ちろうのレイブル日記

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【連載】指原莉乃の軌跡その2〜さしこ、話題のセンターへ〜

思えばこのバンジージャンプの件が、指原が最初にメディアに出るきっかけを作ったのだ。期せずというか、あまりにも偶然にというべきか。それまでは別段ヘタレキャラを売りにしているわけではなかったし、そもそも番組の企画をダメにしてしまったのだからタレントとしてもいけないことだ。だけどそんな出来事でもプラスに転換させてしまうのは、指原が持っている運の強さだ。そしてブログ「指原クオリティー」を開始させると、その初日から秋元康氏に「面白い」と褒められたという。そんなふうに褒められるのは初めてのことだった。

このブログは、指原が持っている特異性と需要がマッチした初めての分野ではないかと思っている。一言で言うと異常なのだ。およそ常人では書けないような文章を書く。それは指原自身が生粋のヲタだからだ。そういったヲタのブログはネット上を探せばいくらでも見つけることができるが、AKB48のメンバーにおいてはそんな文章を書くというのはおそらく初めてのことだった。しかもファンのあいだでは指原が過去に書いていたブログというのが知られていて、それが未だに公開されている(ログインするためのIDを忘れてしまい、消すに消せないらしい)。興味がある人は「えりっくまパワー」で検索してみてほしい(ちなみに「えりっくま」とは、指原の推しメンである亀井絵里熊井友理奈から来ている)。

そんな風にして指原莉乃の名前は徐々に話題に上るようになっていった。それでも僕にとっては半信半疑だった。「ブログが面白いって、、、そんなもんかね?」と言った冷めた感じだったのだ。しかしいよいよ風向きが変わってきたなと思った出来事が立て続けに起こる。週刊プレイボーイのグラビアにソロで出演すると「さしこのくせに生意気だ」というコピーを付けられ、秋元氏に「指原莉乃改め、さしこ」というドッキリを仕掛けられ、指原を主人公にした4コマ漫画「うざりの」が始まるというニュースが入る。徐々に単独で話題の中心に立つ機会が増えてくる。

明確にいじられ始めるのだ。それは愛され始めるとも言い換えることができる。この底抜けに明るく、すぐ動揺して泣き出す性格は、いじればいじるほどに面白く、また輝く。ブログはヲタク丸出しでキモチワルイ文章だけど秋元康氏をうならせるほど面白いし、先輩でありながら妹的存在のメンバー(多田愛佳渡辺麻友)や後輩メンバーに執拗に抱きつく様子(通称サシハラスメント)はぼくたちヲタクの味方であることを示してくれる。ドッキリを仕掛けられたり、メンバーの生誕祭などで誰よりも早く泣き出してしまう様子には、胸を打たれる。AKBの先輩も後輩も指原を慕い、名前を話題に出すようになる。そして何よりも、秋元康氏に気に入られたことは決定的だった。

第2回の選抜総選挙では19位。前年から大きく順位を上げ選抜メンバーにも選ばれた。それでも「ヘビーローテーション」のミュージックビデオでは2.5秒しか映してもらえず、指原らしい話題を提供した。そうして間もなく「さしこのくせに」の放送が決定するのである。AKB48のメンバーとしては、初めての単独での冠番組だ。この番組がもたらした影響は大きく、これで初めて指原を知ってファンになったという層は多い。それは「さしくせ新規」という言葉が生まれるほどだ。いよいよ指原がメディアの人になってしまった!

選抜総選挙で1位になった今の指原には多くのアンチがいるだろう。そうでなければそのポジションには立てない。しかしこの頃の指原にはアンチが全くと言って良いほどいなかったのではないかと思っている。それはファンだけでなくスタッフ、メンバーの中においてもだ。特に指原莉乃が後輩メンバーに積極的に声をかけ、不安を取り除いてやることによって救われたと証言するメンバーがとても多いことは有名である。しかもAKBだけでなく姉妹グループに至るまでそれをやっているというのは特筆すべきことである。例を挙げるならば、AKBを辞めるかどうかというところまで追い詰められていた島崎遥香の相談相手になったこと、「飛べないアゲハチョウ」で共演した際にはAKBメンバーに打ち解けられなかったSKEの松井玲奈に、パフォーマンス中に執拗にウインクをして笑わせたこと(「AKBがいっぱい 〜ザ・ベスト・ミュージックビデオ〜」の「飛べないアゲハチョウ指原莉乃×松井玲奈の解説動画は本当に必見です!動画サイトで検索!)、チームA時代の後輩である前田亜美の生誕祭では、サプライズでメンバー全員分の付け眉毛を用意した。「真夏のSounds good」の選抜ではHKTの児玉遥が、「UZA」の選抜では宮脇咲良がそれぞれ指原に気にかけてもらったことを感謝している。「真夏のSounds good」までは、もちろんHKT48移籍前の話である。


AKB48 トーク飛べないアゲハチョウ指原莉乃松井玲奈



1stフォトブック「さしこ」の中で、研究生時代の仲間との座談会(地方組座談会)でこんな会話がある。

中西優香「そういえば、指原、SKEですごい人気だよ。SKEメンバーで選挙したら1位、2位に入るレベル」
指原莉乃「ウソ!うれしい!」
北原里英「後輩に優しいからね。」

後のAKB48選抜総選挙で1位になることまで中西優香も予想できなかったかもしれないが、この時点ですでにSKEメンバーからの支持を集めているというのはすごいことだ。こういう下地があるからこそ、2012年に行われるHKT48への移籍がどのような影響をもたらすかということも分かるというものだし、秋元氏がそういう采配をする理由も見えてくる。

2011年に行われた第3回の選抜総選挙では、前年の8位から一気に3位まで順位を上げた柏木由紀が話題になり、それまでの上位7人を表す「神セブン」という言葉がその意味の変容を迫られてくる(主要なメンバーが何人も卒業してしまった現在では、これは特定のメンバーを指すというよりは単純にその年の上位7人を指す言葉となっている)。8位に順位を下げた板野が外されるのか、あるいは「神エイト」と呼ぶべきなのか。しかしそのすぐ下には、前年から実に順位を10も上げて9位にまで上り詰めている指原莉乃が虎視眈々と迫っていた。指原が確実に支持を集めていることが数字となって現れていた。

そしてまた、この総選挙を迎えるまでの一年間に起こったもっとも大きな動きといえば第一回目の大々的な組閣、チームAへの移籍があった。これによって指原は人間的に一段と成長し、結果的に指原の人気をさらに押し上げることとなった。それはつまり、前田敦子高橋みなみ篠田麻里子小嶋陽菜といった、それまでAKB48を最前線で引っ張ってきたメンバーと行動を共にすることになったからだ。それまで妹的な位置づけであったチームBに所属していた指原だが、この時の組閣によってチーム間の在籍年数の偏りはある程度シャッフルされた。そこで初めて、上記のようなメンバーと近くで接することによって自分は変わったということを、本人が語っている。

確かに初めはヘタレで周りの評判を気にする指原だったが、今ではどんな不安や不満も一日寝れば忘れられるといったような強靭な精神の持ち主である。過去の指原と今の指原はあまりにも違うように見えるが、その理由がここにあるのだ。毎年総選挙後に発売される「水着サプライズ」の中で、性格が変わったのは何がキッカケだったのですかと問われて、こう答えている。

「最初のキッカケは、たぶん(チーム)Aへの移籍(2010年7月)ですね。その頃のAの人たちって、ほかのチームのメンバーと全然違うんですよ。私が“○○どうしよう〜?”とか“○○が心配なんですよ〜”とか言うと、みんな“そんなのに気にしてもしょうがないよ!”って(笑)。なんていうか、芸能人としての気持ちができてる。他人の目なんか気にしない。そういう人たちの集まり。その中にいるうちに、自分も小さなことを気にしなくなってきた」
(水着サプライズ2013より)

それまではネットの悪口を見てはいちいち落ち込んでいたと言うのだ。しかしメディア選抜のメンバーと行動を共にすることによって、芸能人としての心構えみたいなものを学んだ。これは間違いなく、今やアンチをものともしない指原の鋼の精神を形作る最初のきっかけである。この時にチームAに移籍したのは運が良かっただけだと言うことももちろんできるが、そこで先輩メンバーに壁をつくらずスポンジのような吸収力を発揮したことや、そこで学んだものを今HKT48で惜しみなく後輩に伝えている様子を見れば、指原がただ運に恵まれているだけの人間だというわけではなさそうだ。このようにチームAで活動していく中でひと回りもふた回りも成長した指原は、ますますその存在感を大きくしていくことになった。

ぼくは指原莉乃選抜総選挙の1位、すなわちセンターを獲得するまでに、三段階の「センター」があったと見ている。つまり三段階目のセンターが先の選抜総選挙での1位ということになるだが、まず第一段階として「AKBグループメンバー内での話題のセンター」があった。この頃に印象的だったのは、とにかくAKBグループのどのチームのメンバーも指原を話題に出しているということだった。先輩や同期は「さっしーが〜」とか「指原が〜」と言い、後輩や姉妹グループのメンバーにおいては「指原さんが〜」という話題をとにかく口にしていた。その様子を見てぼくは、「指原愛されているなあ」と微笑ましく思っていたものだった。各方面から愛された結果、いつどの場面においてもその名前が頻出するようになった。しかしこれはあくまでも内輪での話である。まだ世間的には届いていない。ところがこれがテレビのバラエティ番組や歌番組においても頻繁に行われることによって、まるで菌類が侵食していくかのようにじわじわとその存在が一般層にまで広がっていったのだ。それはやがて、日本全体を覆い尽くすまでになる。