ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

正しい人の見下し方

相変わらず引きこもってパソコンでニコニコ動画見たりしています。岡田斗司夫先生のニコ生ゼミ見た(これ→http://www.nicovideo.jp/watch/sm14930942)もう動画として上がってるんだけど要はオタキング先生が月一回ニコ生でしゃべるという番組。これ毎月の楽しみになりそうだなあ。リアルタイムで見る必要もないし。


番組の後半に「正しい人の見下し方」ってのがあって、誰しも人を見下してしまうことってありますよね。もちろんオタキング先生もそれを認めてて(むしろオタキング先生は万事が上から目線なのだが)、プライドが高い人間は当然普通の人よりも人を見下していると。だから人を見下すのをやめましょう、プライドを下げましょう、というのではなくて、正しい人の見下し方をするのが良いんじゃないかと提案しているわけです。



ぼくはニートとして生きていくと決めた瞬間から、人を見下したり、バカにしたり、怒ったり、キレたり、比べたりするのはやめようと思いました。陳腐な表現ですが、誰かを傷つければ彼かに傷つけられますし、誰かを騙せば誰かに騙されますし、下を見れば必ず上がいるからです。「バカと言った方がバカ」というよりは「誰かをバカにしたら誰かにバカにされている」からです。だからと言って、誰しも自分以外の人間を見下す性質はあって、ぼくもそれをなくすことはできないと思います。そうすると矛盾が生じてしまいます。そこで、やはりこのオタキング先生の理論が真理なのだなあと思えてくるのです。



たとえばニートと非ニートの言い分一つとってみても(あくまでも例ですが)、「税金払ってないニートタヒね(あくまでも例です)」という気持ちはニートの人を見下していますし、「働いたら負けかなあ(働いている人はバカだなあ)(あくまでも例です)」と言ったら働いている人を見下していますし。はてなでブログ書いている人はアメブロ書いてる人を見下していて、その逆も然り、って感じでしょうか(笑)人と人って同じ生物のはずなのに、お互いに見下すってなんだか不思議な話ですね。しかしお互いにこういう気持ちを持っていたり、相手にぶつけたりすれば不快になることはあっても良い気持ちになることはないと思うので、お互いに「相手のことを理解できない自分がまだまだ甘いのだなあ」と思えば全てが上手くいくと言うのです。



それをオタキング先生は「母親は子どもがおしめ濡らしてたら子どもを見下さないじゃん、気づかなくてゴメンっていう。先生は子ども同士がケンカしてたらキレるんじゃなくて早く気付かなかった自分を責める」というような表現をしています。かなり粗さがあってシビレます。さすがです。ちなみにこういう番組も全部ギャラはタダでやっているということなのですが(社員が給料を払っているので)、ということはやってもやらなくても給料は一緒なので、モチベーションはどこから出てくるのだろうかなあというのがすごく疑問です。そりゃあ単純に楽しいとか目立ちたいと言うのかもしれないけど、ここまで有名な人でもそんなこと思うのかなあ。。。