ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

本当によい教育のヒントが開成高校野球部の「弱くても勝つ」方法にあった

ブクオフで開成高校野球部の「弱くても勝つ」方法」ソフトバンク新書)という本を見つけたので買って読んだ。



元々「「弱くても勝てます」:開成高校野球部のセオリー」新潮文庫)という本がありますね。ドラマ化もされた本です。


これの文庫が出た当時にたまたま本屋で見つけて買っていて、そのときは「へぇ〜」と思うくらいの感想だったのですが、つい先日、本書開成高校野球部の「弱くても勝つ」方法」を見つけました。

あ〜、あれの続編かあるいは関連本なのかなと思い、まあ関連本だと思うのですが、著者(ライター)が違うのですね。当時は別段なんとも思わなかったのですが、しかもこちらも発売からずいぶん経っているわけですが、ちょっと今回はビビッときて一も二もなく手に取ってしまいました。実際に読んでみると、感想などを書き留めておきたいと思うくらいに感じるところがありました。

それはやっぱり、僕が日々の生活や仕事の中で「本当によい教育とは何か」について考えていたからだと思います。そして本書には多くのヒントが含まれている。そんな予感がしたのです。そして見事に的中した。それは一言で言うと「限られた資源の中で、いかに最大限の成果を上げるか」を追求することです。


■効率よく勉強をする

「効率」という言葉はやはり使い方が難しい言葉だと感じます。それは、「効率のよい勉強をしたい」という言葉がしばしば「楽にできるようになりたい」という意味で使われるからです。だから林修先生とかに「効率のよい勉強法なんてない」と言われてしまうのです(言ってなかったらスミマセン)。あるいは「勉強は効率の悪いもの」「勉強においては無駄こそが大事」という言い方もできます。これもある意味真理であると言えます。

しかし一方で、中身のない勉強をだらだらとやったり、椅子に座って作業していることを勉強だと勘違いしていたり、やるべきことを自分で考えることなく塾に来て指示を待っているような子供には、「もっと効率よく勉強しろよ」と言いたくなります。本当に言葉というのはどのようにも使えてしまうものです。


そんな中、本書を読んで確信したのは、やっぱり大切なのは「選択と集中」であり、結局これのことを「効率」と言っている(言うべき)のではないかなと。これをトコトンまで追求しているのが本書でした。「何をやるべきか」あるいは「何をやらないべきか」。これを徹底的に突き詰める。



開成高校といえば東京の日暮里(最寄りは西日暮里駅)にある、東大合格者数が30年以上連続で一位という超進学校の男子校ですが、当然そのような高校にスポーツ推薦はなく、野球部には平均よりも野球がうまくない生徒が入ってきます。

開成高校野球部にはあらゆるものが不足している。まず少年時代から野球に打ち込みまくってきたような経験者がいない。活動資金が豊富にあるわけではない。そして何より、グラウンドで全体練習する機会が、週に1日しかない。そのハンディを克服していかにして強豪校を打ち破るかが本書のテーマであり、それは「選択と集中」によって実現を目指す。

その方針というのが全くもって単純明快で、理論的で、本質に根ざしている。しきたりとか常識とか空気とかに一切とらわれないのが気持ちいい。ここから得られる知見はとても多いです。例えば・・

●全体練習のほとんどを打撃練習に費やしている。いくら守りを強くしても、点が入らないんじゃいつまで経っても勝てない。勝つためには打線が爆発しなきゃ勝てない。
●守備は難しい場面でファインプレーをする必要はない。処理するべきものをきっちり処理すればよい。ダブルプレーは無理に狙わない。そのためノック練習はなく、打撃練習でその球を処理することによって守備練習も兼ねている。
●必然的にハイリスク・ハイリターンな戦い方をするしかない。コールド勝ちorコールド負け。
●打順は長打力があって打てる順から並べていく。1,2番が出塁して3,4,5番が返すというのはただのセオリーの一つ。良いバッターを早く出したほうが良い。運良く8,9番が出塁したら打線が爆発する。
●積極的に練習試合を組む。これがビジネスマンで言うところのOJT(オンザジョブトレーニング)のようになっている。

などなど・・・


全体練習は週1回。だからこそ生徒たちは徹底的に自ら考えることが求められ、その1回の全体練習は考えたことを試す場となる。来てから考えるんじゃ遅いのだ。これ、学習塾に通う中学生とかに伝えたいですね。例えば週1回、個別指導塾に来て「今日は何やればいいですか」じゃダメダロウ!?その限られた時間を有意義なものにしたいなら「今日はコレとコレとコレを教えて欲しい」とピックアップしておくべきではないでしょうか。そういう事前の準備が大切だと思う。これが「効率よく学習効果を上げる」の正体だ。


バッティングの指導は「ボールの軌道に対してバットが垂直(90度)に当たるように打ちなさい」これだけ。こんな単純明快な話はありません。
フォームはなんでもいい。直球か変化球も関係ない。だいたい超高校級のピッチャーのことなんか想定しても仕方がないのです。自分の楽なフォームで、垂直に当てることだけを考えて振り抜けばいい。スイングは「球に合わせない」。例えば緩い球に合わせて自分のスイングもゆっくりになってしまったら力が入らない。急に速い球が来たら振り遅れてしまう。だから「振るぞ」とスイングのスイッチが入ったら、球速や球種に関係なく自分のスイングをする。相手が変化球を投げたからといって、それがうまく曲がらないことだってあるでしょう。曲がった結果、バットに当たるかもしれない。

これは本当に本質的だと思います。だって打たなきゃしょうがないんだから。変なことを考えて、見逃して三振じゃ目も当てられない。それなら打率が一割でもスイングしたほうがいい。「ナイス空振り」です。

人生においてこういう考え方が必要な時ってありますよね。体感的にはかなり多んですが。ギャンブル的というんでしょうか。僕が人生で負け続けてきたからかな?
世間のセオリーや空気と言われるものを気にして、結果、成功率をゼロにしてしまうなら、エイヤっと飛び出して勝ちを拾いに行く。元々駆け引きができるレベルにもないのだから、やらなきゃ損。


■教育者が「演じる」こと


試合中は監督は片時も休むことなく絶叫している。サインを送るような技量はないので、相手チームに聞こえようがお構いなしに大声で話す。「次、走れ」だろうが相手のピッチャーの癖までなんでもアリ。3塁ランナーには「ホームスチールしろ」って・・・そんな無茶なwww

しかしそれはただ闇雲に言っているのではなく、明確な意志があるのだった。

ホームスチールしろと言っても、間に受けるなよ。ベンチが勝手なこと言うのは、うまく聞き流せ。四つの塁を回って還ってこなきゃ得点は入らないんだから、先の塁は常に狙う。そういう意識を植えつけるためにホームスチールしろって言っているんだ。隙があれば、走ればいいんだよ。監督に走れって怒鳴られたから走るのって、犬とか猫と一緒だからね。こっちは気が狂ったみたいにずっと叫んでるんだ。その中には絶対に真理があるはずだから、そこをうまく汲みとりゃいいんだよ

これは笑った。狂っている。でも僕はここに教育者のあるべき姿を見た気がしました。教育者はある種「演じる」ってことが必要なんだと思う。そのほうが面白いってのもあるし、クールにやっていてもそもそも伝わらないでしょ。叱るとき、喜ぶとき、褒めるとき、いかに演じられるかってのが大事だと感じる。例えば、どのタイミングでカミナリを落とすかといったような。僕も今それを試行錯誤している途中ですが、自分でもこんな風に「狂ったみたいに」演じられているなと実感できるところまで頑張りたいと思う。


■部活との付き合い方について


これ学校における「部活」との付き合い方にも大きな示唆を与えてくれていると思うんだよね。一言でいうとスポーツ推薦で入っているような(野球で言えば甲子園出場を求められているような)生徒でない限り、日々の勉学とか体調とかを犠牲にしてまで部活をする必要はないでしょう。

平日が5日間あって、毎日部活するってやりすぎだと思う。かくゆう僕も高校時代(中学からかな?)日曜を除いた週6日部活するのが当たり前だった記憶がある。当時は特に苦痛でもなかったけど。それなりに楽しんでいたからだが。

さすがに全体練習が週1日というのも少なすぎる気がするが、週3日くらいが妥当ではないか。週末には練習試合や大会があるとしても、平日の2日は自由参加で、部活で活躍したかったり自分を高めたければ自主練習をすればいいし、休みたければ休むというユルい感じで。学校の先生の部活問題がよく話題になるけど、生徒にだって負担だ。参加を強制するのはやっぱり間違っていると思う。


■野球観戦をしたくなった

高校野球を舞台に、弱小だったチームが戦略的に強くなっていくという物語形式は、「もしドラ」を彷彿させますね。ただ「もしドラ」は小説なので地方大会を勝ち上がって甲子園出場を決めますが、「開成高校」はせいぜいベスト16どまり。しかも2012年秋から2014年秋までは初戦敗退している。そこが現実の厳しいところですね。

でもこの本読んでたら無性に開成高校の試合を見に行きたくなってしまった。。。監督を実際に生で見てみたい気もする。夏の地方大会、神宮球場だから見にいこうかな〜