ちろうのレイブル日記

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【連載】指原莉乃の軌跡その3〜さしこ、メディアのセンターへ

テレビやラジオ、雑誌に至るまで、どんなメディアにおいても何かと話題になるのは指原だった。そうするとメディアの側も指原を中心とした企画をつくるようになり、その侵食スピードは加速する。そしてまた「笑っていいとも!」にレギュラーとして抜擢されたのもこの頃だ。ぼくはこの時に「指原こそ、AKB48において最も適合した理想的な存在」なのではないかと思った。ここまでくるといよいよ褒めすぎなのかもしれないが(笑)、「AKB48とは高橋みなみのことでも前田敦子のことでもなく、指原莉乃のことではないか」と思ったのだ。

特に可愛くもないし、歌もうまくない、ただなんとなく明るくて場の雰囲気を明るくしてくれる存在。もちろん前田敦子のような不思議なオーラをまとった存在や、高橋みなみのような精神的支柱、渡辺麻友のようなアイドルを象徴する存在ももちろん必要だし、多様性こそがAKB48の強さであることは間違いないのだが、指原莉乃のあり方は他の上位メンバーと比べると圧倒的に真似できそうで身近なものに感じられるのだ。だから、何か圧倒的な魅力や分かりやすい特徴を持っていない多くのメンバーは(それこそ総選挙で順位がつかないようなメンバーは)指原を見習うべきなんじゃないかと思いながらぼくはAKB48を眺めていた。一見すると何も持っていない普通の女の子が、芸能人として活躍するためのメソッドを、指原莉乃は意識的にか無意識的にかそのまま体現してしまっている。前田敦子篠田麻里子にはなれないが、指原莉乃にはなれる気がする。実際にはなれないのだが「なれる気がする」というのが重要なのだと思う。これもつい先日のananに掲載された吉田豪との対談で、「(指原みたいに)誰でもなれますよ!」と本人が語っている。少なくともそうなるように努力することは必要ではないか。アイドルをやっているなら舞台上で何かをしゃべるべきだし、置かれている状況に感謝するべきだし、運営やプロデューサーの言うことには徹底的に従うべきだと思う。もちろんそれをしないでも成功するレアなケースはあると思うが、基本的には素直にそれらのことを遂行するべきだ。今のAKBグループの中には、すでに何かを諦めてしまっている「草食系」とも表現できそうなメンバーがあまりにも多いのは気のせいだろうか?指原は決して芸人のような面白いことを言えるわけではない。それは本人も自覚しているし、バラエティ担当だとか、周りに「芸人になれば?」とか言われることにはものすごく戸惑っている。芸人のような才能が無いといってもいい。しかしそんな才能があるのは芸人として第一線で活躍しているほんのひと握りの存在である。それでもアイドルとして舞台に立っている以上、一歩前に踏み出すということを実践している。その勇気を持っている。(ぼくは元々芸人見習いをやっていたこともあって、このことを重視しすぎるところがある。つまり、例えばMCで「何かある人〜」と振られた時に手を挙げられるか、何か一言でもしゃべってやろうという意思が見えるか、ということだ。逆に「何もせずにやりすごそう」としている空気を感じると、イライラしてしまう)

とはいえ今のところ指原を超えるような新しい存在が出てきていないことを考えれば、それは容易に真似できることではないのも確かだ。アイドルやスターはもちろん手の届かない存在である必要があると思う。しかしそれでいながら、同時に手の届きそうな絶妙なところに位置している指原というの存在は、やはり全く新しい価値を作っていると言うのは間違いなさそうだ。

これもまたAKB48という新しい文化運動の本質的な部分を、指原莉乃という個人が最もよく体現してしまっていると思う。本メルマガ編集長でもある宇野常寛氏は、既存のアイドルや芸能人にはなかったAKB48の魅力として、ネットの力を借りながらSNS等を駆使して日常をダダ漏れさせることによって親しみやすさを生み、それが人気につながっているという趣旨の説明をしている。それは、アイドルであるメンバーがまるで「こちら側」の人間だと錯覚させることだ。元々は何も持っていなかった少女がAKB48を「夢のショーケース」として人気を獲得していくというストーリーもそうだし、アイドルでありながら一番のアイドルヲタでもある指原は、ファンからするとまるで仲間のように錯覚してしまう。そしてアイドルを目指す女の子からしても、自信のない自分ももしかしたらあんなふうに輝くことができるかも知れないという希望を与えてくれる。人気に火が付けばそれに伴ってアンチが出てきてしまう様も、AKB48があるいてきた歴史そのものである。

2012年、AKB48は初の東京ドームコンサート、前田敦子の卒業という大きな節目を迎える。その年の第4回選抜総選挙では前田敦子が出馬しないことが話題になり、大島優子が1位に返り咲き、渡辺麻友が頂点まであと一歩の2位まで上り詰め、柏木由紀が前年の3位を維持した。しかしフジテレビでの中継で最も頻繁に取り上げられたのは4位の指原莉乃ではなかっただろうか。まるで指原がどこまで順位を上げるのかというのが国民の最大の関心であるかのように、大分の商店街に作られた特設会場からの中継が頻繁に入り、実際に指原の順位発表後のコメントをしている様子が瞬間最高視聴率(28.0%)を記録した。

AKB48はマスメディアとの関わり方も、既存の芸能界のあり方と一線を画してきた。この年の中継においても、番組を成立させるために肝心の1位の大島優子のコメント中に前田敦子が入ってきてシラケてしまったり、あるいはAKBヲタにとっては最も面白い下位の順位発表がテレビ中継では放送されなかったりと、AKB48とマスメディアは相性が悪いのだ。いたずらにアンチを生むことにもつながるので、メディアに取り上げられること自体を良く思わないファンもいる。しかし今や国民的アイドルとなっているAKB48を、メディアとしても取り上げないわけには行かない。そこに最もうまく適合したのもまた指原だった。彼女が秋元康を始めとする運営、AKBグループのメンバー、AKBヲタだけに留まらず、ついにメディアまでも味方につけてしまった瞬間だった。これがつまりセンターの第二段階である。ぼくはこの年の選抜総選挙を見て、指原がついに「メディアのセンター」に立ってしまったんだと思ったのだ。


2012年の選抜総選挙で4位だった時点で、指原莉乃という人にはまださらなる段階があるとは思っていなかった。もうお腹いっぱいだった。総選挙の順位としてはこの時の4位という数字がマックスかと思ったし、それで良いと思っていたのだ。もう選抜総選挙の順位とは別のところで充分に彼女はタレントとしての地位を築いた。本人は考えもしなかったにせよ、まさかのソロデビューも果たした。そんな人を推していて、しかも(恐縮なことに)本人にヲタとして認知してもらっているということがこの上なく幸せなことだった。もう他に望むことなどなかったのだ。しかし指原莉乃はそんな僕に、そして日本全国にいる彼女のファンに一時でも心の安寧を与えてくれるようなことはなかった。つくづくお騒がせな人である。

4回目の総選挙が終わり、直後には「第一回ゆび祭り」の開催が控えている中、週刊文春によって過去に男性ファンと交際していたことが報じられることが分かったのだ。これまでもAKB48のメンバーにおいては数々のスキャンダルがメディアによって報じられ、何らかの措置が取られてきていた。何の説明もなく解雇となる場合もあれば、研究生に降格されたり、謹慎になったり、あるいはだんまりを決め込むこともある。この時も公式の見解が発表される前にネット上では様々な憶測が広がっていた。

ちなみに、指原がAKBに加入した直後にmixiを経由して特定のファンと繋がっていたらしいという噂は現場では当たり前に囁かれていた話だった。だから、このタイミングで週刊誌にリークされる(あるいは週刊誌がそのことをネタにする)ということは、「有名税」という他はないだろう。

僕はこのタイミングでAKB48を卒業するという選択肢もあるかもしれないと思った。これまで飛ぶ鳥を落とす勢いで来た指原も、この状況はさすがに乗り切れるのだろうかと僕は不安になったし、もし仮にAKB48を抜けることがあっても、すぐに芸能活動をやめるということはないだろうという希望だけを胸に数日を過ごした。週刊誌にスキャンダル記事が出る場合、大抵2〜3日前にその内容がネット上には出回るものである。この記事が世に出ると分かったのが6月11日、週刊誌発売が6月14日で、指原にどんな措置が与えられるかは6月15日深夜のラジオ「オールナイトニッポン」まで待たなければならなかった。