ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

萱野稔人×宇野常寛トークセッションを見てきました

昨日19時30分から池袋ジュンク堂

集英社新書 『没落する文明』(萱野稔人神里達博 著)刊行記念 哲学者・萱野稔人の「文明」を考える、 連続トークセッション 第3回 <「没落する文明」の時代に希望はあるのか?>
萱野 稔人(哲学者)×宇野 常寛(評論家)

を見てきました。

没落する文明 (集英社新書)

没落する文明 (集英社新書)

最前センターを陣取って聴きましたが、興奮しっぱなしの90分でした。
今回の出版記念の「没落する文明」の話には一切触れず、先日放送された「ニッポンのジレンマ」の話から、言論の世界の系譜の話から、日本がこれからどうしていくべきかという話から、いろいろ聴けました(笑)


宇野氏がマシンガンのように話して萱野氏が若干気圧されているような空気はありましたが、旧来の地縁や地域コミュニティみたいなものを「つまらない文学」だとバッサバッサ斬りすてる宇野氏は圧巻でした。萱野氏も完全には同意見というわけではないのですが、現実を見ましょうよという点では共通しているようでした。ぼくも若者世代(?)としてそう思います。昔は良かった的な話をいつまでもしていてもしょうがないですしね。


これから日本が向かうべきは脱原発以外あり得なくて、だとすると現在日本で反原発として最も影響力のある橋下氏と手を組むしかないだろというのも同意見でした。大阪では圧倒的支持を集めながら、同時に全国的にアンチも多いのですが、そのアンチ具合が強烈なのが良く分かりませんね。なぜあそこまで毛嫌いする人が多いのだろうか。独裁だから危ないとか、支持派が強烈だから危ないとか言うのは、本質的に違うと思います。ぼくは政治家とかタレントでしかないと思っているから、これだけ支持を集めるのはむしろ優れている凄い人なんだろうなと単純に思ってしまいます。そもそもアンチが多いというのは、人気者の証のようなものですからね。それこそ前田敦子が証明したように。まあぼくは政治のことあまり知らないので何とも言えないのですがね。


萱野氏が言っていた、検察とか裁判とかの信頼が失墜したために導入された裁判員制度によって、裁判結果そのものを変えてしまうという話で、それは良くないと思っているという話でした。これは変化を受け入れられないという話ではなくて、純粋に明らかに良くない方向に変化してるよねとぼくも思います。皆自分勝手にああしろこうしろと文句を言うけど、自分では責任を取りたくない。だいたい一般人や観客の要望をどんどん受け入れていったって良いモノが生まれるはずがないですよ。東氏に言わせればきっと「日本人は(というか人間はとも言えるかもしれないけど)バカばっかりだから」ということになると思うんだけどね。


これはぼくはAKBの現場レヴェルでも起こっていることではないかと思いました。どういうことかと言うと、昔は劇場公演で250しかない座席を友人の為に取っておく(ポ主)のはもともと禁止だったけど、自分の席を友人に譲るみたいなことは平気で行われていた。それは人脈や時にはお金を使って。そうすると自分にとっていざという時や、推しメンが出ている大切な公演などで良い席で見ることができた。でもそういう席交換をしている人を良く思わない人が運営に文句を言って席交換は一切禁止になった。今ではちょっと立ち位置を交換するだけでも注意される。あるいは振りコピや大きな声でのコールは他の客の迷惑になるからと禁止になった。おかげでAKB劇場公演はお通夜のような静かな客席になった。これはエンタテインメントとしてどうなのだろう。


握手会では転売禁止を求める声に過剰に反応するあまり、一切の握手券譲渡が禁止になった。握手会場へは、CD購入時の納品書に、顔写真付きの身分証を持っていかなければならない。これはかなりの手間だし、転売はある程度撲滅できたものの、急に都合が悪くなって友人に握手券を譲るということも出来なくなった。握手会当日に開場に行けなければその握手券は紙くずとならざるを得ない。転売で利益を上げようというのはあまりよろしくない行為だけど、考え方によってはおかげで入手が難しい握手券やチケットも金と人脈があればどうになかったということだ。しかし、そういう人脈とかがなく、文句を言いたいだけの人の声を過剰に聞き入れることで、窮屈になる。


それは端的につまらないものとなった。離れていったファンも多い。それでも離れていったファンの数よりも新規のファンの数が多いからビジネスとしては成功しているのかもしれない。でも今でも不信感を抱きながらイベントや握手会に言っているファンも多い。いつかその不満が爆発するのじゃないだろうかと思う。


AKBなんてただの一過性のエンタテインメントで、別にいつ終わってしまってもいいと言ってしまえばそれまでなのだが、昨今の宇野氏や濱野氏が主張する、日本をよりよく導くためのヒントがAKB48にはあるという主張にぼくも賭けてみたいと思うのですよね。それは指原莉乃という次世代のエースを輩出したということもありますし。


まあこんなようなことを話を聴きながら漠然と考えていたんですけど、つまりダメなんですよね、何もかも。運営側は民衆の声を全く聞かないのはダメだし、一部の声の大きい人の言うことだけど聴きすぎるのもダメ。かといってぼく個人が何をやっても変わらないだろうし、そもそも何をやったら良いかわからない。そうなったときにもはや東氏の「一般意思2.0」で示されているやり方しかないよなあと思う。政府は議会の様子を全て公開し、民衆の意見やつぶやきがニコニコ動画のコメントのように流れてきて、そこで空気を読みながら政策を決定していく、みたいな。AKBの運営もこれを取り入れるべき。握手会場にて納品書と身分証の提示を徹底する、というルールを決めようとするとき、賛否の意見のどっちが多いかぐらい一目でわかる。そうすればつまんないルールを導入することもなくなります。まあこれはどうでもいいんだけど。


この本の最終章で示されている事例が特に分かりやすいと思いました。一般意思2.0が取り入れられた政府2.0の世界では、国家の在り方は水道局のようなものである、というもの。詳しくは著書を読んでみてください。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル


そんなわけで萱野氏や宇野氏は「一般意思2.0」についてどう思っているのだろうかな〜というのが気になりました。