんは埋もれ木やから、自分の屋敷に「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けて勉学に励んだというから、なんか良いなって思った。
兄たちが亡くなったため、35歳で彦根藩主となり、1858年、43歳のときに、幕府の大老に就任。大出世。

 

一通り散策して、城下町方面に移動したい。地図を見て散策していたら「登り石垣」というものがぽつぽつあるのを見つける。これを行けばショートカットが出来そうだ。

登り石垣は切岸など城の斜面を縦方向に走る石塁で、敵に攻められた場合、横方向の移動を封じるために築かれたとされる。文禄・慶長の役の際に築かれた「倭城(わじょう)」によく見られることから、その当時の特徴的な築城術とされる。しかし、中世山城でも発見されている例もあり、今後の研究を待ちたい。国内では彦根城のほか、松山城愛媛県松山市)、洲本城(兵庫県洲本市)、竹田城兵庫県朝来市)、尼巌城(長野県長野市)などで遺構が見つかっている。

 

そこらへんの掃除のオバチャンに尋ねる。
「登り石垣ってどれですか」
「ここにありますよ」

実に登りたくなる石垣ですね

「これかあ これ登れるんですか?」
「一般客は登れませんよ!」

はて。「登り石垣」なのに登れないとは、これいかに。
今すぐ名前を「登れない石垣」に改名しろ!

 


11:00
そんなわけで城下町を散策。なかなか風情のある通り。
これもグーグルマップで目星を付けていた夢京橋キャッスルロード、「近江牛肉うどん 麺匠ちゃかぽん」というお店に鍵開け。

熱々の湯がきたてのうどんに赤い上等の近江牛のしゃぶ肉を乗せ、その上から赤味噌で調味した出し汁をぶっかける。面の大盛りは無料。アツい出汁でしゃぶ肉がほんのり色づく。麺を食べた後に、追加で注文した白飯を投入してお茶漬けに。最高過ぎる。。。
今回の遠征で一番うまい食い物かもしれん。

麺匠ちゃかぽん 二代目

腹いっぱいになった後、近江牛コロッケなども買い食いしてしまう。

 

さて、林修先生のテレビかなんかで、行ってみたい城・城下町という番組で見ていたのですが、彦根城下町では当時の足軽の屋敷が残っていて、保存・公開もされているという。ということでキャッスルロードのさらに南の方へ。そうすると住宅街になるのですが、ぽつぽつと古い屋敷が残っている。


特に一番キレイに残っているっぽい建物では、何かの学芸員を呼んでトークイベントをやっていて結構な集客。小さい屋敷に50人くらい入っていたかな。こんなイベントあるって知ってたら来たかった~。
ブラタモリとか磯田道史先生とかも来ているらしく、いっぱい写真が飾ってあった。そこはミーハーなんやな。

彦根藩善利組足軽屋敷群

彦根藩善利組足軽屋敷群



他にもボロボロに朽ちかけて、固く閉ざされている屋敷とか。パッと見、松や古い塀を残しつつ、内側には普通の現代的な住宅を立てているところとかあって面白かった。ガワだけやん。

いゃ、ガワだけやん

一通り城下町を散策して、ぐるっと散歩して琵琶湖の湖岸道路、駐車場まで戻る。実にいい#ちろう散歩だった。


12:30
彦根の街に別れを告げる。次なる目的地は関ケ原。とりあえずは関ケ原古戦場記念館を目指す。
国道8号線から21号線に乗り換えるだけという簡単なルート。1時間足らずで着いてしまう・・・ということで、初関ケ原

 

13:30
関ケ原古戦場記念館に到着。
さて、どこから攻めようかと思案していると、建物の中で行列が目に入る。
どうやら中でシアターだか映像の上映があって、これが時間入れ替えの予約制らしく、その時点で嫌な予感がする。予約とか知らないねん。そして行列に並びたくないという強烈な拒否反応があるのだ。これは東京オタク時代にいやというほど経験したことの反動。

う~ん、入りたくねえなアとか考えていたら、そとの芝生広場で何やら興行が始まりそうな予感。


岐阜・関ケ原を去年に活動している演劇集団「古戦場おもてなし武将隊 関ケ原組」という人たちが、14時から演武をやるとのこと。ちょっと見てみようかな~という感じで観覧。
調べたら、元々は有志で始まったパフォーマンス団体が、今では関ケ原観光大使任命になっているらしい。

関ケ原古戦場記念館で、なんか始まった

動きがピシッと整っていて、見ていて気持ちの良いものだった。
公演後に記念撮影ができるということで、しっかり写真も撮ってしまう。
イベントのたびに演武のパフォーマンスをやっているとのこと。特に今月は年に一度の「関ケ原まつり」というのがあって忙しそう。

石田三成島左近(代表)、大谷吉継とともに

15:00
さて、どうしようか。せっかくここまで来て古戦場記念館に入らないという手はないよなア。神田伯山先生のナレーションも聴きたいし。シアターの予約はしていないけど、一応当日予約だけしてみようかなあ。

とか考えていて、ふたを空けて見たらこの深い時間になると事前予約している人もいなくて、その時間にいた人たち10人足らずしかいなかった(笑)。アホくさ。ということで入場。


第一弾に、全国を舞台とした東西陣営を俯瞰できる巨大な床面のスクリーン「グラウンド・ビジョン」
第二弾で「シアター」。両軍の激突を歴史的なシーンに迷い込んだかのような迫力ある映像で再現。
これのナレーションを神田伯山が担当しています。これが聴けて感動。伯山せんせえ~~~~!!!!

 

戦況の行方とかはわりと有名なのか展示してある内容と同じで、復習で勉強になるという感じ。
関ケ原の戦いって6時間足らずで決着してしまったっていうのが有名な話なんやね。
勝った東軍側に金森長近がいて、「あ~、あの。高山の城山公園に銅像が立ってるあの!」ってなった。

 

各種の展示や、最上階では360度を見渡せる展望台があった。まあ山ばっかりなんですけど。
んで誰それの最初の陣営の場所、最後の陣営の場所、誰それが布陣、誰それが布陣・・と書いてあっても「へええ」としか思えないんですけど(笑)

 

関ケ原、すごいところです。とはいえ不破郡関ケ原町という、市ですらない場所。もはや古戦場であることが観光資源ですね。レンタチャリで半日くらい巡るのも面白いかもしれないなアと思った。近くに住んでいたらね。

 

17:00
というわけで、旅も終わりに近づいている。高山への帰還。最後のドライブだ。途中、大垣あたりで「丸亀製麺」にin。釜揚げうどん(半額)を食す。久しぶりの丸亀が美味すぎてビックリする。


21号線を東に走り岐阜市へ。ここから北上して高山を目指す。この辺は大学時代によく通った道。そんなノスタルジーに浸りながら下道で。

 

21:00
自宅に帰還。
充実した旅だった。車での旅、良いぞ。
次は長野県、愛知県も攻めたい。城とか歴史的遺構とか、まだまだ見たいものがたくさんある。

というわけで、お疲れさまでした(自分に)。