ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

内田樹先生の話を聴いてきました

ビジネスデザイン研究科公開講演会
「大学(ビジネススクール)と教育を論ずる」
−ビジネスデザイン研究科公開講演会・第一回対論−

平川克美 × 内田樹

というのに行ってきました。in立教大学

Twitterで「教育について話します」という告知だけを見て行ったのですが、生の内田樹先生は初だったので高まった。
最初に司会の人が質問してて、参加者は200人くらいいたと思うんだけど、学部生が1割、院生が1割、その他の人が8割という感じだったwwwしかし果たしてレイブル(ニート)はあの会場に何人いただろうか?


主に教育に関しての対話形式の討論だったけど、内田樹先生は著書(街場のメディア論とか)によく書いてることと同じことをしゃべっていて安定だった(当たり前なのですが)。いやしかし素晴らしい。

メモしたものをもとに要約すると・・・

教育に必要なものは超越性。教えていないことを学んでしまうのが教育である。教える側と教えられる側には圧倒的な非対称性があり、先生は生徒が知らないものをたくさん知っている(だからスゴイ)と思わなければならない。先生の方が常に圧倒的に優秀だってのはフィクションなんだけど、それを信じられる人だけが成長する。

教える側(先生)に必要なものは、一生懸命教えたのに生徒がぽか〜んとしていてもへこたれない粘り強さと、いつか成長するだろうという圧倒的な楽観性。んで教えられる側に必要なものは3つ。1つ目は、自分の無知・非力に苦しんでいる。2つ目は、メンターをかぎ分ける嗅覚。3つ目は、「ちょっと教えてほしいんだけど」という勇気。3つ目がなかなか難しいんだけど、この言葉を言うだけで良い。↓

1、「学びたいことがあります」
2、「教えてください」
3、「お願いします」

あと今日はビジネススクールというタイトルが入っていたけど、教育とビジネスを結び付けちゃいけないという話も安定だった。近年は教育と市場原理を結び付けてしまったから子どもの学力が低下している。市場原理にしたがえば、最低限のコスト(努力)で最大限の成果を得るのが賢い消費者ということになる。そうすると、合格ラインのギリギリの低い点数を狙い、出来る限り授業をさぼったうえで、単位を得るということに全力を尽くし始める。それで本来の教育というものが機能しなくなっているというお話。さらには、「お客様は神様」という考えにしたがえば、先生と生徒がおなじ高さに位置することになり、先生に対して下手に出ることができず、「お願いします」と言えなくなり、学びが発生しない。

主にこの本で行ってるような内容↓ってかこれ読んどけばとりあえず間違いない。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

いやもう教育に関わる人は、全員内田樹先生の本読めと言いたいですね。
そしてその教えに全くアグリーなぼくのような人材こそ、教育現場で働くべきだと思うんです。小・中学校ならなおさらです。ぼくを教員採用試験で落とした岐阜県教育委員会には一生後悔してもらいたいと思います。まあゆうてニートの戯言なんですが・・・

あと教育といえば、ハックルさんも教育にはうるさい人ですね。かつてのはてなブログや最近のブロマガなんかでも良く言及されていますけど、先生を徹底的に敬わないとダメだって良く言っているので、共通しています。「俺を尊敬しろ!」と言ってしまうところが、ハックルさんの凄いところなんです。いや、学校法人とコメディスクールという違いはありますが。


教室の下手最前に座ったんだけど、目の前で講演後に内田樹先生のファンが行列を作ってサイン会が!いやまあそうなるだろうとは思っていたけど、著書を持ってくるなどの準備をしていなかった。これにはうっかりしていました。こんなチャンスめったにないのにサインをもらう機会を逃してしまった。アイドルヲタクとして失格です。
しかし先生のファンの多いこと。。。アイドルみたいだった。というわけでこれはおいしい無銭イベントだった。