ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

日本人よ、レイブルたれ

「レイブル」という言葉をご存じだろうか。大阪発の、働く意思を持って行動を起こしているにもかかわらず、仕事に就けていないニート状態の若者を「レイブル」と呼び、応援する機運を高めようという試みがある。レイブルは「レイトブルーマー」の略で「遅咲き」の意味だ。


いま日本ではニート・引きこもりが増加しているというのが問題となっている。高齢化、少子化と並んで解決しなければならないイシューだ。この言葉を使うことにどれほどの意味があるだろう。当事者を甘やかせるだけだという批判は容易に想像できる(現にネット上ではそのような批判が溢れている)。しかしぼくはこの言葉に、現在の暗い世の中を照らす光になる可能性を見出したいと思う。

働けるのに働かない人にはいくつかパターンがある。「やりたい仕事がない」「仕事が合わず辞めてしまった」「そもそも仕事がない」。そもそも仕事をしなくないという事が本当にあり得るだろうか。マズロー欲求段階説によれば、人間は生理的・安全・親和・自我・自己実現の5段階の欲求うち、一つが満たされると次の段階を求めるようになるという。これだけ生活インフラが整った日本において、生理的・安全の欲求が満たされたからと言って満足できるとはとても思えない。またSNSがこれだけ普及した世の中での親和の欲求についても同様だ。つまり誰しもが自我の欲求・自己実現の欲求を抱えていると言えるのではないか。これはすなわち、人から評価されること。人の役に立ちたいと言うことだ。

中には明確な意思を持って「働かない」ことを選んでいる者もいるが、彼らとて例外ではない。彼らはそのようなことをブログで書いたり、ネットで配信するなど、他者に向けて何かしらのアクションを起こしている(だからこそぼくたちはそのような人の存在を認知している)。その意図は「ニートであることに悩み、苦しんでいる人を勇気づけたい」という気持ちが少なからずあるはずだ。あるいは、アフィリエイトなどでお金を稼ぐこともできるだろう(生活できるかは別として)。これは仕事といえるのではないだろうか。

仕事がない、というのは嘘である。もしそれが本当であるならば、なぜコンビニや飲食店の店員は外国人ばかりであり、ハローワークには日々求人情報が溢れているのだろうか。誰しも人の役に立ちたいという欲はある。何もできないのは、自分のやりたいことが分かっていないに過ぎない。あるいは自信がなくて動き出せない状態だろうか。人の役に立ちたいのに今現在役に立てていない、お金を稼げていないという状態を表すのに「ニート」という言葉はあまりにもネガティブな意味を持ちすぎた。だからこそぼくは、「レイブル」という新しい言葉を投入したい。

ただし大前提として、ぼくたちは日々生きていかなければならず、そのためには最低限のお金がいる。ときにはまったくお金の発生しない作業に時間を費やさなければならないかもしれない(資格試験の勉強などもそのうちに含まれる)。もしかしたら本意ではない、パートやアルバイトをする必要もあるだろう。あるいは親の支援を受けたり、借金も必要かもしれない。そのような状態をレイブルと呼べばいい。

これは無職の状態でも良いということを意味しているのではない。むろん、言葉を取り入れるだけで解決する問題でもない。レイブルはあくまでも「今は咲いていない花」。いずれは必ず、そしてできる限り早く咲かせなければならない。つまり不断の努力を強いられるのだ。ある程度は社会の側の変革も不可欠であろう(例えばワークシェアリングベーシックインカムもその政策の一つだと思う)。やるべきことは山積みだが、それでも前に進まなければ行けない。そこで忘れてはいけないのは、周りが変わることを待ってるのではなく、何よりもまず自分が変わらなければならないということだ。日本人よ、レイブルたれ。

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これは某ミニコミ誌に寄稿しようかな〜と考えて作った文章です^^
ちょっと長くなっちゃいました〜。詳細について決まり次第、またブログで告知したいと思います。

それはそうと、いずれ著わそうと思っているぼくのレイブル論の概要みたいなものになれば良いな〜という想いもあります。ぼくが提唱しようとしているレイブル論は実に深い話なのです。もしこれを御覧になっている出版社の方がいらっしゃれば、是非お話をしに駆け付けたいと考えています。