ちろうのレイブル日記

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【連載】指原莉乃の軌跡その1〜マイナスからのスタート 

先日は文学フリマにてわざわざ本を買いに来てくれた方々、ありがとうございました!!次は冬のコミケに出展することになりそうです。詳細はまた改めてご連絡します。

さて、「指原莉乃に会いに行く」も無事に同人誌即売会でのお披露目が済んだということで、ふと思い立って、こちらのブログで僕がメルマガPLANETSに書いた「ちろうのAKB体験記」の後半部分にあたる「さしこの奇跡シリーズ」を公開連載しようと思います。こんなこと勝手にやって良いのかしら?という想いもありますが、「ちろうのAKB体験記」は前半〜中盤の初期AKB48現場の体験レポこそが主題で、こちらのさしこの奇跡シリーズはおまけみたいなものなので良いかな〜ということで(笑)。これをきっかけにまた本編や、これを全部通して読むことができる「PLANETSチャンネル」にも興味を持ってもらえればと思います。

これは実験的な企画でもあるので、気軽に読んでもらえたら嬉しいです。全5回、一日に一本のペースでアップする予定です。これでアクセス数が増えたりしたら嬉しいのだが。ちなみにこの第1回は、「指原莉乃に会いに行く」にも収録されているので、熱心な読者ならすでに読まれていると思います><





【連載】指原莉乃の軌跡その1〜マイナスからのスタート 



前回までに、指原莉乃と200MVPでチェキを撮って、本当に推していることを行動で示したまでは良かったが、あくまでも「AKBの中では1推し」という程度のもので、相変わらず僕には他現場にも推しメンがいたのだった。劇場公演チケットの倍率が高くなるのに伴って、ぼくも劇場に入る頻度はここから極端に減ってしまった。それは指原本人もよく分かっていたようで、握手会に行くと「久しぶりに来た!」とか「最近全然劇場来てないよね?」とか言われた。ひどい時には「何しに来たの?」などと言われ、「さっしーが一推しだから来たんだよ!」と言うと「じゃあメイドの一推しは誰なの?」とか言われた。そんな対応をされるのも、心を許しているからなのだと自分に言い聞かせた(笑)

さて、指原莉乃が正規メンバーになりどんどん存在感を大きくしていく中で、ある時点でぼく自身にも大きな変化が訪れる事になる。ある意味では指原のことを甘く見ていたのだと思う。まあせいぜい頑張って選抜メンバーの端っこにいつもいるくらいになれば良い。同期の北原里英仁藤萌乃といったメンバーと切磋琢磨して、自分なりに活躍してくれれば良い。メンバーやヲタにも好かれているようだから、総選挙ではそれなりの順位に居続けるだろう。当時は指原莉乃が、ぼくをぎりぎりのところでAKBヲタとして引き止めている存在だった。しかしどこかの時点で、ぼくは再び本気のAKBヲタ、指原ヲタへと変貌を遂げるのだ。それは例えばワケも分からず同人誌を作り始める、といった行動へとつながることになる。

その理由はやはり指原莉乃をメディアを通して見る機会が増えてきたというのが大きい。前回まで、タイトル通りのぼく自身の「体験記」を語ってきたが、ここからは指原莉乃の軌跡を振り返る中で、ぼくなりに指原莉乃の躍進の理由を考えていきたいと思っている。これはもはや「AKBヲタが自分の推しメンの魅力を語っているだけ」である。「体験記」ならば自分が体験したことなのだと自信をもって語ることができるが、ここからは少しだけ主観的な話になってしまうかもしれない。しかしお付き合いいただければ幸いである。


指原莉乃の特徴といえば「マイナスからのスタート」ではないだろうか。それは秋元康の言う「さしこ力」の定義が物語っている。

「期待させないところから、意外と良いんじゃない?と思わせる力」

いつでも彼女は不遇とも言っていいような状況に直面し、それを跳ね除けてここまで人気を獲得してきた。まさに最近では過去のスキャンダルを週刊誌に暴露されてHKT48に電撃移籍をした後に、さらにそこからお茶の間での人気を獲得、選抜総選挙でついに1位を獲得するまでに上り詰めてきたというのが記憶に新しいだろう。そもそもの出発点として、指原は自分に「アイドルとしての素質」があるとは思っていない。自分のことを「ダンスも下手だし、歌も下手だし、可愛くないし」と言ってしまうアイドルというのも珍しい。その発言にも計算があるわけではなく、純粋にそう思っての発言だからいやらしさがないし、またかといって開き直って卑屈になっているわけでもない。いつでも素直で謙虚なのだ。だから多くのヲタは「何も特別なものを持っていないけど、何か憎めなくて良いヤツなんだな」というギャップに惹かれてしまう。また、「ヘタレキャラ」を引き受けてしまったこともその一つだろう。彼女に言わせれば、「(バンジージャンプが飛べなくて)2回も番組の企画をダメにするなんて、ものすごい度胸」なのだそうだが、すぐ泣き言を言う弱々しいキャラというイメージがついてしまった(実際にすぐ泣いてしまうという性質はあるのだが)。

しかし彼女の不遇な状況を引き寄せる性質は、初めのチームB昇格の時から始まっていたのだ。

というのもちょうどこの時、チームBでは人気メンバーとして活躍していた菊地彩香が、男性との2ショットプリクラが流出し、何の弁解の余地も与えられないまま解雇となってしまっていたのだ(後に菊地は7期研究生としてカムバックする)。そこのポジションに入ることになった指原莉乃は、菊地彩香がセンターを務めるユニット曲「鏡の中のジャンヌダルク」のセンターポジションをそのまま引き継ぐことになってしまった。

それをどんな気持ちで受け入れていたかは想像に余りある。元々の菊地彩香のヲタからも、またチームBの他のメンバーのヲタからも否応なく比較されてしまうことは予想される事態だ。すでにシングルの選抜も経験している菊地と、つい先日チームBに昇格したばかりの指原では実力は比べるべくもなかった。たまたまセンターの穴が開いてしまったとは言え、なぜ研究生から昇格したばかりの指原なのか。元からいた他のメンバーではダメなのか。それでも彼女に逃げ場はなかった。やるしかなかったのだ。

するとやはり始めは批判の声が上がった。拳を力強く突き上げる振りでは、その動きがふにゃふにゃしていることから「ネコパンチ」と揶揄されていた。それでも逃げることはしなかった。この頃のことを、指原はインタビューでこのように語っている。(まるっとAKB)
「私はその穴を埋められるほどの人じゃないんです。ファンの方はあやりんの『鏡の中のジャンヌ・ダルク』を観に来ていたわけです。どうしても比べられますから。やっぱり嫌でした。だから、MCでも全然しゃべらなかった。昇格したはいいけど、こんなことなら出たくないと毎日思っていました。」

こんな時代があったのだ。センターを任されておいて、出たくないとは贅沢な話かもしれない。しかしどんな人間にもそれぞれの立場がある。本人の望むと望まざるとに関わらず、実力以上の期待をかけられてしまうこともある。それでも逃げずに、とにかくこの辛く苦しい時期を乗り切った。始めは批判されながらも、数ヶ月後には徐々にその努力を認められてきた。

「あるファンの方が握手会の時に言ってくれたんです。『今までキツイこと言ってごめんね。さっしーが頑張っているのはわかったから、応援するから』って・・・。私、伝わったんだって思ったら、うれしくて、結局、それで泣いてしまいました」(1stフォトブック「さしこ」本人2万字インタビューより)



そして昇格から半年、2009年2月になると「B4th アイドルの夜明け」公演が幕を開ける。指原が正規メンバーとして初めて迎える新しい劇場公演であった。ここでもユニット曲『愛しきナターシャ』でセンターを任されると、片山陽加、田名部未来と共に独自のキャラクター(チーム狩人・ドリアン指原)を設定し、徐々に持ち前の明るさと才能を開花させていった。ようやく確かな居場所を確立し始めたのだ。そして間もなく、第1回シングル選抜総選挙が行われることになる。

指原がAKBに加入した2008年はAKB48にとっても大きな転換点だった。2007年、これまでのデフスターレコードとの契約が切れ、実に10ヶ月もの間AKBのCDが世に出ることはなかった。そして2008年、新たにキングレコードから待望のシングル「大声ダイヤモンド」が発売されたのだ(個人的には、この「大声ダイヤモンド」の発表時期と指原加入が共に2008年であるという一致は、AKB躍進の多くを物語っていると思っている)。その「大声ダイヤモンド」で選抜に抜擢されると、その後の「10年桜」「涙サプライズ」にも選抜メンバーに選ばれていた。だから本人としては、その直後に行われた第1回シングル選抜総選挙では選抜に、つまりは21位には入らなければならないと意気込んでいたという。しかし結果は27位だった。

それほど悪くない順位だと思ったのはやはりぼくが当時の指原に期待していなかったからかもしれないが(笑)、本人はひどく落ち込んだ。その結果、次のシングル「言い訳Maybe」では選抜には入れず、さらには次の総選挙の結果が反映される「ヘビーローテーション」まで1年間、選抜からは遠ざかっていたのだ。しかし、最初の選挙直後こそ落ち込んでしまったが、そこからずっと腐っていたわけではなかった。今、大切にしている言葉は「勝って驕らず、負けて腐らず」である(「タマリバ」インタビューにて。とはいえ指原はインタビューを基本的に適当に答えているので、あまり当てにはできない(笑)ちなみにこれは峯岸みなみ家の家訓でもあるらしい)。

選抜に選ばれず、精神的にも辛い時期ではあったが、劇場公演では様々な先輩の穴を埋めた。おかげで「RIVER」と「ポニーテールとシュシュ」では全ポジションをこなせるらしい。指原は今では振り付けを覚えるのが異様に早いというのは自他共に認めるところだ。もしかしたらこの頃の努力の賜物なのかもしれない。そしてちょうどこの頃、指原にとって大きな転機が訪れる事になる。まずはテレビ番組の企画でバンジージャンプが飛べなかったこと。幸か不幸かこれを面白おかしく取り上げられた。そして2010年4月に開始させたブログ「指原クオリティー」が話題を呼び始めるのだ。