ちろうのレイブル日記

本当によい教育を考えるためのブログです

家に籠ってコンテンツ摂取ばかりしていて、なかでも『進撃の巨人』をおススメしたい

去年までの生活とガラッと変わって、面白イベントがほとんどないこと、そもそも田舎に引っ込んでいてどこにも行かないこと、田舎ゆえに知り合いが誰もおらずずっと家に居ることなどが相まって、最近はもっぱらジムに通いつつコンテンツ摂取をしています。ジムについては近いうちにレポートします。

 

んでコンテンツって何やねんという話ですが、結論から言うと映画、アニメ、マンガ、本、YouTube(動画)ですね。人と会話することがないので、そこの部分の脳が委縮しているかも知れませんが、コンテンツを一人で黙々と楽しむという耐性はあるので(少なくとも両親とかにはそういったものがないらしい)、退屈することはありません。テレビも録画はしませんが、わりと見ています(半年前まで消化が追い付かないほどに録画していた)。

 

今思い出したけど、あり得ないほどテレビを見ていたんだった、少なくとも毎週録画で見ていたのが、プロフェショナル、72時間、100分de名著、将棋フォーカス、NHK杯テレビ将棋、情熱大陸、ケンミンショー、ザ・ノンフィクション、アメトーーク、林先生が驚く初耳学、etc・・こういうものを見なくなった代わりに、今は映画やアニメを見ているという感じか。

 

ただ困ったことは、大きなテレビが居間にしかなく、またそこはほぼ確実に両親が存在する空間であるということだ(両親こそ、そこにしか居場所がない)。両親というのがネックである。ハッキリ言って非常にうるさい。映画やアニメを見通す気力がないので、理解できないと要らん感想を言ったり要らん質問をしてくる。というか両親でなくてもそうなのだが、そのコンテンツを特に楽しんでいない人間が同室にいるというのが耐えられないほど不快なのだ。これヤバい系の(社会不適合系の)オタクにはあるあるだと思うのですが、どうですか?
こういうときに、一人暮らしがいかに気楽だったかということを実感する。

 

だから静かに一人で見られる時間がまとまって確保できないので、映画を見るにしても1時間ずつとか細切れにしているのだが、それでも数十本の映画を見てしまった。タイトルや内容は有名だけど、実際に見たことはないっていう作品って多いですよね。そういうものを片っ端から摂取していこうかなと。面白いものもあれば、普通のものもあった。

 

有名な映画を見るのですが、僕の理解力の問題で何のことだったかよく分からないということがほとんどなので、考察サイトやら考察動画やWikipediaを見るというのがセットとなります。最低限、某動画サイトで「作品名 町山or宇多丸」で検索し、解説を聞きます。これが重要。だから余計に時間がかかるわけですが。これをやらないと本当に理解ができない。

 

■この半年で一番の衝撃

 

んでこの半年で一番衝撃を受けたものは何かというと、1か月前までは約束のネバーランド(マンガ。これも最高です)と言いたかったところですが、今はぶっちぎりで進撃の巨人だと断言できます。マンガが軸ですが、アニメ、実写映画もあります。

 

 

進撃の巨人』が本当にすごい。10年以上も前から連載していてもちろん有名な作品なのですが、今まで読んでいなかったのが本当に信じられない。俺はいったい何をやっていたんだ・・・これをちゃんと読もうと決心したキッカケってアメトークなんですよね(ちなみにスターウォーズをちゃんと見ようと思ったのもアメトークだったから、アメトークに影響受けすぎ)。

 

何がそんなにすごいかというと、深いからです。「いゃそのコメントが一番浅いよ」と言われそうですが、「深い」のだからしょうがない。セリフの一つ一つとか、後で生きてくる伏線の細かさとか、キャラクター描写とか、世界観もそうですが、ものすごく練られている。コミックスの1巻から。最新32巻まで。ずーっと。

 

ハッキリ言って難しいです。1回目の通読でも、圧倒的な迫力に飲み込まれながらも人間関係が目まぐるしく変わったり、世界の見え方そのものが変わったりして理解ができませんでした。2回目に通読してようやく全体像が掴めたという感じ。敵と味方が何回も入れ替わったりする。それは実社会においても、世界の見え方が容易に変わりうるいうことを表しているのだと思います。物語が複雑で掴みにくい、ということの証拠に、YouTubeでは解説動画が盛り上がっています。特に「タキチャンネル」は熱量が高い。

 

これを連載当時23歳の人間が構想したというのが信じられません。ちなみに絵のレベルも、物語を追うほどに圧倒的に上手くなっています。しかしこの壮大な物語を、「なんかよく分からん」「難しい」「世界観がキモチ悪い」という理由で読まないというのはあまりにももったいない。これはもう神話の類だと思いますよ。内容には触れていないので、未読の方にはこんなこと言われてもよく分からんと思いますが、本当に素晴らしい作品なので騙されたと思って読んでみてください。お願いします。

 

1か月前にドはまりしてから、「アニメもあるんだよなあ」と思ってたわむれにアマプラで検索してみたらシーズン1~3まで全部公開されていて(以前は無かった!)、軽率にシーズン2から(物語の展開はこの辺からだろとか思って)再生してみたら、止まらねえ・・・一気にシーズン2を全部(一日で!)、あっという間にシーズン3にも突入して、数日のうちに視聴してしまった。んでいまシーズン1を見ています。これがまためちゃめちゃ評判が良いわけですが、その理由が分かりました。立体機動装置のアニメーションがカッコ良すぎるのです。

 

そして2020年12月から、アニメのシーズン4(ファイナルシーズン)が始まるのです!ハッキリ言ってここまでの物語を知らないと、新作アニメを見ても意味がつかめないと思います。だから今のうちに!まだ間に合います。コミックスで読破するのをおすすめします。本当に。

 

二千年後の君へ~シガンシナ陥落①~

二千年後の君へ~シガンシナ陥落①~

  • 発売日: 2017/07/26
  • メディア: Prime Video
 

 

ちなみに実写映画は前後編がありますが、なんというかアレなので、優先順位としてはすごーく後で良いです。というか見なくてもいいです。


皆さん、本当に『進撃の巨人』が最高なので、好きな人は一緒に語りましょう!

 

実家に帰ってきたけどまずは環境を整えなければならなかった話

突然なのですが(Twitterには散々書いているのですが)、東京のマンションを引き払って地元にいます。高円寺で4年、目白で10年過ごしていて、また大学の4年間を加えれば実に18年ぶりに地元に帰ってまいりました。もう3週間が経ってしまいました。いま驚くほどのんびりした日々を送っています。

なぜこうなるに至ったのかは、説明すると長くなりますので簡単に。

 

・東京の生活コストが高い
・一年半前に僕が住んでいた分譲マンションを親が売却しており、できれば離れたかった(家賃がもったいない)
・東京での仕事はいつ辞めてもよいような状況だった(年々環境が悪くなり、ほとほと嫌気がさしていた)
・某ルームシェアに誘われて、引越しの手続きを進めていた(マンション解約など)
・その某ルームシェアに入居することを、さまざまな事情で取りやめにした(宙ぶらりん)
・COVID-19状況でおもしろイベントがない

 

そんなわけで、思い切って18年ぶりに実家での生活を堪能してみようと思ったという次第です。
東京では本当によい人間関係に恵まれて、特に離京直前、その某ルームシェアの人たちにも大変よくしてもらえて、本当に感謝しています。

 

本当にこの引っ越し準備期間のもろもろの細かい事件については一つ一つについて長エントリが書けるのですが、バカらしいので機会があれば直接話します。めちゃめちゃイラつくこととか、理不尽なこととか、自分の情けなさを痛感したりとか、まあとにかく大変だった。

 

 

実家に帰ってきて面喰ったのは(そしてこれは分かっていたことですが)、両親+自分の三人程度が暮らすには十分すぎるくらいの広さの一軒家にも関わらず、僕がゆっくりと本を読んだりパソコンをしたり作業をする部屋が無いということだ。一体どういうことだろうか。全ての部屋がモノに占領されているのだ。圧倒的な物量がそこにはあった。

両親が物を捨てずに溜め込む習性があること、そしてこれまでの家族の生活の歴史が全部この家に集約しており、またその整理をここ20年ほどやっていないからだ。

元々この家は僕の祖父母が住んでいる家だった。建てたのが35年ほど前で、僕が物心ついた頃はそこに(父方の)祖父母が住んでおり、居間と寝室くらいしか使っておらず、仏壇のある部屋、その隣(ふすまを外せば大広間になる)、二階の3部屋、全てが畳の和室で、何もモノが置いていなかった。がらんどうの空間だった。

 

当時、母親が週に2回ほどここを掃除しに来るのでよくついてきた。
何にも汚れていない部屋でまずハタキをかけ、掃除機をかけ、廊下を水拭きした。シーズンごとには窓ガラスを掃除した。良く手伝ったものだ。今思えばアレはなんだったんだろう。なぜ汚れていない部屋を掃除したのだろう?

 

年に一度、親戚一同がこの家に集まるので僕たちもここに集まった。僕たちの仕事は、ただメシを食うだけだが。女性陣が料理の準備をして、男性陣は酒を飲んでいた。名古屋のいとこと会うのはその時だけだった。20人近くの人数が集まって、しかもそれだけの空間やら食器やらがある。うまいこと出来ているな―と思った。んでおじさんもおばさんもなぜわざわざこの場所に来るのだろうかということはよく分かっていなかった。なぜ名古屋とかではなく、ウチの親父の元(高山)に来るのか。要するにそれが父方の親族一同で、父が長男だからということだったのだが。

 

僕が高校に入ったころだろうか。祖父が他界し、祖母の一人暮らしも心配になってきたという頃合いで、一家そろって同じ高山市内からこの家に引っ越してきた。その時に旧住居の荷物をだいぶ持ち込んだ。僕としては学校は変わらないのに住処が変わることが不思議な感じで、ウキウキしていた。ここからこの家の蓄積が始まった。ほどなくして祖母も他界した。

二階に三部屋があり、それぞれ父親と兄と僕の3人に割り振られた(姉はすでに大学に行っていた)。
父親の部屋はすぐに大きなパソコンが持ち込まれた。というかウチの親父は機械オタクでパソコンに精通し、インターネットもごく早い段階から導入していた(1998年くらいには)。パソコン類は基本的のその時の一番性能の良いヤツ(だいたいデカいヤツ)を買う。モニター、デスクトップPC、パソコン机。僕もよくその親父部屋のパソコンを使ってソリティアヤフオクをやっていた。


そして子供に買い与えるときも同様で、たとえば僕が大学で一人暮らしを始めるときも巨大な机とデスクトップPCとモニターを買ってくれた。良いものが良いと思っているのだ。当たり前だけど。ありがたいことです。

 

そしてそれぞれの活動場所で同様の環境を整えるという性質がある。具体的に言うと職場ですね。中学校の教員なのですが、高山市中の中学校に赴任したことがあるという伝説になっており(6つくらいある?)、それぞれの学校に設置した機材類をいったんウチに持ち込んでいる(捨てるという選択肢がないから)。それでなくても工具類が大好きで、一通りの道具が大好き。草刈り機だろうが電動カッターだろうが、スパナ・ペンチ類・ノコギリ・電動ドライバーまで持っていないものは無い。それで一度持ち込まれた機械類がその後運び出されることはないので、20年経ったらどうなるか。ドエライことになっている。それで今は元々の一部屋だけでなく、一階部分も含めて2部屋分くらい侵食している。


ちなみに旧住居の親父部屋も巨大なパソコン机、モニター、ステレオ・オーディオ類が壁一面を埋め尽くしており、ドエライことになっている。

 

これはほんのひと要素にすぎず、他に何がこの家に持ち込まれたかを箇条書きで書くと

・親父の職場が変わるたびに持ち込まれた荷物
・姉の大学時代の荷物
・兄の大学時代の荷物
・僕の大学時代の荷物
・旧住居の荷物(移住時と、母方の祖母を住まわせるときの二段階)
・母方の祖母の家を解体する前に運び出した荷物

これらがいったん取り込まれるハブ空間になっているのだ。そして基本的に増えることはあっても減ることがない。

そうすると二階の3部屋がこうなります。

 

f:id:routi:20200529181519j:plain

部屋その1

f:id:routi:20200529181547j:plain

部屋その2

f:id:routi:20200529181607j:plain

部屋その3

これは家全体の一部にすぎず、生活スペースである居間や台所、親の寝室、物置、玄関に至るまで、酷すぎてお見せできるレベルではありません。ちなみにいうと、上記の箇条書きでお気づきの方もいるかもしれません。僕がこの度東京から送り込んだ荷物が個数にして50に及ぶのですが、それが記載されていません。それらを収容する収納力が無いと(親に)判断され、旧住居のさらに隣の、ウチが管理している空き家に強制送還されました(ちなみにそこにもすでに親父の大きめの荷物が侵食している)。

 

これは正しく「部屋が死んでいる」と表現するしかない。僕は家全体は、少なくとも両親が元気なうちはどうしようもないだろうと思っており、諦めています。とはいえ、僕自身がゆっくり作業をするスペースが欲しい。それで二階の一部屋に絞って大処分祭りが敢行されました。その結果↓

 

 

 

本を読んだりパソコンしたりするスペースが確保されました、と言う話でした。

また近況報告します。

2020年4月中旬のコロナ禍についての雑記

無数の妖怪が世界を徘徊している。新型コロナウイルスという名の妖怪が


COVID-19こと新型コロナウイルスが猛威を振るっていますね。
100年に一度ともいわれる厄災のなか、いかがお過ごしですか?

まさかこんなに世の中が一気に停滞してしまうとは思わなかった。
持たざる者である僕なんかはまだダメージが少ない方で、それでも「世の中どうなってしまうんだ」という暗い気持ちに支配されている。ましてや大切なものを抱えている人、戦っている人にとっては本当に苦しい状況だと思う。

 

3月の初めの段階のブログで「ライブイベントが続々中止になった(小規模なものは存続)」「学校が前倒しで春休みに突入した(卒業式の中止)」ということを書いている。そこから事態は好転するどころか、ますます深刻なものになっている。いまはどんな小規模なイベントも打つことができない。それどころか飲食店すらも満足に使えない(経営する側はもっと地獄であること、お察しします)。

 

2月の段階では僕自身も「アイドルの特典会でマスク着用とかあり得ない」「オタクたちをウイルス扱いするのか」と吠えていた。これは記録しておきたい。自分のためにも。それも今は昔。緊急事態宣言が出たのは3月も半ばになってからだ。東京オリンピックは1年の延期が決まった。

 

 

消費者側の不便はまだしも、あらゆる業種の経営者が苦しいと思う。
飲食店はまだ20時まで営業することが出来ている。余計な手間が増え、心労が増え、客は少なくなっているかもしれないが。


変わらず営業を続けているコンビニ、薬局、スーパー、あるいは物流で働く人たちには頭が下がる。この人たちがいなければ、信じられないくらいに一気に日常は破綻する。
そんな中、客が殺伐としていて良からぬことが起こっていると聞く。要は「マスクを売れ」とか何とか。モンスター客のことが定期的にTwitterで流れてきてうんざりする。こういうときこそ相手のことを思いやらなきゃダメだろ。いい年した大人のくせに自分さえよければいいという人間がいるのだ。

 

 

個人的には、特にアイドルさんやアイドル運営のことが気がかりだ。まあ確かに接触商法とかライブイベントに頼り過ぎていたのかもしれない。もともとあんまり消費する勢じゃなかった自分はエラそうなこと言えないんだけど、いまそこの部分で大打撃を受けている。キャッシュフローが激減しているのだから(ライブもなければ収入はゼロだ)。

 

かといってじゃあどうしていれば良かったか。目の前で見るライブの一体感と、物販(チェキ撮影等)が魅力だったのは間違いないのだから、どうしようもない。別のやり方を考えるか?課金型のストリーミング放送って手もあるけど、急場のしのぎにもならないだろう。

 

盤石なのは旧来型のテレビタレントと、十分にインフルエンサーと言えるレベルのYouTuber・インスタグラマーか。確かにYouTubeなんかのスーパーチャットで続々入金されているという場面を見るね。あれが本来健全なのかもしれない。
SHOWROOMとか17LIVEとかはそりゃプラットフォーマーの手数料も必要だろうけど、あんまり健全じゃないと思う)

 

 

学校も止まっている。授業が進まない。んで今年は大学入試がセンター試験から共通テストに変更されるけど、それはどうなる?さんざん議論されていたことだが、それどころじゃない状況になっている。それでも月日は着々と過ぎていく。学校も塾も続々と映像授業・遠隔授業を取り入れているが、それがどこまで有効なのか。あまりにも準備不足。

 

学校教育も大きく変わらざるを得ない。こんなことは何年も言われていたことだが、ここまで強制的に変化を求められるとあまりにも大変で、色んなことを考えてしまって心が痛い。あらゆることが変化を余儀なくされているし、この後がどうなるのかぜんぜん予測がつかない。今何をすればいいのか分からない。

 

 

とにかくまずは、死なないこと。経済的・身体的なダメージをできる限り小さなものにする。この際、店やビジネスを畳むってのも良い選択だと思う。死んでしまったり、それでなくても致命的な負債を抱えるよりマシだと思う。リセットしよう。

そして力を溜める。もとの世界(?)に戻ったときに、また動き出せるように。

 

とにかく皆、生きよう。

学校への依存度を減らす

岡田斗司夫ゼミを聞いていてまたインスパイアされたので備忘録的に書く。

 

歴史を勉強するのは、今あるものを「当たり前」と思ってしまわないためだ。今回は学校教育について考えたいと思う。特に小学校、中学校。いわゆる義務教育と言われるヤツですね。マジでこんなもん時代に合わなくなっていて、ましてやもっと歴史の浅い中学受験だの私立校だのと躍起になっているのは滑稽と言わざるを得ない。(高偏差値校に)行きたい人・行ける人は良いが、受験という特殊な分野のゲームで全然勝てないのに競わされている子供は可哀想。

 

「全員が一律に(強制的に)就学」というのは工場労働者、ロボット(byゆたぼん)を育成するための方策だ。
これ意地悪で言っているんじゃなくてマジです。
「時間を守ること」「言われたことに従うこと」「反復作業を嫌がらないこと」が求められた。
学制が発布された当初は百姓は無視してた。就学率30%弱。学校行かせるヒマがあったら仕事を教えて働かせたいからだ。そこで国としては、労働力としての子供を家庭から引き剥がしたかった。

 

何も考えないで言われたことをきちんとこなす人材は、産業革命の波に乗る、そのちょっと後には軍国教育を植え付けるためにはよく機能したのだろう。だけどもう時代は変わった。一言で言うと「情報革命」と「評価経済社会」(by岡田斗司夫)。ITが十分にいきわたって、AIが普及して人間がしなければいけない労働が激的に少なくなった。だったら社会の仕組みも変わっても良いはずだ。いや変わらないとまずいでしょう。しかし慣性が働くから、これまでのやり方が維持されている。今の親世代も十分に教育(洗脳)されていて、なかなか大きく舵が切れない。むろん官僚も。記述式のテストを導入とか、アクティブラーニングがどうとかごちゃごちゃ言っている。あ、教員免許の更新制度とかいうクソな仕組みも作ってくれたな。これは時代に逆行していると言わざるを得ない。教員のなり手が不足しているというのに、間口を狭めてどうする。むしろ教員免許制度の撤廃だろ。

 

 

これは『未来改造のススメ』(岡田斗司夫小飼弾)で読んだんだけど、小学校の家庭科の調理実習で、事故を起こしちゃいけないから包丁も火も使わせないとかあるって。どこぞのファミレスのキッチンかよ!?(どこだっけ?)

 

色々な方面に目くばせした結果、要するにクレームとかモンペとか恐れた結果、こんなところまで来ている。バカすぎるでしょ。小学校高学年が火を見たことがないとか、魚が切り身で泳いでいると思っているとか、よく聞きますね。一方でお金持ちで教養ある親に育てられると、キャンプに行ったりレジャー活動も豊富にできる。よほど生きる力が身につく。お金持ちのボンボンが常識がないとか教養がないとか言いたくなる気持ちがあるけど、逆ですよ。親も子供も平凡な庶民こそ、酷いことになる。

学校に求めすぎ&任せすぎなんですよね。学制が始まったころ、無視して百姓仕事を教えていたころを思い出そうよ。やっぱり親がまずは生きる力を教えるのが基本でしょう。

 

教科書の道徳教育はクソという話。道徳ならIT企業の方がうまく教えられる。

これも岡田斗司夫ゼミで見た話。
メルカリが小学校で「自分の持ちものを出品して売る」っていう体験授業をやったらしい。
質問「出品する服に汚れがあるんですがそのことを書かなくていいか?」
「汚れや破れなどのマイナスポイントは、隠さず正直に書くのが基本」そういうことを教えてくれる。
そこを隠してちょろまかして売ったりすれば、あとでトラブルになったり大きなマイナスを被るからだ。これこそがIT企業の方が実感を持って道徳を教えられる、という話。僕は本当にそう思いました。だって誠実であることとか評価が全てなんですから。これ教科書で教えられるんでしょうか?ましてや教科として成績を付けるとか。どうゆうことなのだろう。

 

 

そんなわけで、僕は学校の役割とか、学校に対する期待、先生への負担を縮小していくことが重要だと思う。学校にはまあ悪くない(便利な)機能もある。アクティビティとか。そこは有効に使う。色んな教科に広くアクセスしてくれるのはきっかけとしてはいい。今や科学も歴史も英語も教えられない親が多いからね~。

 

学校側からも、何でもやってあげるという姿勢(部活とか進学相談とか)を辞める、何でも責任を引き受けようとしない(放課後の生徒の行動とか知らん)、授業とかはアウトソーシング(地域の人を使う、手間のかかる資料作りをしない)する必要があると思う。要らん会議とか手書きの資料作りとかやめよう。

 

とにかく意識改革だ。これを発信したい。

 

【仮題】本質研究所へようこそ

■あらすじ


ここは東京都豊島区。雑司ヶ谷にあるのどかな住宅街を、中学生のチロウが歩いていると、「本質研究所」という看板を掲げた一風変わった一軒家を見つけます。そこには「所長」を名乗る一人の先生が住んでいて、付近の子供が通っていました。小学生のマオ、中学生のサラ、高校生のユキです。ここに通う生徒は「所員」と呼ばれます。それにチロウを含めた4人が、この物語の主要な生徒です。一見すると学習塾のように思われたその「本質研究所」は、現代に寺子屋が蘇ったかのような、あるいは大学のゼミのような、全く画期的な学習空間でした。

 

この場所は、月額料金を支払うと、24時間365日、いつでも利用することができます。そこでは一般的な塾のように、時間を区切って各教科の授業をしているわけではありません。もちろん学校の授業の中で苦手な単元があったり、テスト前に対策がしたいというのであれば、いつでも所長に質問して指導を受けることができます(なんでも、所長は小学校・中学校の教員免許も持っているようです)。何しろ24時間、常に所長はそこにいるのですから(たまにいないときもあります)。しかしあくまでも、学校の成績については点数を把握・管理しているだけです(もちろんそのことには大いに意味があります)。

 

■教育現場として必要な3か条
1、ちょっとした強制力
2、進捗管理とフィードバック
3、大人の視線

 

ここには図書館並みの蔵書、あるいは映画、ドキュメンタリなどの各種DVD、最新の情報に触れるための新聞、雑誌なども置いてあります。なお、所員はここに来るたびに、小学生はその日の「新聞の社説」を読み合わせ、中学生は『声に出して読みたい日本語』、高校生は『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』を一項目読むことが推奨されています。


またYouTubeを使った学習をしたり、様々なネット授業がいつでも受けられるようにWi-Fi完備、豊富なデバイスが貸し出し自由となっています。遊戯室にはあらゆる種類のテレビゲーム、カードゲーム、ボードゲーム類、卓球台、麻雀卓などがあります。

 

この本質研究所には大きな活動方針があります。

■本質研究所の3か条
1.本を読む
2.体験する
3.本質を知る

 

この研究所ではまず、読書を推奨しています。そして1冊読むごとに200円の報酬がもらえるというのが面白いところです。このことによってまず、より多くの本を読もうというインセンティブが働きます。ただし、対象は本棚に並んでいるものに限られ、さらに要約を話すか感想文の提出が求められます。これによって読書の質が大きく向上します。流し読みでは要約を話すことができないからです。アウトプットを前提にインプットをする、という姿勢を身につけることができます。これが「1.本を読む」です。

 

さらにこの研究所では、所長の急な発案によって、さまざまな活動に駆り出されていきます。「花見をする」「山登りに行く」「テレビを見る」「映画を観る」「Youtubeを見る」「パズルやゲームをして遊ぶ」「博物館・資料館に行く」「アイドルライブを見に行く」「お笑いライブを見に行く」「テスト形式の勉強をする」「学校教育について考える」などです。これが「2.体験する」です。

 

また、この場所にはいろんな大人がやってきます。いろんな分野の専門家や学者、スポーツ選手、作家、ブロガー、Youtuber、などが講演をしに来たり(研究所員は参加無料)、単純に遊びに来たりしました。あるときには、所長のほかに見知らぬ人がいて麻雀を打っていることもあります。チロウは麻雀に駆り出され、一緒に卓を囲んでいる中で、その大人たちから社会の様々な話を聞くことになります。

 

大人向けの勉強会が開かれることもありました。しかもそれは中学レベルや高校レベルの内容だったり、入試問題に挑戦という企画、早押しクイズの大会の時もあります。大人になっても学び直しをする人がいるのは新鮮な驚きでした。つまり学習というのは、高校や大学を卒業したら終わりというものではなかったのです。またそういう時は生徒たちも参加し、ときには解説する役割を与えられることもありました。

 

これらの活動を通して様々な大人と交流することによって、チロウたちは世の中がどういう仕組みになっているかを学び、世界とどう向き合っていくか、自分は何に惹かれ何がやりたいかということを考えさせられます。そして所長と行動を共にすることによって、これまでに自分の中になかった、物事の感じ方も獲得していくことになります。これが「3.本質を学ぶ」です。

 

学校教育についても考えました。小学校、中学校、高校、そして大学での学びの質の違い、求められる深度について、俯瞰します。手段と目的を切り分ける、他人事ではなくて自分事として考える。学問は学校で初めて学ぶものではなく、補助的なものであり、高等教育に近づくほど自分が勉強することを能動的に決めていかなければなりません。受験勉強のための勉強は、本質的なものではなかったのです。「学歴」についてはその世間的な評判、自尊心への影響も踏まえて、やはり取得するかどうかは自分の判断で決めればいいのです。

 

学校はあくまでも行っても行かなくてもいいものだと捉え、時間的にも精神的にも学校に振り分けるリソースを少なくするというのが結論でした。ポイントは「小さな政府」という発想、つまり学校への期待を少なくすることです。

 

どんなことにも「まずはやってみる」「全力で向き合う」「集中する」という姿勢も求められました。そして自分に向いている分野は何かを見極める。やりたくないことはやりたくないと表明する自身を持つ。そんなふうにして、テストの点数を上げるための勉強だけではなく、物事の新たな捉え方や楽しみ方を獲得していく4人。受動的にではなく、能動的に生きるということを学んでいきます。学習は生涯続いていくものなんだということも学びました。

 

そして改めて、自分が何に興味があるのかを「偏愛マップ」(by斉藤孝)を作ることによって見つめていきます。これまでこの研究所でやってきたことは、自分の中にある世界を広げることだったのです。おぼろげながら、将来何をやっていきたいか、どんな人生を歩んでいきたいかということも見えてきました。自分の好きなことを突き詰めるための方法についても考えました。

 

そしていよいよ進路について考え始めます。今の社会はどのように変化していて、どんな選択がありうるのか。大学に行くのか、行かないのか。大学に行くとしたなら、そこでやることは何か。その先にはどんな社会が待っているのか。人生とどのように向き合っていくべきなのか。

 

4人の生徒は、それぞれどんな目標を見つけ、どんな道に進んでいくのでしょうか。

 

〈類似図書〉
もしドラ
「ビリギャル」
「下克上受験」
「夢をかなえるゾウ」
君たちはどう生きるか

2020年1~2月の雑記(コロナ雑記とコンテンツに埋もれて死ぬかもしれない話)

2020年が2か月も経過している。東京オリンピック開幕まであと5か月。あな恐ろしや。

 

なんか最近、ことにものごとの流れが早すぎると感じる。Twitterとかでも日夜、痛い発言をした人がいて、それを一斉に叩いて、数日後には忘れ去られているということが繰り返されている。そうするといちいち乗っかったり反応したりするのがアホらしい。Twitterの更新頻度が高い人は本当に大変そうだ。

 

そんな中にあって、新型コロナウイルスに関する一連の騒動はあまりにも世界中に大きな打撃を与えている。主に経済面において。中国の武漢がどうだとか、チャーター便だとか、ダイヤモンドプリンセス号とか言っているうちは「おいおい、ずいぶん大きな騒ぎになっているな、早く終わってくんないかな」とか思いつつもどこか他人事だった。

 

AKBの握手会が延期というニュースを見て「それはさすがにやりすぎやろ」とか思っていたら、あれよあれよという間に(パフュームとかの)大型のエンタメ興業が中止、小規模の自主ライブまで自粛という流れに。僕はまだ買ったチケットの払い戻し案件はないが、今月中ごろに参加予定だった地域の小規模なフリーマーケットまで中止ということになり、これはちょっと凹んでいる。

 

僕の魂のホームとも言うべきPARMS(仮面女子カフェ)で「無料ハイタッチの中止」から始まり「マスク着用推奨」→「特典会時にタレントがマスク着用」→「10日間の劇場閉鎖」ということに相成った。推しメンの生誕祭が延期になったオタクおよびメンバーにおいては、なんともやりきれないことでありましょう。お察しします。

 

これにとどまらず、「教育現場を封鎖せよ」という政府からの指令が出て、塾で教えていた生徒たちが(授業中にもかかわらずスマホをいじって)「春休みが前倒しになった」とか「テストがなくなった」とか言っていて、「ふーん」とか「良かったねえ。遊べるねえ」とかいう感慨に浸っていたと思ったら、もう次の日には空気を読んだ「民の教育現場」とでもいうべき予備校・学習塾業界が一斉に休校措置を取り、まさかの一週間の仕事がなくなってしまった(これは伸びるんじゃねえかと思っている)。他人事だと思っていたら、完全に自分事だった。

 

もう一つ自分事だった件を言うと、僕は「自分が咳が出てしまう」とき以外にマスクをしないししようと思ったこともないので(つい先日4年ぶりくらいにマスクをした。ちな今ちょっと気管の調子が悪い)、「マスクが入手できない」とか「マスク転売」とかいう現象をこの目で見たことがない(薬局でマスクを探したことがない)のですが、その次は「ティッシュ・トイレットペーパーが買えなくなるというデマが飛び交っている」というニュースを目にしており、それも別段興味がなかったのですが、ちょうど家のティッシュボックスがラストワンになったので、いつもの調子でふらっとドラッグストアに立ち寄って買おうとしたら本当にスッカラカンで愕然とした。ふざけるなと思った。まあ1箱あるし、ポケットティッシュも大量にストックがあるので良いんですけど。良いんですけどね。本当に一時的なものだと思います。

 

なんかそういう日用品がなくなったとか騒ぐのも、それに憤るのも、朝早くから薬局に並ぶとかいうのもアホらしいし、転売するヤツは許せないし、Twitterとか見てると「店員の叫び」みたいなものが目に入って、「なんでマスクを入荷しないんだとキレられた」とか「くしゃみしたら客にキレられた」とかそういう話を聞いて、たぶん本当の話だと思うんですけど、本当にイヤな気持ちになる。必要のないところでガミガミしたり、殺伐とするのは本当にイヤだ。電車で咳をするのが怖いです。たまにするんでね。

 

まあとにかく僕個人としては、WHOが公表したという「せきなどの症状がない人は予防で着用する必要はないと、供給不足に拍車をかけないためにも、使用を控えるように呼び掛けた」というニュースを積極的に拡散していこうと思います。基本は手洗いですよ。あと継続的にお茶。水(液体)を飲むことです。これは本当です。

WHO、症状ない人「予防にマスク着用不要」 過度の使用控えるよう呼びかけ 新型コロナ

 

 

コロナのことを書きすぎた。この2か月であったことや思ったことを、トピックごとに書いていきたい。


■ファミレスが深夜営業を続々廃止

これも最初他人事だと思っていた案件で、「ファミレス(すかいらーく)が24時間営業を廃止」みたいなニュースを見て、「たしかに僕はすかいらーくと共に生きている。だけど僕の行きつけは29時閉店なんでよゆー。関係なし」と思っていた。しかしそうではなかった。僕の行きつけの池袋東口界隈のガストおよびジョナサンが軒並み29時閉店→24時閉店に変え始めた。これで完全に僕の居場所がなくなった。「24時間営業を廃止」っていうのは「24時閉店」の意味だったの?たぶん違うのだろう。しかしそこをツッコんでもしょうがない。だって僕にはその決定に従うしかないのだから。

 

永遠に変わらないものなんてないんだな、っていう経験だった。それでもやっていくしかない。
「24時って案外、じゅうぶん遅いじゃん」「そもそもファミレス行く必要なくねえ?」「サンシャイン通りサイゼもあるよ(28時閉店)」「金土限定で29時閉店の店舗(池袋南口)もあるよ」こんなふうに騙し騙しやっていくしかない。

 

「そもそもなんでそんなにファミレスに行きたいんだよ」って?なんでだろうね。自分でも分からない。
大して金を使わないし、物書きでもあるまい。家で本も読めるしパソコンだってできるだろう。そうなんだけどさ。そこは意思の弱さなのかな。これは自分の住環境をしっかりしなきゃなという気持ちになるきっかけでもあった。
ただ人と長時間おしゃべりするのには都合がいい。なんてったってドリンクバーが最高過ぎる。

 

ちな最近僕が注目している論客こと古谷経衡さんが「ラブホテルで仕事が異様にはかどる」ということを提唱しており、僕もお金に余裕が出来たらやってみたいなあと思っている。

 

■2か月で見た新作映画
・「帰ってきた寅さん」
・「パラサイト」
・「スターウォーズエピソード9」
・アリスフィルムコレクション「つむぐ」「未来の唄」
・「音楽」

 

結構見てるなあ。特にパラサイトが最高だった。本当に素晴らしいから皆さんも見た方が良いですよ。コメディとサスペンス、格差社会、人間の欲望、etcが見事に描かれています。僕はパラサイト家族の妹が好き。めちゃめちゃカッコいい&カワイイ。
んでその後にレビュー動画を見ることです。本当にそれだけの価値があります。有名人のラジオ音源から素人のYoutuberのものまでありますけど、僕は「コンテンツ全部見東大生」のレビューが一番良かったです(映画評論二大巨頭の町山&宇多丸はネタバレしていないから情報量が少ない)。


【パラサイト 半地下の家族】ギジョンの運命を考察!3匹の犬の意味とは?※ネタバレ大量【映画レビュー】

 


■この世界にコンテンツが多すぎる
この世界(あるいは現代)って、コンテンツが多すぎませんか?小説に映画、アニメ、それでなくても録画したテレビが尋常じゃないくらいに溜まっていて、どう考えても消化できない。皆さんはどうやってやりくりしているんですか。
いや、全てのコンテンツを見るなんて土台無理だと分かっているんですけどね(コンテンツ全部見東大生とはwww)。

 

岡田斗司夫さんは著書の中で「オタクは死んだ」って言っていますけど、僕はやっぱりかつての「オタク貴族主義」「オタクエリート主義」「知識マウンティング」に憧れている部分がありまして、オタクたるもの努力と根性でもって知識を獲得し続けねばならないみたいなことを思っていて、いつまで経ってもそこに到達できない自分にヌルさを感じている。(たぶんこの呪縛から逃れられる日は来ないと思う)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

 

それでもちょっとずつは頑張っています。たとえばここ2か月でも「寅さん(男はつらいよ)」「スターウォーズ」の新作映画を見ており、これはもちろん世の中全体の懐古コンテンツ主義にたまたま当たったということもあるのですが、つい最近までは「一生見ることなんかないだろう」と思っていたようなタイトルなのです。いゃスターウォーズくらい見ろよという話なんですが、本当に最近までまともに見たことがなくて、申し訳程度に数年前に金曜ロードショーで「エピソード4」を見たことがあるだけで、その内容はさっぱり忘れていました。
「寅さん」なんて過去の作品ですよね。なにしろ代替不可の主役が何年も前に死んでいるんですから。

 

ただ知り合いにコンテンツに詳しい人たち(「アンチ軍団」と言います)がいて、その人たちが色々教えてくれるので、できる限り流れに逆らわずに吸収しようと最近は思っているのですね。「そんなもん知らねえよ」というのではなく(数年前なら思っていた)、「とりあえずちょっと見てみようか」と。本当にちょっとずつですけど。

 

これが面白いんですね。スターウォーズは4~8まで改めて見ましたもんね(ちなみにアメトークの「スターウォーズ芸人」も大きかった)。こういう世界観なのかと。それで最新作のエピソード9も見て、ようやっと世界に付いていけたような気がする。まだ1~3を楽しめるぞ~(スピンオフ作品もある。どうするんだこれ)。

 

「寅さん」なんか本当に1ミリも興味なかったし、一生見ることなんかないと思っていたけど、なるほど1本見てみると面白い(1本見るだけでだいたいパターンが分かるというのもアレですが、笑)。コント的な楽しみ方なんですね。こりゃあ当時の国民に愛されたわけだ。やっぱり有名な作品ってのは面白いんですよ。最新作の映画も楽しめました。

 

んで前述の「アンチ軍団」が、唐突に東京ラブストーリーが良い」とか言い出して、それというのも今年リバイバル版が製作されるというんで、その記念に1991年版のテレビドラマがアマプラで公開されているというんですね。ホントその瞬間はつい「冗談だろ??」と思いました。僕も生まれていたとはいえ、モノマネでしか知らない世界です。「カーンチ、セックスしよ」のアレです。その瞬間は「見ないかなー」と思いました。

 

んでちょっとしたきっかけがあって、集まった時に「見ようぜ~」ということになり、「良いよ~」ってことで見てみると、やっぱりこれが面白いんですね。一周回って良いというか。今だから分かるというか。ダサさとかクサさとか、鈴木保奈美(赤名リカ)のメンエラとか、江口洋介(三上健一)のウザさとか、全部が一周回って最高に良い!やっぱり世界の本質はメンヘラなんだという境地に達しています。


こんなこと書きつつまだ5話までしかちゃんと見ていなくて、いずれ見ようと思うのですが、今は今年公開の新作も絶対に見ようと思っています。舞台を2020年の東京に移してスマホSNSも描かれるっていうから楽しみというほかない。

 

んでこんな調子でいったら、アレもコレも良いに決まっているんです。
こんな状態で、どうやって満足にコンテンツを消化していったらいいのか分からない、という話。

 

■「映像研には手を出すな!」がすごく良い

その流れで「映像研のアニメが良い」というネットの評判を見て、とりあえず録画を始めますね。んで見てみるとやっぱり良い。あ~こういうことなんだ、と。

浅草氏~!金森氏~!


んで岡田斗司夫さんのニコ生のラインナップを見てたらちょうど今、2年前くらいに作者の大童澄瞳さんの対談動画がアップされていて、それを2本見てしまう。この作者若いのにめちゃくちゃすげえオタクなんだなあということが分かる。有言実行で、自分のスタイルを持っていて、やるべきことをやっているすげえオタクだ、と思う。
「この先アニメ化ってこともあるんでしょうが~」みたいなことを話しているが、本当に今そうなっているし、まもなく実写ドラマも公開される(これもきっと見るだろう)。そして今、原作マンガを読みたくなっている。ここでも世界の進みが本当に早いことを感じる。

 

他にも方々で「メイドインアビスというアニメが良い」ということが耳に入ってきていたり、「推し武道」だって録画しているし(まだ見ていない)、そもそも「涼宮ハルヒを見たことがないんだよなあ(原作もアニメも)」というのが心に引っかかっている。

 

この前久しぶりに(数か月ぶり?)ミステリ小説を読んだらやっぱり良いな(「父からの手紙」小杉健治)となったし、読みたい本、読まないといけない本が山のように積んである。それなのにkindle Unlimitedでポチポチやってたらとりあえずダウンロードとしとこう→とりあえず読んどこう、ってな感じで軽めなビジネス書・自己啓発書を読んでしまい、まあそれはそれで良いんですが、積ん読本が一向に進まない。

 

僕はいったいどうしたら良い?コンテンツに埋もれて死ぬかもしれない。そんなことを考えている。
(一方で、多くの一般人はそんなにアレもコレも実は見ていないし、興味もないんだよなあという思いもある)

 

2019年を振り返る

■仕事関係について

この一年で、日を追うごとにどんどん職場環境が悪くなっている。いろいろと息苦しくなっている。この際だから詳細に書いてやろうかな。誰も読んでないと思うので。

 

僕の態度は一貫している。だらけた姿勢、舐めた態度は厳しく叱責する。「このレベルの問題が解けないと次いけないぞ(中学受験とか戦えないぞ)」とプレッシャーをかける。かといって宿題をしてこなかったこと、遅刻してきたことに対して激しく怒ったりしない。「また遅刻してきたね」と優しく現状報告をするだけだ。まあそこは自業自得な部分ですので。

 

ただし90分の授業中にトイレに2回行く、トイレが20分かかったとなれば、厳しく指摘する。教室の全体に聞こえるくらいの声量で「トイレ長くねえ?ウンコしてたん?ウンコにしても長すぎだろ」と言う。「休憩時間にボーっとしてたやつに授業中にトイレに2回も行かせるわけねえだろ」と大きな声で言う。あまりにもボーっとしていて同じミスを繰り返すとか、何回も姿勢がだらける(具体的に言うと左手を下におろすとか)とかだと「話聞いてるのか?」と言う。

 

そんな風にやっていたら「厳しい(怖い)先生だ」という評価を受ける。まあそれは良い。それでどうも面談と称してスタッフ(これもバイト)が生徒にヒアリングするときに誘導尋問みたいに「どの先生が良い?苦手?」とか聞くものだから「チロウさんが怖い」と言う。気の弱い小学生ならそれは言うだろう。そしてそれを社員が真に受ける(そもそもエリアに一人しかいなくて、その人は現場を見ていない)。ここが大問題。

 

7月くらいから露骨に特定の児童・生徒に当たらなくなった。揃いも揃って気の弱そうな、大人しいタイプの小学生。女子。完全NGもあれば、できれば避ける、という対応もある。必然的に僕が入れる場面で入れない、無理やり他の大学生を起用する。

これが全くのナンセンス。逆なのだ。僕にそういうタイプこそやらせるべきなのに。僕でなかったら、これまた気の優しい大学生講師が優しく対応し時間を浪費し、内部にしか読まれない引き継ぎに「今日は終始眠そうで進みませんでした」「集中力がありませんでした」「1問ずつ丁寧に解説してあげてください」「最初にポイントを説明してあげてください」とか毒にも薬にもならないことを書いて茶を濁して終わり。そんなんだからいつまで経っても成績が伸びないんだということに思い至らない。営利企業だから大過なく授業を消費させてお金をせしめればそれで十分という発想なのだ。

 

国語の授業の引継ぎに「最初に読解のポイントを説明してあげてください」とか書いてあるとバカすぎて目がクラクラするんですけど。これほど中身のないコメントがあっただろうか。僕が国語が苦手な生徒全員にやっているのは「読み聞かせ」です。これ以外にありません。答え合わせして、記号を直して、正しい答えを赤ペンで書いても全く無意味。ハイレベルなテキストだと分からない言葉のオンパレードで、内容も全く分かってなかったってことがほとんどですから。頭からケツまで「(正しい発音で)読んであげる」。その都度、解釈の難しそうなところを質問及び解説、背景の説明をする。これ高校生でもやります。

「解く前にポイントを説明」で解決するわけがねえだろう。皆さん、個別指導塾の大学生講師なんてこの程度ですよ。

 

それで僕のシフトが1日に1コマだけ、みたいに決められるが、大学生が急に予定が入ったとか体調を崩したとか言ってシフトに穴をあけ、僕に「今日3コマでも行けますか?」みたいなことを聞いてくる。ちなみに僕は5年間遅刻・欠勤がゼロですので・・それで1週間に3回言われたときにはさすがにキレた。「最初から僕を入れておけばいいんじゃないですか」と。生徒と講師の相性を考えた結果なんだってさ。無遅刻無欠勤はあまり評価されていない。それなー。

 

ってかこんなマジなレス、マジな方法論、チェーン個別指導塾のアホさ加減を語っているのがアホらしくなっていたので止めます。他にも交通費を不当に請求していた輩がいたことが発覚して、交通費の請求方法を全国一律にめちゃくちゃ面倒になったりとか(クレジットカード作らされた。ふざけんな)、従業員に対する信頼なんかゼロ。

 そんなわけで年を追うごとに色々と息苦しくなっているという話でした。あ、そもそも普通は大学生バイトがやるものなのに、僕みたいな年齢不詳が平日毎日出勤しているのがそもそもの間違いだった・・ゴメンナサイ。

 

僕自身は粛々と言われたことをやるというスタンスを続けている。ここで学べることはもうないので、できれば1年後にはここにいないようにしたいと思う。ということで今年の目標はそれ。


■ヲタ活について

3月、百川晴香ちゃん麻雀で優勝、桜雪ちゃんの卒業、廣川かのんちゃん生誕
4月、指原莉乃ちゃん卒業
5月、仮面女子・舞浜アンフィシアターワンマン、黒瀬サラちゃんの卒業発表
8月、黒瀬サラちゃん生誕、黒瀬サラちゃん卒業、百川晴香ちゃん10周年記念
11月、百川晴香ちゃん生誕、森下舞桜ちゃん生誕
12月、仮面女子・六本木EXシアターワンマン

 

2019年は僕のオタ活についてあまりにも大きな変化のある年だった。指原莉乃ちゃんがついにAKBグループを卒業したというのも大きなニュースだが、僕の中では何といっても仮面女子内「魂の推しメン3人」のうちの2人の卒業を見送ることになったのが決定的だ。特に一番の推しメンの黒瀬サラちゃんの卒業は大きい。僕の中で仮面女子が主現場であるという認識はなくなってしまった。今はとにかく、赤仮面こと森下舞桜ちゃんの活躍を心から見守りたいと思っている。元桜雪ちゃんこと渋谷区議会の橋本ゆき議員に関しても、機会があればイベントに参加していきたい(トークイベントが大好物です)。

f:id:routi:20200103223428j:plain

2019年のアリスプロジェクトMVPに輝いた森下舞桜ちゃん

 

それに伴って、あらたな現場をちょくちょく開拓しているのかもしれない(あくまでも誘われる形で、ということが多いのだが)。2019年に行った現場で言うと、ZOC、平成墓嵐、鶯籠、つぼみ大革命などだ。どのグループにも魅力的なメンバーがいる。さらにはCHU-Zワンマン、アイカレツアーファイナル東京公演、など見に行ったことが記憶に新しい。


全力少女Rは継続して大きなライブやラーメンショー、推しメンの生誕祭などで足を運んだ。とても良かった。2020年もよろしくお願いします。


■趣味に関して

今年は何といっても3年ぶりの同人誌『現代日本人がウォッチするべき七賢人』を作ることができた。といってもこれの執筆に費やしたのは年末の2か月だけなので大したことではないが。ここ5年くらいで溜めに溜めた言いたいことを全部ぶちまけた感じ。個人的にはだいたいさらけ出せたと思っています。

 

これを何のために書いたかというと、まずはここで取り上げた15人程度の人に渡したいというのが一つ。ただしこれは恐れ多くて渡せなかったり、物理的に会えなくて渡せないというパターンも多い。そしてもう一つは、普段から僕と接していて僕と話したりするのが楽しいと思ってくれる人(少ししかいません泣)に渡したいという思い、そしてさらには高校生とか大学生とかに読んでほしいと思ったからです。

 

ぶっちゃけますと、年末のコミケでもお披露目しましたがあんまり反応は良くなかったですね。やっぱり敷居が高いというか。名前は知っているけど、そこまで興味はない、というか。空気が馴染まないという感じがしました。まーしょうがないですね。僕にとっては最高に刺激されるということも、他に人にはそうでもないんだなと思った。逆もまた然り。当たり前ですが。次は文学フリマとかおもしろ同人誌バザールにも挑戦してみたいと思います。

 

肝心の(本当の意味で意識の高い)高校生・大学生に読んでほしいのですが、渡す手段がない。あ、この文章を読んでいる高校生、大学生は無銭で差し上げますので、ぜひ遠慮なくTwitterででもDMください(@tirou_ex)。あと個人的に仲いい知り合いには、順次渡していくので何卒よろしくお願いします。

 

■まとめ

やはりこの一年は大きな変革があったような気がします。それがたとえば、年末のカウントダウン現場をこれまでは4年連続で秋葉原PARMSのカウントダウンライブに参加していましたが、今年は初めてゲンロンカフェで過ごしたということが、ひとつ象徴しているように思います。

f:id:routi:20200103223536j:plain

ゲンロンカフェ宮台真司×西田亮介×東浩紀トークでカウントダウン

2020年も相変わらず、粛々とやるべきことを継続しつつ、また変化を恐れずに状況に応じて飛び込んでいきたいと思います。そろそろ引っ越しを伴うような大きな変化があれば良いんですけどね。いゃ、本当にそろそろな気がするんです。いつまでもこの状況では、いけない。がんばります。