ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

実家に帰ってきたけどまずは環境を整えなければならなかった話

突然なのですが(Twitterには散々書いているのですが)、東京のマンションを引き払って地元にいます。高円寺で4年、目白で10年過ごしていて、また大学の4年間を加えれば実に18年ぶりに地元に帰ってまいりました。もう3週間が経ってしまいました。いま驚くほどのんびりした日々を送っています。

なぜこうなるに至ったのかは、説明すると長くなりますので簡単に。

 

・東京の生活コストが高い
・一年半前に僕が住んでいた分譲マンションを親が売却しており、できれば離れたかった(家賃がもったいない)
・東京での仕事はいつ辞めてもよいような状況だった(年々環境が悪くなり、ほとほと嫌気がさしていた)
・某ルームシェアに誘われて、引越しの手続きを進めていた(マンション解約など)
・その某ルームシェアに入居することを、さまざまな事情で取りやめにした(宙ぶらりん)
・COVID-19状況でおもしろイベントがない

 

そんなわけで、思い切って18年ぶりに実家での生活を堪能してみようと思ったという次第です。
東京では本当によい人間関係に恵まれて、特に離京直前、その某ルームシェアの人たちにも大変よくしてもらえて、本当に感謝しています。

 

本当にこの引っ越し準備期間のもろもろの細かい事件については一つ一つについて長エントリが書けるのですが、バカらしいので機会があれば直接話します。めちゃめちゃイラつくこととか、理不尽なこととか、自分の情けなさを痛感したりとか、まあとにかく大変だった。

 

 

実家に帰ってきて面喰ったのは(そしてこれは分かっていたことですが)、両親+自分の三人程度が暮らすには十分すぎるくらいの広さの一軒家にも関わらず、僕がゆっくりと本を読んだりパソコンをしたり作業をする部屋が無いということだ。一体どういうことだろうか。全ての部屋がモノに占領されているのだ。圧倒的な物量がそこにはあった。

両親が物を捨てずに溜め込む習性があること、そしてこれまでの家族の生活の歴史が全部この家に集約しており、またその整理をここ20年ほどやっていないからだ。

元々この家は僕の祖父母が住んでいる家だった。建てたのが35年ほど前で、僕が物心ついた頃はそこに(父方の)祖父母が住んでおり、居間と寝室くらいしか使っておらず、仏壇のある部屋、その隣(ふすまを外せば大広間になる)、二階の3部屋、全てが畳の和室で、何もモノが置いていなかった。がらんどうの空間だった。

 

当時、母親が週に2回ほどここを掃除しに来るのでよくついてきた。
何にも汚れていない部屋でまずハタキをかけ、掃除機をかけ、廊下を水拭きした。シーズンごとには窓ガラスを掃除した。良く手伝ったものだ。今思えばアレはなんだったんだろう。なぜ汚れていない部屋を掃除したのだろう?

 

年に一度、親戚一同がこの家に集まるので僕たちもここに集まった。僕たちの仕事は、ただメシを食うだけだが。女性陣が料理の準備をして、男性陣は酒を飲んでいた。名古屋のいとこと会うのはその時だけだった。20人近くの人数が集まって、しかもそれだけの空間やら食器やらがある。うまいこと出来ているな―と思った。んでおじさんもおばさんもなぜわざわざこの場所に来るのだろうかということはよく分かっていなかった。なぜ名古屋とかではなく、ウチの親父の元(高山)に来るのか。要するにそれが父方の親族一同で、父が長男だからということだったのだが。

 

僕が高校に入ったころだろうか。祖父が他界し、祖母の一人暮らしも心配になってきたという頃合いで、一家そろって同じ高山市内からこの家に引っ越してきた。その時に旧住居の荷物をだいぶ持ち込んだ。僕としては学校は変わらないのに住処が変わることが不思議な感じで、ウキウキしていた。ここからこの家の蓄積が始まった。ほどなくして祖母も他界した。

二階に三部屋があり、それぞれ父親と兄と僕の3人に割り振られた(姉はすでに大学に行っていた)。
父親の部屋はすぐに大きなパソコンが持ち込まれた。というかウチの親父は機械オタクでパソコンに精通し、インターネットもごく早い段階から導入していた(1998年くらいには)。パソコン類は基本的のその時の一番性能の良いヤツ(だいたいデカいヤツ)を買う。モニター、デスクトップPC、パソコン机。僕もよくその親父部屋のパソコンを使ってソリティアヤフオクをやっていた。


そして子供に買い与えるときも同様で、たとえば僕が大学で一人暮らしを始めるときも巨大な机とデスクトップPCとモニターを買ってくれた。良いものが良いと思っているのだ。当たり前だけど。ありがたいことです。

 

そしてそれぞれの活動場所で同様の環境を整えるという性質がある。具体的に言うと職場ですね。中学校の教員なのですが、高山市中の中学校に赴任したことがあるという伝説になっており(6つくらいある?)、それぞれの学校に設置した機材類をいったんウチに持ち込んでいる(捨てるという選択肢がないから)。それでなくても工具類が大好きで、一通りの道具が大好き。草刈り機だろうが電動カッターだろうが、スパナ・ペンチ類・ノコギリ・電動ドライバーまで持っていないものは無い。それで一度持ち込まれた機械類がその後運び出されることはないので、20年経ったらどうなるか。ドエライことになっている。それで今は元々の一部屋だけでなく、一階部分も含めて2部屋分くらい侵食している。


ちなみに旧住居の親父部屋も巨大なパソコン机、モニター、ステレオ・オーディオ類が壁一面を埋め尽くしており、ドエライことになっている。

 

これはほんのひと要素にすぎず、他に何がこの家に持ち込まれたかを箇条書きで書くと

・親父の職場が変わるたびに持ち込まれた荷物
・姉の大学時代の荷物
・兄の大学時代の荷物
・僕の大学時代の荷物
・旧住居の荷物(移住時と、母方の祖母を住まわせるときの二段階)
・母方の祖母の家を解体する前に運び出した荷物

これらがいったん取り込まれるハブ空間になっているのだ。そして基本的に増えることはあっても減ることがない。

そうすると二階の3部屋がこうなります。

 

f:id:routi:20200529181519j:plain

部屋その1

f:id:routi:20200529181547j:plain

部屋その2

f:id:routi:20200529181607j:plain

部屋その3

これは家全体の一部にすぎず、生活スペースである居間や台所、親の寝室、物置、玄関に至るまで、酷すぎてお見せできるレベルではありません。ちなみにいうと、上記の箇条書きでお気づきの方もいるかもしれません。僕がこの度東京から送り込んだ荷物が個数にして50に及ぶのですが、それが記載されていません。それらを収容する収納力が無いと(親に)判断され、旧住居のさらに隣の、ウチが管理している空き家に強制送還されました(ちなみにそこにもすでに親父の大きめの荷物が侵食している)。

 

これは正しく「部屋が死んでいる」と表現するしかない。僕は家全体は、少なくとも両親が元気なうちはどうしようもないだろうと思っており、諦めています。とはいえ、僕自身がゆっくり作業をするスペースが欲しい。それで二階の一部屋に絞って大処分祭りが敢行されました。その結果↓

 

 

 

本を読んだりパソコンしたりするスペースが確保されました、と言う話でした。

また近況報告します。