ちろうのレイブル日記

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「前田敦子はキリストを超えた―としてのAKB48」を読んだ

先ほど2回目の読了をし、改めて「AKBの本質を捉えるための聖典のようなものだ」と思わされた。あえて「宗教」と捉え(著者本人からすれば「あえて」でも何でもないのだが、宗教という言葉を聞くだけで訝しがる人が多いしね)、それを真正面から記述したこの本は本当にすごい。

この本は4章に分かれており、第1章では「なぜ前田敦子がキリストを超えた」と言いうるのかについての考察。ここでのキーワードは「アンチ」である。第2章では「近接性」というキーワードで、「AKBのメンバーはなぜ膨大なアンチに耐えられるのか」ということの考察する。それは握手会などの接触する機会に、無数の承認を受けられるからだ。だからネット上の匿名の批判にも耐えられる。そしてまたアンチのエネルギーをかき集めることで、メンバーが輝くとも言う。「アンチ」という曲で歌われている通りだ。第3章ではこれまでの客観的な解説とは一転して、劇場公演のシステムを解説しながら著者がいかにして推しメンである「ぱるる」を推すに至ったのかというレポートである。これを読むと、AKBの劇場公演でどんな神秘的な体験ができるのかということをありありと感じることができる。クライマックスの第4章では、著者本人も「膨大な風呂敷」と言いつつ、AKB48はそのシステムを世界中に広げ、争いのない世界を実現する可能性があると説く。


そして、情報環境研究者らしく、「ロングテール」と「スケールアウト」という言葉を用いても、AKBは現代の状況にうまく合致しているという。趣味や価値観が多様化している現代で、「誰もが国民的に愛する××」といったものは成立しにくい。だからこそAKBは多種多様な少女たちを抱え込む。まさにロングテール的だ。そしてそれが「スケールアウト」していくさまは、日本国内に限らず世界に広がる可能性も秘めている。

この本を通して繰り返し強調されるのは、AKBヲタをやっていて体験することが、どれも「宗教的であるとしか言えない」というものだ。AKBにハマり、AKBのことを考えているだけで楽しく、また時に傷つけられ、感動させられ、生きる目標さえも見出すことができる。これはまさに宗教だし、ぼく自身6年前から今までに体験したことが全て言い表されているような気がした。(ぼくがAKBにハマったのは2006年7月。古参自慢じゃないよ笑)

著者である濱野智史氏と、また本書のあとがきで「自分をAKBにハマらせてくれた使徒のような存在」と記されている宇野常寛氏などが(もちろん小林よしのり氏や中森明夫氏等も)、ここまでAKBについてアツくなっている大きな理由として「既存のアイドルという概念を逸脱した、何か新しい文化運動だと捉えているから」というのがある。

ここで例に出すのは申し訳ないが、ももいろクローバーZのファン(モノノフ)が「ももクロはアイドルじゃない、ももクロという新しいジャンルなんだ」という表現をする人がいるとして(そういう表現をするのも自由だと思う)、それを嘲笑するももクロ古参ヲタや「アンチサブカル」とでも言うべき人たちがいる。ももクロはアイドルだろうと。

しかしAKBに関しては、もう本当に「新しいジャンル」としか言いようのないのではないかと思う。AKBはもはや「AKBとは○○人のアイドルグループ」という表現をすることができない。もちろんアイドルであることは間違いないんだけど、常に進化し、拡張しているからだ。その点で、従来のアイドルグループとは全く違った新しい何かである。つい最近公開された、AKBの東京ドームコンサートのDVDのCMでもお馴染みの、AKB48白熱論争4人組+田原総一朗氏の討論でも、宇野常寛氏が言っていることに全て集約されていると思う。

プロ野球Jリーグのチームが各地方都市にあって地元のファンがついていることに何の違和感もないじゃないですか。AKBも将来的にはそうなっていく(現にそうなりつつある)。それぞれの都市にはAKBグループの専用劇場があり、そこで活動する女の子たちがいる。そして年に1回、選抜総選挙で全国から集められたメンバーでランキングを付ける。必ずしも中央(AKB)のメンバーが常にトップになるわけではなく、姉妹グルームのメンバーがトップになることもある。それが当たり前の世界がやってくる」

それが日本を飛び出して世界にまで広がっていったとき、世界がひとつになる可能性があると濱野智史氏は言う。

そしてこのAKBのシステムが海を越え、いつか総選挙が海を越えて開催されたとき―国際総選挙の実現―、おそらくそれは、AKBが〈世界宗教〉への道を歩みはじめる次の第一歩である。
想像してみればよい。たとえば中国のメンバーが総選挙で上位なりセンターなりに選ばれたときのことを。もちろんそのとき、特に日本のAKBヲタたちは反発するかもしれない。ネット右翼的に貶めるアンチの声も数多く出るだろう。しかし、中国の劇場から立ち上がってきたメンバーには、AKBヲタであれば誰もが認めざるをえない、なんらかの正当性が宿っているはずだ。それにAKBヲタであれば、少なからず感染するはずである。

もし日本以外のグループメンバーが総選挙で1位を取るならば、そんな子は必ずやあっちゃんのような「何とも言いようのない魅力を持った、超絶可愛い存在」であろうことは容易に想像できる。そうでなければセンター(に限らず上位)になれるはずがない。

2012年のいま、国境問題をめぐって東アジアが揺れている。中国や韓国といった隣国で、反日感情はかつてないほどに大きく膨らんでいる。誰も戦争は望んでいないが、しかしこの問題はどうすれば解決できるのか。
(中略)
AKBの宗教的性質に学ぶべきだ。すなわち、端的に「アンチ」を取り込むしかない。つまり、あっちゃんのあの言葉、「私のことは嫌いでも・・・」をこの東アジアにおいても発動させること。中国にいるであろうネット右翼的匿名のア悪意をアイドルにぶつけさせ、それに対しアイドルという近接性の身体で対峙させるような、すなわちネットとリアルをまたぐ「アイドルという二重の身体」を現につくりだすこと。これこそが、東アジアが辿るべき道ではないのか。

AKBと世界平和を結びつけるこんな力強い言葉を聞いたことはない!「アイドルなんかにアツくなって何バカなことを言っているのだ」と思われるかもしれない。そう言いたくなる気持ちは痛いほどわかる。そして、そう言われることが分かりきっていても、それでもこんな力強い言葉を届けた著者のマジは本当に震撼せざるを得ない。

今の時代に生きているのならば、少しでも多くの人にこの本を読んで欲しい。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)