ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

関西方面を周遊してきました~その3

6日
8:30

車で出発。エアビー家に別れを告げる。

 

橿原神宮
建国の聖地、橿原。ここから日本という国が始まりました。
日本最古の正史ともされる「日本書紀」において、天照大神の子孫である神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと=のちの神武天皇)が、豊かで平和な国づくりを目指して、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)東南の麓に橿原宮を創建されました。

神武天皇、第一代天皇として即位されたのが紀元元年(注:神武天皇即位紀元)、今からおよそ2680余年前のことです。
橿原宮に即位されてから在位76年、127歳の長寿を全うしたというから、とんでもねえ(古事記では137歳)。
なお、「古事記」や「日本書紀」において初期の天皇の在位年数が不自然に長く、年齢も非現実的な長寿だという意見があります。

橿原神宮の境内

神武天皇R.I.P.

●橿原歴史博物館
橿原、というかこの辺一帯で発掘された遺物を展示。
特別展の沖ノ島特集も強制入場だったけど、こちらのほうが見どころがあってよかった。
海の正倉院。島全体がご神体。2017年に世界文化遺産に登録。場所は福岡県最北端の地。女人禁制だったり、身を清めてからじゃないと入れなかったり、手つかずの島だからこそ宝物がザックザク。
祭祀の場所とかがやっぱり重要みたいです。

 

●岩屋山古墳
でかい、入れる

 

キトラ古墳
壁画。
こちらは立派な展示施設を作っていて入場無料。良心的。
キトラ古墳藤原京の南に広がる古代の豪族・貴族などの墓域に所在する小さな円墳。7世紀末~8世紀初頭に作られたと考えられている。
昭和58年の調査で石室内に極彩色壁画が発見され、高松塚古墳に次ぐ我が国2例目の壁画古墳であることが確認された。

四神、十二支、天文図、日月の壁画がある。
天文図は赤道や黄道を示す円が描かれており、本格的な中国式星図としては、現存する世界最古の例といえる。

キトラ古墳の展示

壁画5面は、令和元年に国宝に指定されました。

古墳キャラのぬいぐるみ、高かった・・

 

●水平社博物館

全国水平社の活動の歴史を展示した博物館。入場500円。
全国水平社は1922年に創立、結成の中心となったのは奈良県御所市柏原の青年たちでした。
柏原は水平社発祥の地、人権のふるさととして親しまれています。

第二次世界大戦以前の部落解放運動に取り組んだ若者、奈良の青年たちから始まり、全国に続々と広がっていったことが分かります。
この動きが現在のポリコレ社会にまでつながっていると思うと、胸が熱くなりました。

 

17:00
イムリミットが迫ってきたので奈良駅前に帰還→レンタカー返却。

三条通を散策しながら、奈良といえばの柿の葉寿司を購入。
「ケンミンショー」で10回くらい見た柿の葉寿司を、ついに!
サバとサーモンの押しずし。柿の葉のかほり。旨かったです。家族用の土産にも購入。

 

18:00
奈良駅で解散。
京都に潜伏し、次の日を京都観光に充てるという手段もあったが、さすがに体力の限界が近づいている。帰りたくなった。雨降ってきたし。
京都からのバスを夜行にすると8000円くらいする(昼行なら5000~6000)。
だったら新幹線と特急で帰るのと大差ないやんということに気づき、何年振りかの新幹線に乗り込む(京都→名古屋)。


■さて、ここで大事件発生
先日の「ゲンロンコミケ」でたまたま隣のブースになった「科学者も街に出てみてパルクールさんと京都―名古屋間の新幹線内で遭遇!
僕は後から乗り込んで気づいてなくて、TwitterのDMを送ってくれていたみたいだけどそれも気づかず、降りるタイミングで声をかけてくれた!
パルクールさんは岡崎在住。僕は岐阜の高山ということで、おなじ東海圏ですね~なんていう話はしていたのですが、まさかGW間際の、同じ新幹線の車内(自由席)で、たまたま遭遇するなんてこと、ありえます?

[https://twitter.com/tirou_ex/status/1654803725586960385?s=20:embed]
在来線に乗り換えるまでの道中しかお話しできなかったけど、とても嬉しかった!
愛知または高山での再会を誓い合いました。


普段電車に乗り慣れていないものですから、きっぷの上手い運用の仕方が分からない。
JRでは新幹線→特急と乗り継ぐと、特急料金が半額になるサービスがあるらしい。知らんかった。
ただし、購入時に一緒に買う場合のみ。んで券売機で買うとき、そこまでの複雑な買い方できなかった気がする(できるのか? できるなら教えて~)。
結局みどりの窓口に行くしかないのか。んで時間が10分くらいしかなかったからそれもかなわず。

奈良→(快速)→京都→(新幹線)→名古屋→(快速)→岐阜→(特急ひだ)→高山

ちょっとでも特急料金を節約するために名古屋―岐阜間を快速で。ひもじい。
そんなこんなで22:49、高山駅到着。実に充実した旅だった。

 

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んでブログを書くにあたり、いろいろグーグルで調べる。なんか帰ってきてからの方がよほど一生懸命調べている(笑)。人は旅に出てこそ、新しい「検索ワード」を手に入れるという。
そして本を読んでもテレビを見ていても、興味のフックがそれだけ増えているということ感じる。

 

この関西周遊から1か月弱しか(も?)経っていませんが、たとえばちょうどいま中沢新一「アースダイバー」を読んでいて、明治神宮が作られたときの話が出てきて、そこが面白いからちょっと引用する。

こういう近代天皇制を確立した明治天皇崩御されたとき、その御霊をどこにお祀りするかが、国民の一大問題となった。明治天皇ご自身は、京都の近くに戻りたいと考えていらっしゃったらしく、伏見桃山に自分の御陵をつくってほしいという遺志を残していた。おさまらないのは、東京市民である。結局京都がいいのかい、東京は田舎で悪かったね、といささかプライドを傷つけられた彼らは、しかしすぐに気を取り直して、お墓がだめだというなら、せめて御霊をお祀りする場所を、関東周辺に設けるべきだという運動を開始したのだった。

こういう文章を読んだときにクスッと笑えるというか、「あーなるほど」と色んな事が腑に落ちるというか。明治神宮ってそもそも明治天皇の魂を祀っているんやな、だから明治神宮か、初詣にいってアホほど並ばされてもそんなことこれっぽっちも考えてなかったなあとか。


お墓作ってもらえない東京民わら、とかオマエラ元々田舎民じゃねえかとちょっと強がれるというか、そんな気持ちになれる。伏見桃山にある明治天皇陵と、一緒に自刃した乃木将軍にもご挨拶してきたなアという感慨に浸れる。これも現地に足を運んだからだ。

 

あとテレビ番組表を眺めていてNHN教育で「実験推理 飛鳥石舞台」という番組の再放送があるらしくポチっと予約録画してみたり、のど自慢の会場が奈良県上牧町で「エアビー泊まったとこやん」となってクスッとなったり、そこで「上牧町奈良県北部~」と紹介されていて、僕の中では奈良駅周辺からだいぶ南下したところだという印象があったけどあれが北部かよ、だったら奈良の観光名所ぜんぶ奈良県北部じゃねえか(南部は全部山)とかを実感できたり。

 

とにかく日常の中でアンテナが反応する率が高まるというか、楽しい。
知るって楽しい。勉強するって楽しい。なんか教育系YouTuberみたいな結論を言ってしまいましたが、つまりそんな感じ。

さて、#ちろう旅 は、終わらない。つぎはどこに行こうか。