ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

同人誌新刊『現代日本人がウォッチするべき七賢人』まえがき公開

みなさんこんばんは、ちろうです。

サークル「チロウショウジ」では、2019年12月28日、

コミケC97にて新刊現代日本人がウォッチするべき七賢人』を発表いたします。
ちょうど3年前に『本当によい教育を実現するための覚書』を発表しましたが、その続編といってもよいような内容です。ここで言う七賢人とは僕の「思想的推しメン」です。


本書に通底するテーマは「教育的な観点から、現代をよりよく生きるために重要な考え方やモノの見方、知見を与えてくれる人を紹介していく」といった感じです。
前著にも一章を費やしてそんな内容がありましたが、今回はそこにフォーカスして一冊丸ごと取り上げました。僕の思想を語るよりも、それが何を参考にして形成されてきたかという一次情報に当たった方が速いだろうということです(笑)。


早速なんですが、一も二もなく、四の五の言わずに「まえがき」を公開します。

相変わらず長いのは勘弁してください。

 

まえがき

 

みなさんこんにちは、チロウショウジです。前回『本当によい教育を実現するための覚書』以来、三年ぶりのご無沙汰です。このサークル活動は、もともとAKB48に関する文章を書くところから出発いたしました。最初のまとまった文章として『ちろうのAKB体験記』があります。これは2006~2008年あたり、AKB48のブレイク前夜に、秋葉原の劇場に通い詰めた体験記をまとめたものです。二〇一二年からメルマガPLANETS上にて連載されました。現在noteにて公開しているのでぜひ読んでください。

ちろう|note

 

それと並行する時期に、AKB48からHKT48に移籍した頃合いの指原莉乃ちゃんに注視し、『指原莉乃2・0』(2012)、『指原莉乃に会いに行く』(2013)という冊子を発行しました。その後、指原莉乃ちゃんは全国的な知名度を獲得。AKB48選抜総選挙三連覇(2015~2017年)などを経て、HKT48を卒業した二〇一九年末現在も、女性タレントのトップランナーとして走り続けています。

 

そんな中、僕の興味の対象はAKBグループから徐々に地下アイドル全般に移っていき、二〇一四年に大きな出会いがありました。それが現在でも地下アイドルシーンで活動を続けている仮面女子です。そこで一気呵成に書き上げたのが『仮面女子の研究☆』(2015)という書物です。その魅力は単にメンバーが良いというだけにはとどまりません。運営手法から活動環境から運営思想に至るまで、全く新しいエネルギーに満ちていると思ったからです。それをまとまった文章にするという試みでした。そしてまた、偶像少女文学界編『アイドルと文学Vol.1』という同人誌には『あなたは仮面女子を推してもいい』という文章を寄稿しました。そこでは仮面の持つ効用について深堀りしつつ、仮面女子こそが最も文学的なアイドルであるという謎の仮説を打ち立てており、こちらも大変お気に入りです。仮面女子はメンバーの世代交代などがありながらも、変わらずに地下アイドル界の一角を占め続けています。

 

二〇一六年、チロウショウジは新たな展開に入りました。それが超絶教育論考『本当によい教育を実現するための覚書』です。「本当によい教育とは何か」。実はこれは何年も前から(それこそ僕が大学で教員養成課程を修了して以来)考えていたテーマであり、学童保育や個別指導塾などで働く中で固まってきて、ここ十年で見聞きした知見をもとに、書くタイミングだったということだと思います。補論ではアイドルとして成功するために参考にするべき成功例を二人取り上げています。どんなジャンルで闘うにせよ、戦略的に自分の適性を見つめ、勉強することが必須なのではないかという実例をあげました。
この問題意識は今でも継続しています。現在、本書とは別に、粛々とある文章を書いている最中です。


■「誰かを推すこと」とともに


さて、僕はアイドルヲタクのありかたについて考えてきたわけですが、もっと厳密に言うと「推す」という行為とは何かについて思索を深めてきました。中学生の時にSPEEDの島袋寛子シャ乱Qつんくを推し始めてから、僕の人生は「誰かを推すこと」と共にありました。要するに「推しメンがいる」ということです。アイドルヲタクの諸兄におかれましては「何を当たり前のことを」「俺にもずっと推しメンはいるし、人数も片手じゃ収まらないぜ」と思われているかもしれません。

 

しかし、ゼロ年代くらいからだろうか、僕の考える「推しメン」という言葉と、世間でいうそれにいくらかの開きがあるような気がしたのです。一言で言うと「“推しメン”っていう言葉、(異性の)アイドルに対してだけ使ってない?」という違和感です(例えば男性なら女性アイドルに対して、女性なら男性アイドルに対して、のように)。
どういうことでしょうか。


■「推す」という行為の2タイプのモード

 

僕は「推す」というのは「恋愛関係」と「師弟関係(尊敬)」のハイブリッドな行為ではないかと考えています。僕にとって「推す」とか「推しメン」という言葉は、「好きが止まらない」「その人のことを考えると温かい気持ちになる」「欠点もあるけどそれも愛しい」とかいうのと同時に、「尊敬できる」「カッコいい」という観点、さらに言うと「その人の考えを丸ごと取り入れたい」「物事のとらえ方や視点、語り口を学びたい」「自分の中になかった考え方、そこににシビれる!憧れるゥ!」とかいう視点があります。つまり、自分をより高みへと連れて行ってくれる存在という意味での推しメンです。

 

何が言いたいかもうお分かりになりますね。
「推す」には大きく分けると2タイプのモードがあり、どちらも僕にとっては等しく「推す」という行為なのです。ざっくりと分ければ、恋愛的なモードだとストレートに女性アイドルが主たる対象になります。一方、師弟関係的なモードだと、これが男性ばかりになります。世間一般にはおじさんと呼称できるくらいの年齢の男性です(おじさんに片足を突っ込んでいる僕よりもさらに年上の人たちですから、自然とそうなるでしょう)。ここでは恋愛モードの推しの「アイドル」に対して、師弟関係モードの推しメンを「メンター」と呼ぶことにしましょう。

 

同じ「推し」という言葉を使っているとはいえ、それは「好きだという感情」とすればほとんど同じ方向を向いているのであり、つまりこれをベクトルと捉えるならば、「メンター」を推すときの矢印の長さ(つまりは力の大きさ)は、女性アイドルを推すときの長さに引けを取らない、それどころかむしろ平均を取ったら「メンター」に対する推し度合いの方が高い気がしています。現に「とある思想家の講演会から地底アイドルのライブ」を回したり、「アイドル現場を干して評論家のトークイベントに行く」とかいうことを繰り返してきました。むろんそこにはイベントの頻度ということも影響しているとは思いますが。

 

アイドルヲタ活をしていてそのように推しのモードを使い分けている人が、ネット上などを眺めるといないわけではないが(政治的トピックに興味があるだとか、お笑いやスポーツ、アニメ作家・映画評論などに食指を広げる人もいる)、ガッツリ現場に通う人となるとあまりいないなあということを感じてきました。僕もそこそこ(同人誌を作ったりブログに長文を書いたりするくらい)女性アイドルが好きです。しかしその一方で、それと同じかそれ以上に好きなおっさん諸氏がいるんだけどな、という意思表明をしたいと思ったのです。

 

僕が推していると言ったら本当に推している。昨日今日知って「結構好きなんだよ~」とか言うカジュアルオタクとはわけが違います。「今話題になっているよね」とか鼻で笑うレベルです。僕が好きだと言ったら、数年単位でウォッチしている。その人の思想をできる限りトレースしたい、思考のクセや欠点も含めて把握したい、というくらいめっちゃ好きなのです。僕という人間は、軽々に「推し」という言葉を使いません。


■教育的という観点から

 

さて、ようやく本題に入ります。今回、僕は「メンター」の側に限った推しメンについて語っていこうと思うのです。そこにはちゃんと理由があります。それは、現代日本に生きる人間であれば老若男女問わず、絶対にウォッチしておいた方が良い思うからです。この人たちの思想や視点をしっかりウォッチし、適宜取り入れていけば、この変化の激しい世の中でよりよく生きられると思います。時間的スパンを自在に行き来し、確かな分析力と未来予測で、どう生きるべきかという指針を与えてくれます。端的に言うと、大人も子供も賢くなれる。それはまさに「教育的」だという他ありません。

 

世の中には教育に関する問題が山積しています。教育現場がブラックだと叫ばれ、教員の担い手は不足し、モンスターペアレント問題にいじめ問題は絶えません。過剰な中学受験業界、空疎な偏差値・学歴信仰に支配されています。「東大(早慶)以外は大学じゃない」と言ったかと思えば、「世界のランキングで言えば~」という別のマウンティングが始まります。「MARCHが目標」な人もいれば「最低MARCH」な人もいるでしょう。大学入試共通テストの改変問題はいまだに紛糾しています。学校教育は洗脳でしかないという言説も目立つようになってきました。教育論・勉強法に関する、要約すると「がんばろう」「うまくやろう」以上のことを言っていない、有象無象の量産型栄養ドリンク的書物が蔓延しています。

 

そこでamazonのランキングで1位だとか、新聞に広告が載っているとか、Twitterでバズっているとか、NewsPicksとか何とか、そういうものに飛びついてはいけません。これではいつまで経っても前に進めません。また僕もさんざん参加してきましたが「○○を考えるシンポジウム」というものもいただけません。もちろん問題を把握するという意味ではよいでしょうが、ともすると「自分は問題意識を持っているぞ」「私たち意識高いわね」と認め合う自己満足に終わってしまいがちだからです。参加者同士でアイスブレイクをしてディスカッションをして考えをシェアしても、明日からの自分の行動が変わらなければ意味がありません。

 

情報の量が爆発的に増えている昨今ほど、真に質の高い情報というものは無料では手に入らないということを感じます。「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉を思い出してください。いいですか皆さん、完成された作品は除いて、基本的に無料の情報というのはゴミでしかないと心得るべきです。せいぜい入り口にはなるかもしれないが、それだけで賢くなれるとは思わない方が良い。中田考先生風に言えば、正規分布でいう平均的な人間(±一標準偏差以内=八割程度)はバカであるので、バカによく響くメッセージこそ広く普及している。ニーチェがいうところの畜群に受容されているものです。google検索結果の上位を独占する無内容な釣りタイトルと、情弱狙いのフィッシング広告の量を見ればそれは明らかでしょう。このような情報をありがたがっていては、バカが再生産されるだけです。

 

そして僕が思うに、生きる上で有益な思想や考え方というものは、人間に紐づきがちです。これは当たり前の話なんですが、世の中がよく見通せて、知識が豊富で、本質がよく分かっている人から発せられる発言は、やはり本質をよく捉えている可能性が高い。逆に言えば、独りよがりでプライドの高いバカは、同じように高い確度でいつも間違えていることでしょう。巷ではよく(意識高い文脈で)「誰が言うかではなく、何を言うかだ」なんて言われる。僕からすれば、そんな言葉をドヤ顔で力説していたら、人間理解というものが浅いと言わざるを得ません。人がどれだけ権威とか権力とか、ハロー効果(ふろむだ風に言えば「錯覚資産」)に影響を受けているかを知らないのです。それに、人がどんな意見を持つかなど、誰かの発言の受け売りでしかないということ忘れています(むろん政治的発言に対しては、むしろ積極的に社会的属性を排し、「何を言っているか」に注目しなければならないのは言うまでもありません)。

 

一つ一つのテーゼをその都度、自分の判断で取り入れてよいかどうか検証するということは、とてもではないが素人にはハードルが高すぎる。Twitterのインプレッション数や食べログamazonのレビューなどに影響されて、炎上ネタに踊らされ、フェイクニュースを嬉々としてリツイートしてしまうのがオチです。そこで人間に重心を置くのです。「誰が言っているか」にまず着目する。あるメッセージを、最終的に自分で判断しなければならないのなら、その摂取経路の精度を高めておくことは有益であると思うのです。我々はバカなのであるから、上位一割の賢者たちの言動をウォッチして丸ごとトレースするということの方が、何でもかんでも自分で考えたり手当たり次第に流行りの評論を鵜呑みにするよりも、幾分か人生の選択ミスが減るというものです。巨人の肩に乗るとは、そういうことです。

 

巷で話題のネタは基本的に時代遅れであり、レベルが低い公算が大きい。ある株が良いらしいという噂が立ったときはすでに売り時であり、ビットコイン騒動は(今のところ)コインチェック社が出川哲郎をCMに起用した時が終わりの始まりでした。本当に質の高い情報は、数の多い大衆には響かないから、あまり表に上がってこないのです。だからこそ、きちんとした発信源から摂取するしかない。僕は今から、そのルートを示そうとしているのです。


現代日本人がウォッチするべき賢者とは一体誰なのか。


さて、ここで一つだけ予防線を張っておこうと思います。先ほど、レベルの低い情報ほど大衆に響くと書きました。それは同時に、本当に本質的な言説は理解されにくいということと表裏一体です。人はしばしば「本当のこと」を言われるとイヤな気分になります。そしてそういう本質を突く人を遠ざけ、嘲り、誹謗します。それは人間が直感というものにあまりにも支配されているからです。

 

「直感的に間違っていると思える正しいこと」と「直感的に正しいと思える間違ったこと」を比べれば、直感こそが優先されるために圧倒的に後者が普及します。これが、間違ったことが定着してしまう理由です。そして「直感的に間違っていると思える正しいこと」を言うと、友人知人に間違っていると決めつけられ、反感を買い、嫌われてしまいます。

 

僕がこれから紹介する人たち(つまりは僕の推しメンたち)は、僕が見る限り「直感的に間違っていると思える正しいこと」を言う率が高い人たちです。さらには「言われたら痛いこと(本当のこと)をズバッという人」でもあります。もう何が言いたいかは分かりますね。世間では「危険人物」「バカ」「にせもの」「ペテン師」「大したことない」という人もいなくはないと言いますか、まあ要するに賛否両論のある人が多い。だからもし、そのようなマイナスの印象をすでに持っている人がいたら、ここではいったんその評価をフラットにしてほしい。スタートの直感が間違っているのかもしれないと立ち止まってほしいのです。

 

真に知的で、骨太の、クリティカルな視点を与えてくれる人ばかりです。何といっても情報の質が高く、洞察が深い。結論を先延ばしに出来る知的体力があり、同時に「ここぞ」という論点に関しては批判を恐れず意見を表明する勇気のある人たちです。それは現代の日本に生きる上で、確かな指針を与えてくれるでしょう。まさに最も本質的な教育者たちです。

 

むろん、誰にとってよい教育なのか、本当によい教育なのか?という検証はなされてしかるべきだと思います。僕が「これが現代日本人をよりよく導いてくれる教育者たちです」と言ったところで、その信憑性はいかほどのものなのかというツッコミはあるでしょう。また、ある人間の全てが完璧であるとも思いません。誰しも間違った思い込みや、危険思想の一つや二つあるものです。それはそれで、受け取る側の判断でスルーすればよい。だからぜひとも、皆さんにも触れていただいて、検証して判断してほしい。知らなかったのなら知ってほしい。騙されたと思えばいい。全然大したことない、むしろ悪影響だ、という結論に至るかもしれない。それもまた一つの学びであることでしょう。

 

このまえがきの最後に、『徒然草』で有名な吉田兼好先生のbotが良いツイートをしていたので、引用してみよう。
「形から入る、ってのをバカにしちゃいけない。マジキチの真似といって大通りを走り回ればそれはもう正真正銘マジキチだし、悪人の真似で殺人を犯せば悪人だ。良い馬は名馬の真似をして名馬となる。聖人を真似れば聖人、振舞いだけでも賢人と同じなら、それはもう賢人と言っていい。(第八十五段)」

 

僕は今からボールを投げようと思う。
スルーするのか、キャッチして取り込むのか、打ち返すのか。
それはあなた次第だ。

巨人が今、あなたの眼前に現れる。

 

 

※補足説明

●僕はこれから、推しメンを発表するわけである。ただしこれは推しのアイドルを表明するのとはわけが違う。なぜなら自らの思想形成を丸裸にしてしまう行為だからだ。これはハッキリ言ってめちゃくちゃ恥ずかしい。裸を晒す方がマシなくらいである。

 

アメトーーク』の読書芸人で、又吉直樹だか光浦靖子だかが「好きな作品を発表するのはケツの穴を見られるのと同じくらい恥ずかしい」と言っていたが、正しくはこう言うべきだろう。「(思想的・メンター的)推しメンを発表するのは渋谷センター街で裸踊りをするよりも恥ずかしい」と。好きな作品など可愛いものだ。単発なのだから。しかし人間を挙げるのは容易ではない。評価が定まっておらず、いくらでも批判に晒されうるからだ。数年後には古くなってしまうかもしれない。それでも僕は発信したいと思った。

 

いずれもある種の思想家だ。世の中にメッセージを発するということは、それが本質を突けば突くほど、いわれのない批判を浴びるものだ。どれだけ批判を受けても、粛々と、地に足をつけて、(時に大衆の目から離れるように引きこもりながら)自分の仕事を全うし続けている賢人たちに対する感謝の気持ちを示したいと思ったのである。

 

●「現代日本人が読むべき」と銘打っているが、ここで取り上げる賢人たちもまた現代日本人である。存命である、というのは重要なポイントだ。過去の評価の定まった偉人たちを挙げるのは本書の趣旨ではないからだ(たとえばソクラテス孔子デカルトガンジー織田信長スティーブ・ジョブズなどと列記することに僕はあまり意味を感じない)。
現代日本に生きる日本人として、現在進行形で発信し続けている人ばかりだからこそ、よりこの現実社会に即した知見が得られると信じている(たとえば、21世紀を生きていない人間に今日の社会状況を正確に語ることはできないだろう)。

 

●七賢人と銘打っているが、むろんこの人選は非常に個人的かつ暫定的(2019-2020年現在)なものである。巻末には+αとして候補者もいくつか挙げている。いずれも勢いも実績もある、現代日本の頼れる知性だ。将来的には八賢人、十賢人ということもあり得る。僕自身もまた、推しメン(メンター)を精査するその旅の途上である。

 

●賢人たちに序列はない。そこで本書では、五十音順で紹介していく。

  


さて、皆さんお気づきの通り、本編で取り上げる人物名を挙げずに書いてきています。
七賢人とは一体誰なのか。
僕のブログやTwitter、あるいは前著をよく見てくれている人にとっては、何人か予想がつくのではないかと思います。

 

それはズバリ

 

七賢人・・・東浩紀岩崎夏海内田樹岡田斗司夫林修、藤沢数希、宮台真司

(ウラの七賢人)・・落合陽一、オリラジあっちゃん、あるいは教育系Youtuber、QuizKnock、あるいは伊沢拓司、千葉雅也、中森明夫ひろゆき西村博之)、水野敬也

 

以上の7名+7名=14名です(敬称略)。

コミケの詳細については次エントリにて。