ちろうのレイブル日記

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大人こそ偉人伝を読むべき理由

NewsPicksのトークイベント動画をポチポチみている中で、山口周氏の回があった。そこで「大人こそ偉人伝を読むべきだ」という発言があって、おっと思った。僕も、子どもたちは偉人伝(伝記物)を読むべきだと思っていて(例えば滝本哲史氏の「ミライの授業」などは必読)、自分でも図書館や古本屋なんかでいくつか読んでいたからだ。

  

でもどうしても自分事じゃなかった。へえ、と関心はするものの、すぐに忘れてしまう。しかし、大人こそが読まなければならないという一言は目からうろこで、そこで紹介されていた木原武一著「大人のための偉人伝」(新潮選書)という本を早速ポチってしまった。(調べると「大人のための偉人伝」「続・大人のための偉人伝」「天才の勉強法」などの続編があった。)

 

大人のための偉人伝 (新潮選書)

大人のための偉人伝 (新潮選書)

 

 

読んでみたらこれが素晴らしかった。名前だけはなんとなく知っているというものばかりで、実際のところは人物像なんかはほとんど知らないことだらけ。結局、小学生向けの伝記物って、上っ面の所だけをさらっと紹介しているだけで、人間味とか人生の起伏とか家族との関わりとか、全然触れていないんですね。そう、大人こそが偉人伝を読まなければならなかったのだ。

 

やはり偉人に共通するのって、この世界を少しでも良くしたいという強い思いなんですよね。


■メモ書き(引用とコメント)

 

カーネギー
19世紀に鉄鋼王として財を成した富豪という印象だけど、ある時期からはいかにして世の中のためにお金を使うかを考え続けた偉人だった。

・21歳で最初の投資。500ドルを知人・親戚から借り集め、運送会社に投資。最初の配当10ドル。
「金の卵を産むアヒルを私は捕らえたのであった」
・24歳で鉄道会社の管区長、年収1500ドル→四年後には47000ドル(社員としての給料は2400ドル)。
・31歳の時のメモ
「ビッツバーグに建てた機関車製造会社の株が30年後に30倍になった」
「四万ドルで買った油田が、最初の年に百万ドルの純益をあげ、その後、五百万ドルに評価された」
・53歳で年収180万ドル
これが今日の金額に換算してどれほどになるのか見当がつかないが、何しろ途方もない数字だ。当時は所得税がなかった。イギリスではすでに1840年代に所得税が定着していたが、アメリカでは所得税の導入が議論されるたびに猛反発に会い、、実際に課されるようになったのは1913年(カーネギー78歳)のことである。数十年早くアメリカに所得税が導入されていたら、当時の大富豪は生まれなかったかもしれない。

 

金持ちのまま死ぬのは恥、として慈善事業に使うようになる。
ありあまる富を、家族のために遺産として残すというのは最悪の方法だと考える。また、遺産を慈善団体に寄付するという方法もあるが、必ずしもそれが有効に使われるという保証はない。カーネギーが推奨するのは、生きている間に、自らの判断によって慈善的事業のために富を使うという方法である。
「いわゆる慈善事業に投ぜられた千ドルのうち、九百五十ドルは無分別に使われていて、社会から取り除こうとした悪そのものをむしろ生み出していたのではないか」

公衆浴場を寄付したり、教会にオルガンを贈ったり。コンサートホール(カーネギーホール)、年金基金、図書館(2811か所)。大学の設立(カーネギー工科大学)と、寄付。大学教授年金基金。ヒーロー基金。国際平和カーネギー基金。個人に対する寄付。

全額をポンと寄付するだけではない。図書館への寄付は、建物の建設費だけ。オルガンの費用は半額(7689台)。寄付を受ける側にもそれなりの努力を払って然るべきだから。
「金を稼ぐことに比べたら、金を使うのはその十倍も難しい」
それでも死ぬときは三千万ドルが残っていた。


ガンジー
幼児結婚というインドの風習に従って、十三歳の時に結婚し、四人の子供をもうけているが、三七歳以後、夫婦の交わりを断って「純潔の生活」に入った。私が興味深く思うのは、彼自身がそれを守り通したことよりも、純潔の生活がすべての人に可能だと考えていたらしいことである。彼は、インドにとって大きな課題である人口問題について、避妊器具の使用に反対して、自制による産児制限を説いているのである。これは煩悩から脱しきれない人間の現実を見誤った考えだと批判されても当然かもしれない。


これはクリティカルwww
ガンジーさん、若いころはわりとお盛んだったと何かの本で読んだ気がする。でも37歳から死ぬまで純潔を貫いたのかあ。まあでも、禁欲生活は人間的じゃないなあって思うよ。


キュリー夫人

ノーベル賞を2回取った人としても有名で、夫のピエール、娘のイレーヌもノーベル賞を受賞。3人とも、研究していたラジウム放射線を浴びたことが原因の白血病で死んでる、とのこと。全然こういうの知らなかったなあ。


子ども時代の教育環境がすごかった。


祖父は高校の校長、父親は数学と物理の教師。母親は女学校の校長。一家は母親が校長をする学校付属の宿舎に住み、学齢期の生徒を下宿させて教えるという、文字通り家庭そのものが学校だった。
また父親がとんでもない知識人。文学にも関心を持ち、自ら詩作も手がける。ロシア語、ギリシア語、ラテン語のほか、フランス語、英語、ドイツ語を話せるのは当然と考え、子どもたちにもそういう教育を与えた。毎週土曜には、一家そろって文学鑑賞の夕べ。さまざまな詩や小説、戯曲を朗読。

 

こういう点では、マリー・スクロドフスカの父親は実に用意周到だった。あらゆる機会をとらえては、さまざまな自然現象を子供に説きあかしたり、また、子供たちを遠足に連れていくようなとき、あらかじめルートを調べておき、途中で出会う名所旧跡について雄弁に説明したりした父親のことなどを、晩年のキュリー夫人はなつかしく回想している。ここで興味深いのは、父親のこのような「癖」には子供たちは気がついていなかったということである。
多分に教育的意図の隠された父親の言葉を子供たちは日常の会話のように当然のこととして受け取っていたのであり、また、父親もすべては教育の機会であると、これまた当然のことのように考えていたのである。彼は、この宇宙を学校と考え、若きキュリー夫人もそれを何の抵抗もなく受け入れていたのである。一家は息をするようにものを教え、ものを学んでいたのである。これ以上に理想に近い教室はありえないのではなかろうか。エーヴ・キュリーは言っている。「マリーは宇宙というものを先生と生徒しかいない、ただ学ぶという唯一の理想に支配されている大きな学校のように想像していたに違いない。」

 

これは非常に参考になる。理想の教育環境だなあと思う。これを実現せねば。

 

二宮尊徳
薪を運びながら読書している人っていう印象しかなかったけど、それは人生の序盤だけで、後半は実は金貸しで貧しい人を救ったり、飢饉を解消しようと尽力した人なんですね。知らなかった。

 

「世の中の人はだれも、聖人は無欲と思っているが、そうではない。実は、大欲であって、いちばん欲が深い。賢人はこれに次ぎ、君子がその次で、凡夫のごときはもっとも小欲である。学問とはこの小欲を大欲に導く術のことである。大欲とは何かと言えば、万民の衣食住を充足させ、人身に大福を集めることを欲することである。」


「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉がふっとよぎります。
ものすごい欲求があるからこそ、行動力が生まれ、聖人(偉人)と呼ばれる人になるのですね。こうありたいものです。

 


続編も読もうっと。