ちろうのレイブル日記

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【連載】指原莉乃の軌跡その4〜さしこ、博多へ〜

深夜のラジオでなされた発表は、予想だにしなかったHKT48への移籍であった。その発表を知った瞬間は、寂しい気持ちだった。AKBの握手会に行っても会えなくなるのだろうか?AKB48劇場の公演に出なくなるんだ。でもそんなネガティブな気持ちはほんの一瞬で、HKT48に所属するのであれば少なくともAKB48のシングルが発売されるたびに行われる個別握手会には参加するし、いざとなればHKT48劇場に行けばまたその姿を見ることができる、それで良いじゃないかと思い直した。そう、指原莉乃は芸能界に残ってくれるどころか、AKBグループに居続けるのだ。そしてぼくはこのとき、また別のあることを考えていた。ぼく自身の感情や、指原の心境を推し量るでもない、もっと別のことを。当時のことをよく覚えているが(トイレの中でスマートフォンを手にしていた)、一通り自分の気持ちを落ち着かせたあとに考えたことは「HKT48のメンバーはなんてラッキーなんだ!」ということだった(さらに付け加えるならば、「AKB48のメンバー、(当時)チームAのメンバーはなんてアンラッキーなんだ!」とも)。

本当に「信者乙」という一言に尽きるが、現在指原莉乃HKT48に大きな貢献をしていることは多くの人が認めるところだと思うので、そのことも鑑みて許して欲しい(なにせぼくは、指原莉乃を推すあまり、彼女と共に活動しているメンバーに嫉妬すらしている!笑)。まず指原莉乃と活動を共にできるHKT48のメンバーは計り知れないくらいに学ぶことがあるだろう。それはMCの技術はもちろん、芸能活動における心構えやAKBの選抜メンバーとの架け橋になることに至るまで、実際に近くで見ることは即成長につながる(たとえば当時HKT48劇場支配人の佐藤氏は「クイックジャパンVol.103」の中で、指原移籍後のHKT48のMCは数段飛ばしで良くなっていると証言している)。これはまだ経験の浅いHKT48のメンバーにとっては、願ってもないチャンスである。そしてそれは同時に、これまで指原と行動を共にしていたAKB48のメンバーは、近くに指原がいなくなってしまうということも意味していた。そんなAKB48のメンバーを、ぼくは憂えてしまった。まったく大きなお世話かもしれないが。

さて、そこから一週間もすると、すでに地元九州では情報番組でのレギュラーが2本も決まっていたりして、ぼくとしてはもうほとんど心配することはなかった。しかしその移籍のニュースが与えるインパクトはやはり大きく、ヲタだけでなくメディアを通して一般人のなかでも賛否が言われるようになり、メンバー本人にまでも影響は及んだ。このタイミングでアンチが多く生まれたのも確かだった。デビューしたての若くてフレッシュなメンバーの中に、飛び抜けて長い経験を積んだ先輩が入ってくること(しかもアイドルとしては好ましくないイメージと共に)はアレルギーがあるだろうし、チームHのメンバーにおいても手放しで喜べるような心境ではないだろう。戸惑う気持ちも大きかったはずだ(指原の移籍が決まった当初に、宮脇咲良ぐぐたすで「HKTは変わりません!」と主張したのが印象的だった。過去に経験したことのない状況が不安だったのだと思う)。だから、アンチの人が指原に関して何かネガティブなことを言うのは仕方のないことだと思った。しかし様々な批判の中でも、唯一反論したくなることがあった。それは「指原みたいな選抜メンバーが来ることによってHKTに人気が出てしまう(チケットが取りにくくなる)」というものだ。もちろんファン心理としてはわかるが、本当にHKT48のことを推しているのであれば絶対に言ってはならない言葉だと思う。応援しているグループに人気が出て離れる人は黙って離れれば良い。わざわざ去り際に悪口を言って欲しくない。



そんな風にして、とても一言では説明しきれないくらいの環境に飛び込まざるを得なかった指原だが、この辺りの様子や本人が何を考えていたかについては「クイックジャパンVol.103 指原莉乃特集」に詳しいのでぜひ参照してほしい。世間のアンチからのいわれのない批判やHKTメンバーの戸惑いに対して、指原とてそれらをすぐに取り払うことはできない。そんな厳しい状況の中でとにかくやるしかなかったのだ。そして時間をかけて解消していくしかない。これはAKBの正規メンバーに昇格してすぐ、「鏡の中のジャンヌダルク」のセンターから逃げ出すことができずにぶつかっていったあの頃に似ている。注目度が段違いなのは、指原が成長している証だ。そんな中、移籍が決まった当初に指原がHKT48のメンバーに対して「さっしー」と呼ぶようにお願いしていたのは印象的だった。少しでも早く壁を取り払おうとする気遣いだろう。それが今では当たり前のように定着しているのだから、人との間の取り方が天才的だといえる。

自分に与えられた使命は、指原自身がよく分かっていた。現状ではほとんど無名のHKT48のメンバーを、まずはAKB48のメンバーに知ってもらうことが大事だと指原は言った。前述の「クイックジャパンVol.103」では、記者の「HKTのメンバーの魅力を伝える、AKBと繋ぐという意味で、指原さんの役割は大きいんですね」と問われると、「HKTの公演に指原が出ることよりも、公演に出ることでHKTのメンバーのことをいろいろ知って、「あの子、こういう子なんですよ〜」ってアピールできることのほうが意味は大きいのかなと思います。」と答えている。もはやこの時点でただのパフォーマーには留まらない、プロデューサーでもあろうとする献身性が見て取れる。そしてそこに見え隠れするのは、選抜総選挙で4位でもある自分ならばそれが出来るという自信だ。

それは日々の劇場公演やAKB48全体の仕事の中で徐々に実現されていったが、もっとも分かりやすく世間に届いたのは、2012年10月からスタートする「HaKaTa百貨店」というHKT48冠番組の中でだった。ここで元々期待されていた「プロデューサー的役割」を存分に発揮し始める。指原が「館長」となり、ゲストのAKBグループの先輩メンバーにHKTメンバーを紹介するというスタイルで、画面を通して全国のアイドルヲタにHKT48のメンバーの魅力を伝えるということを献身的にこなした。いろんなメンバーのキャラを拾い上げたり、まんべんなく話題を振ることにより、誰にもチャンスが与えられる状況を作った。そしてまた、メンバーが傷つかないように配慮することや、マイナスイメージが付くことを避けることを欠かさなかった。愛のある「いじり」と、「いじめる」ことは違うのだ。それはひとえに、指原の優しさがなせる業だ。

「HaKaTa百貨店」が評判になり始めると、そこからの指原莉乃、およびHKT48の勢いは凄まじかった。3月に「スキ!スキ!スキップ!」でメジャーデビューを果たすと、女性グループのデビューシングルとしては歴代最高枚数を売り上げた。「HakaTa百貨店」の他にも「HKT48のおでかけ!」や「トンコツ魔法学院少女」に至るまで、もはや全国ネットの番組でも頻繁にHKT48を見るようになった。指原自身は「劇場版ミューズ鏡〜マイプリティドール」に主演、「意気地なしマスカレードで」2ndシングルを発表するなどの活躍をした。「笑っていいとも!」や「AKB48映像センター」のメインMCを始めとして、日々メディアには引っ張りだこだ。それらの貢献を認められて、2013年4月28日、日本武道館で開催された「AKB48グループ臨時総会〜白黒つけようじゃないか!〜」最終日の夜公演にて、ついにHKT48の劇場支配人を兼任することが発表されるに至る。メンバーが支配人を兼任することなど、AKB史上でも初めてのことである。もはや前人未到の領域に入っている。

改めて、指原莉乃というタレントの仕事の幅の広さには驚かされる。今や芸能界ではほとんどトップに君臨していると言っていい明石家さんまタモリなどの大御所にも、指原莉乃は大いに可愛がられている。さんまが「お前なんで博多に行ったんや!?」と言うのは定番のいじりだし、AKBの選抜総選挙の話題が出るたびにいいともで共演しているタモリには「指原、調子に乗ってるの?」とか「絶対まゆゆの方が可愛いよ!」と言われるなどひどいものである。(ちなみにぼくが大好きなのが、タモリが第4回選抜総選挙の結果を表したボードを見ながら言ったコメントである。「(上から順に指を差しながら)大島、可愛いよね〜。まゆゆ、可愛いよね〜。柏木も可愛いよね〜。・・・(無言)」これは何度見ても笑った。)

その一方で、九州地区でのみ放送されている情報番組にも指原は出演しているのである。地方局のアナウンサーや地元のタレントの多くは、全国的には知名度はないかもしれないが、九州に住んでいる人間にとっては身近な存在だろう。そんな指原が全国ネットの番組にも出演し、大活躍しているというのが、地元九州の人間にとってどれほどの誇りであるだろうか。指原を入口にしてHKT48のことを知る人が続出するのは目に見えている。

今考えればほとんど磐石の体制を作っていると言えた。そうして訪れるのが、2013年6月に行われる第5回シングル選抜総選挙だった。