ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

「さしこ」を読みました

指原莉乃1stフォトブック「さしこ」を読みました。24日の新宿福家書店でのイベントに参加してきてようやく入手!やっぱりファンならイベント日まで待たないで発売日に購入するべきなんでしょうか。。。イベント整理券を買っていて入手する予定なのに新たに買うのはいかがなものか。。。まあ難しい問題です。


んでようやく本を読んだのですが。。。ただの写真集かと思いきや、いろんな人のインタビューや対談、本人によるエッセイなどがあってなかなか読みごたえのある作品でした。よく考えたら高橋みなみの初フォトブック「たかみな」も当時買ったんですがかなり文字量が多くて似たような感じでした。まあ「たかみな」は文字が多すぎて読んでいませんけど。


初めに指原評みたいなものがあって、タイトルが「あなたのなかにも、さしこはいます」

(略)アイドルのくせに、それじゃ僕らと一緒じゃん!
さしこだってできないんだから、くよくよしてもしょうがない。
さしこだって泣いたんだから、我慢しないで泣いてしまおう。
さしこだって頑張ってるから、自分だって頑張らなくちゃ。
さしこのように努力すれば、僕らも“さしこ”になれるはず―――。

これは概ねぼくが「AKB48とは指原莉乃のことである」で主張したことと同じですね。
ホントにね、お前らのんきにさしこを応援してんじゃねえぞ!こんどは俺たちが“さしこ”になる番だろ!という提言です。


「でも、みなさんが本当に誇りです!」
さしこはまったくわかっちゃいない。
本当に誇りに思っているのは、僕らのほうだってことを。
さしこがいることで、僕らが夢を見続けていられることを。
AKB48という壮大なドキュメンタリーが生んだ「奇跡」は、拍子抜けするほどフツーで、なのに、とびきりクセになる。

いや本当にその通りだなと思った。指原莉乃はすごくフツーだから「何者でもないぼくたち」に親近感を持たせ、クラスの友だちのような距離感で存在でき、そしてそれ故に、これだけ多く愛されることができるのだろう。それが簡単そうに見えて、実は多くの人たちにはできてない(ぼくたちも含めて)という事実に、もっと多くの人が気付かなければならないだろうと思う。


この序章の時点で、この本は良書だなということが分かる。さすが今一番勢いのある指原莉乃は違うゼ!



家族、とりわけ母親との絆や、「地方組」と呼ばれる研究生当時に共同生活をしたメンバーとの絆などがうかがい知れる内容が良いです。また誰もが人気メンバーと認める位置まで上り詰めてしまった現在の心境などについても言及されています。例えば最近では自分のことを「ブサイク」だと言わなくなったと。さすがに総選挙で9位のメンバーが自分のことを「ブサイク」だと言っていたらそれは失礼だろうということらしい。そういうふうに周りに対して気遣いができるところが彼女の良さでもあります。


この本によって、指原莉乃の新たな魅力が明らかになりました(個人的に知らなかったことも含めて)。


1.いじめに対しては「くだらない」と断言
中学2年生の時に女の子のグループにいじめられていたという指原。その対処法が、「なんでこんなことをするんだろう?と考えながら無視した」と言うのです。嫌がらせの手紙をもらったので、ゴミ箱に捨てたと言うんです。心配されるのが面倒なので、親にすら言わなかった。これはものすごく深いです。だってこれこそまさにいじめに対する正しい対処法だからです。無視すると言うヤツが一番効くんです。なぜ小学生にしてここまで達観することができたのだろうか。やはりタダ者ではなかったのかもしれない。

2.そして誰とでも分け隔てなく付き合う
誰に対しても良い顔をするというのではなくて、誰とでも普通に接する。小中学生のときって、自分がいじめられないにしても、いじめられている人とどう接するかというのはものすごく難しい問題であろうと思います。下手に味方をしたら自分もいじめられるのではないかとか、それだったらいじめっ子グループに属した方が良いんじゃないかとか。。。しかし指原は、修学旅行のグループ決めで誰からも誘われない子がいたら仲間に入れてあげたとか、障害を持った男の子の世話を買って出たというんです。これはすごいことです。「いじめはくだらない」とバッサリ切り捨てることができるからこそできる芸当です。これはきっとウソじゃないと思います。だってこういう人間性というのはその人が醸し出す表情や一挙手一投足や普段の言動からにじみ出てしまうものだからです。そして何しろぼく自身がそういう人間だったから分かるのです(爆)。


高校や大学になると露骨に「いじめる」ということは無くなっても、上手く周りに馴染めない人はなんとなく「浮いてしまう」ものです。そして周りに人がいなくなる。そういうところに、指原やぼくみたいな、誰とでも分け隔てなく接するヤツがいると、仲良くなってしまう。それは相対的に一番近くにいることになるからだ。実際は仲が良いというほどではないのだけど、傍目にはそう見えてしまう。本人には別段、その人に優しくしているわけでも何でもなく、あくまでも普通に接しているだけなのだが。もしかしたら「友だちだよね?」と聞かれたら「別に」と言ってしまうかもしれない。そういう冷たさがある。それを指原は「偽善」だという。

いじめられているコがいたら、いつも側にいてあげるけど、そこから救い出そうと闘ったりはしない。だから偽善。私は偽善者なんです。


ここからはぼくの意見なんだけど、ぼくは世の中には「偽善」なんてものはないと思う。そうやっていじめられたり仲間外れにされている人の傍にいてあげることは百パーセント「善」だろう。それが偽物であろうはずがない。でも自分で自分のことを「善人」だと言うのは憚れる。それに善人なんていうのはそれこそ身体が持たないことだろうと思う。いじめられっ子の為に全力を尽くしていたら自分の日々の生活がおろそかになってしまうし、障害者の世話を最後までしようと思ったらそれは結局「仕事」にせざるをえなくなる。「善人」ではないから、仕方なく「偽善者」と言っているだけなんだと思う。「善人」でもなく、「偽善者」でもない何かちょうど良い言葉はないのでしょうか。



3.小学生のころから、学校に通う意味がわからなかった
学校に通うどころか、毎朝、同じ時間に起きて、同じ制服着て、同じ時間に学校に行って、規則どおりに動かなくちゃいけないのが理解できなかった。これ完全に、一代にして上場企業を立ち上げる若手起業家か、ニート(レイブル)の発想です。今でこそぼくもこれと似たような考えをしていますけど、さすがに高校卒業するまでは学校行くのが当たり前と思っていましたからね。。。いや、決まった時間に遅刻をしないで学校に行くことは当たり前ですよ〜。とにかく指原ただもんじゃねえ!


4.お兄ちゃんが中学校の先生
学校の先生とか、確実に優秀な人です。お兄ちゃんが優秀ということは、指原も優秀です。


5.親父がスゴイ
AKBのオーディションを受けるために母親と上京したときに、母親は「どうせ受からないだろう」という気持ちで付いてきたのに、地元に残っていた父親は「受かるかもしれないから裏でコッソリ落としてもらえ」とメールで母親に伝えたそうです。これはある意味一番の衝撃でしたね。だっていろんな想いが想像できるじゃないですか。よほど娘が可愛いと思っていたか、万が一でも大分から離れてほしくなかったとか、夢見がちなくるくるぱーだったのかとか。。。でぼくも間違いなくこういうことを言うタイプだと思うからです。非常に共感した。だって莉乃が娘だったら、きっとそう思うと思います。そうじゃありませんか?


6.北原と中西の証言
初めて指原を見た時の証言。
中西「超絶美少女だと思った。」
北原「私も。こんなに細い子が世の中に存在したのかって。」

やっぱ超絶美少女だったんじゃん。やっぱここらで改めて見直さないといけないのだと思う。デビュー当時の指原は超絶美少女だったと(今もだけど)。



そんなわけで、なかなか見ごたえ満載なフォトブックでした〜ただの写真集とは違うよ〜。
これは「AKB48とは指原莉乃のことである」とあわせて是非読むべき作品ですね。

指原莉乃1stフォトブック『さしこ』 (講談社 MOOK)

指原莉乃1stフォトブック『さしこ』 (講談社 MOOK)