・2月2日(木)の全力少女R定期ライブ
AKIBAカルチャーズ劇場で行われた全力少女Rの定期ライブを見に行きました。入場特典で全員握手券が1枚付いてきてウマーだった。
まずはゲストのキュピトロンというグループのライブがあって、その後キュピトロンと全力少女のメンバーが全員出てきて、ジェスチャーゲームが始まりました。全力少女は抜群の演技力(?)で9問正解して、キュピトロンの方は全然ダメで、泣きの一回、んでそれも全然ダメでついに3回目のチャレンジをする流れに。なんていうか、長かったね、笑
エンタテインメントとは何かとか考えてしまったよ。
つなぎのMCで何をやるべきかというのも考えなければ行けないね。
そしていよいよ全力少女Rのライブは、10曲ノンストップライブとのこと。
すごかったね。ずっと見ていたいと思った。でも彼女たちは体力や身体を酷使していないかなと心配してしまったよ。そうそう、青春トロピカル丸の晩年の名曲「Yes, I can!!!」が初披露されていた!まさに二つのRが合体してイノベーションを起こしているでえ。
「Yes, I can!!!」はこの曲
もう今やメンバーが懐かしすぎて泣ける、、、
この曲がこれから全力少女Rでも聴けるんやでえええええええ!!!!!!
とにかく今はできるだけ全力少女Rのワンマンライブを見たいから、来月も仕事休んで行っちゃおうかな!?廣川かのんちゃんは今もっとも注目するべきライブアイドル界の逸材なので。
セットリストは以下:
全力少女R定期公演「わたしたちの本気魅せますっ!!」
AKIBAカルチャーズ劇場
1.ギリギリ勝負のトラディション
2.一発逆転!下克上
3.Yes, I can!!!(初披露)
4.シューティングスタートラベラー
5.時空を越えても、君が好き。
6.閃光ライダー
7.チャンスの神様
8.Boom Boom 全力号
9.生まれたてのラブソング
10.放課後!胸キュン☆スター☆
・月曜日はサラりん党の日!
本日2月13日(月)は仮面女子カフェ(PARMS)で2部公演を見てきました。平日でパムれるのは月曜日だけなので、行ける日は極力行くようにしています。
仮面女子だとだいたい下手のサラちゃんゼロズレを狙ってポジショニングするのですが、ずーっとラインが合うのは良いね。何回も目があった(ような気がする)し、「シンデレラ」で投げたサイリウムもゲットできた〜!これはレスをもらうテクニックだけど、相手の視線の先に入って動かないと言う手法。まあ向こうからしたらずっと目に入ってイヤかもしれんがwwwwその流れで、最近は下手の森カノンちゃんに手を振るのにもハマっています。
最近は第2週月曜に写メ会をする流れなのかな?
黒瀬サラちゃんと2ショット!
写メのときは特に画質が良く撮れるんで、積極的にセレクトに行くようにしています。
黒瀬サラちゃん、桜雪ちゃん、小島夕佳ちゃんのセレクト!
チェキor写メに行くたびにメンバー1人からバレンタインチョコをもらえるんだけど、サラちゃんが手渡してくれた!
なるほど、これは面白いと思いました。僕はてっきり、誰からもらうかという選択を聞かれるのかと思ったのだけど、つまりメンバーをセレクトした時点で、その中に一推しメンバーがいれば自動的にそのメンバーが渡すという不文律があるのかも知れない。これはとても効率が良い。捌きのテクニックだ。周知されているようで嬉しいし。つまり僕がセレクトに行くようなメンバーは、僕がサラちゃんを推していることをすでに知っている。信頼関係。神はすべてを見ているのだ。
もしヲタがDD気質だったらどんな判断がなされるのだろう。そこにゲーム性が生まれる。
一方で、その意味では、誰が渡すかという逡巡をさせるようなセレクトをしたかったなと言う気持ちもある。嫉妬させるプレイとか、したいやん。こういうときしかチャンスが無いんだから、泣
・信仰心について考えている
んで上の話とちょっとつながるんだけど、最近、信仰心について考えている。それは特に、最近公開されたスコセッシ監督の映画「沈黙−サイレンス」を見たからだ。何故見たかというと、これも偶然に約半年前に遠藤周作先生の原作を読んだばかりだったから。それは日本文学を勉強しなきゃと言うのがキッカケだったと思うのだけど、まあとにかく読んだタイミングだったから、これは行くしかねえと思った。
結論から言うと、映画「沈黙−サイレンス」めちゃくちゃ良いです。舞台は17世紀、島原の乱以降のキリスト教弾圧が厳しい日本。そこにポルトガルの司祭ロドリゴがやってきてキリシタンを救済するという話ですね。しかし弾圧は厳しい。田舎の山奥で隠れながら信仰しているキリシタンを慰めるくらいのことしかできない。そしてロドリゴは捕らえられ、棄教を迫られる。拷問を受けているのはロドリゴ自身ではなく日本人。ロドリゴが転べば、彼らは助かる。詳しくは映画をご覧下さい。
何故こんな悲惨な状況になってしまったのか。
やはり宗教というのは信じる対象が何かと言うよりは、信仰心のあり方こそが大切なのではないだろうかということを考えている。(例えば映画「沈黙」では、村の人々がロドリゴにもらったネックレスの玉などを過剰に有り難がるのを、ロドリゴは不安に感じている。彼らはとても真面目で、熱心ではあるが、その信仰は危うい)。そして言うまでもなく、このような話とアイドルヲタの話は親和性が高い(この映画は「日本という土地では決してメジャーになれない地下アイドルを布教しようとするTOが挫折する物語」としても読める)。誰かを好き、誰かを推すというのも、最終的には「その人を推している自分が好き」ということでしかないということを認める必要があるんじゃないだろうか。そして人との比較、使ったお金の額などに惑わされないで、「推している」という心のあり方を突き詰める。「今日も自分は○○を推しているだろうか」と自問自答する。僕にとっては、誰に求められるわけでもないのに同人誌を作るという行為がそれに当たっている(つもり)。
ただし、これを安定させると言うことは、相手とコミュニケーションを極力取らない方が良い(なぜなら相手が人間だから、心を乱されかねない)=究極的には在宅化する、ということなのかも知れない。それはそれで現場ヲタとしては面白くないし、皆がその境地に達したらどこにも金が落とされなくなる(=現場の消滅)ので、いかにしてそれを持続させていくかというのが大きな問題だ。
やはりヲタ活というものは難しい。そんなことを映画「沈黙−サイレンス」を見て感じた。